TBSラジオ 荻上チキSESSION22 沖縄・高江での大阪府警機動隊員の差別ヘイト発言問題、前嵩西一馬さん、米倉外昭さんのお話

永岡です、TBSラジオの、荻上チキSESSION22、昨夜の放送のメインセッション、沖縄での、大阪府警機動隊員の差別ヘイト発言について、文化人類学者の前嵩西(まえたけにし)一馬さん、琉球新報の米倉外昭さんのお話がありました。TBSクラウドで公開されています。

http://www.tbsradio.jp/85558

20代の機動隊員の、「土人」差別発言、沖縄と差別、米軍ヘリパット建設でのものに、翁長知事は言語道断と批判して、松井知事は擁護発言をして、反対派の市民を誹謗中傷し、沖縄は差別が続き、東京、大阪で沖縄人お断りの張り紙もあった中、沖縄と差別について、前嵩西さん、1971年那覇生まれ、明治大の講師をされて、沖縄を研究されて、沖縄研究、前嵩西さんは本土復帰の前年に生まれて、その中で戦争の記憶,笑い、子どもに基地問題を語り、ガチンコで沖縄の現象にぶつかるより、笑いやアートで調べられており、歴史も研究されて、沖縄で様々な実践をされて、今回はメディア、特にネットがあったから問題になり、やり取りが動画サイトで公開されてネットで拡散されて、しかしネットでも様々な意見があり、リスナーより、言葉を失った、今の時代にこういう言葉を、公人から発せられる、反対派からも五分五分、一般人とは立場が違うとの指摘もあり、他方住民の問題を指摘する声もあり、反対派の違法行為を指摘するのはおかしく、警官も差別発言をする意味が分からず、警官が差別発言をしてはいけない、他方、反対運動にも問題あり、松井氏の発言の、どっちもどっちはおかしい、機動隊員は沖縄を軽蔑している、機動隊員は国家権力の元、市民の抵抗に対して、沖縄を見下しているなどがあり、前嵩西さんは、差別発言について、ネットの動画拡散により広がり、沖縄戦は経験者がへる中で、語り継ぐという行為、パス、ハンドという身体的な用語が入るもので、ネットの拡散は重要であり、どちらの側に着くにせよ、感情を動かされており、感情を持っていかれない形でどう理解すべきか、沖縄の基地反対の方と、機動隊員を対立させているのは基地の押し付けであり、これを見てから差別用語を考えないと、土人は想像力を掻き立てられるもので、大きな絵の中のものであり、前嵩西さん、土人について、こういう応答が沖縄からあるのかというとこを語りたく、様々な立場の沖縄の反応であり、ネットで拡散は、土人という言葉の問題ではなく、基地の押し付け、歴史的な沖縄弾圧が問題であり、またシナ人など、基地に反対=非国民、プロ市民というレッテル貼りと荻上さん指摘されて、県民ではなく目の前の乱暴な人だと認識されて、しかし前嵩西さん、この対立の背景を知るべきであり、土人という言葉だけでなく、差別用語について、差別問題を扱うのは差別をなくすためであり、差別用語を使う人たちが問題で使われる立場を問題にするのではなく、今回は警察庁と松井知事が問題で、そして若い人が差別用語を使っているのに年配の人は驚き、つまり差別用語が日常的に使われる環境に警官があり、土人は、70歳以上の方が、自虐的に使う(本土に出稼ぎで衝突、言葉の問題があり、沖縄に戻り、当時の若い沖縄の人が、自分たちは土人と使った例がある)、南洋帰りの人に、土人という言葉を使っており、日本の植民地主義が、この言葉により展開されて、土人という言葉を沖縄でも使われており、しかしこれを除いて、土人という言葉を今使うことへの批判があり、荻上さん、どちらも差別主義の産物と指摘されて、どちらも植民地主義の発想と言われました。

大阪には、沖縄出身の方がたくさんおられて、松井氏の暴言は衝撃的であり、前嵩西さん、大阪のイントネーション、アホ、ボケなどの芸人さんの乗りの発想が土人と思う人もあるが、抵抗のない人もあるかも知れないが、もちろん前嵩西さん、そこだけではなく、沖縄差別の中でとらえられるべき、歴史的に沖縄差別を知るべきで、沖縄の過剰反応ではなく、戦中から沖縄は差別されて、差別を扱うのは難しく、前嵩西さんが沖縄を今は代弁しており、あるいは海外に行くと日本の代弁者になるが、差別については、デリラ氏の言葉、あなたが帰属する共同体に帰属しても、差別があるなら自分の帰属性に対して疑問を持つべき、帰属性=アイデンティティであり、これに気を付けないと、知らずに他者を抑圧することがあり、アイデンティティは自分で認めるのと、他者のものがあり、差別も同じであり、前嵩西さんは被差別者として語るものの、沖縄の人も帝国主義の中で差別用語を使ったこともあり、差別する側とされる側は文脈により変わり、このデリラ氏の言葉は重要で、日本人とそれ以外などの思考の危険性を指摘されて、海外から帰国→愛国心も危険がデリラ氏の考えで、そして今、帰属意識を芽生えさせるものが本土と沖縄にあり、土人の言葉の歴史的な背景を知るべきであり、100年以上前の人類館事件、沖縄を触れるのに避けて通れず、日本もされて通れず、1903年に大阪で、日清日露戦争間、各国がナショナリズムを発するために万博をやって、日本は列強に入りたく、それで海外向けの万博ではなく、国内向けの万博、帝国主義の欲望の中、日清戦争に勝って台湾を取り、人類館=人間動物園!であり、それに携わった人は差別意識はなく、生きている人を生活させて見世物にするものであり、今回、シナ人という言葉も問題で、中国(当時の清)を展示して中国からクレームが付き、これについて東大は学術人類館と名前を変えて、より根深いものになり、差別ではなく、学問だと詭弁であり、学問は、後世から見たらとんでもないことであり、今回も同じ、その中で沖縄の方が陳列されて、遊女も陳列されて、沖縄の抗議があり、沖縄を台湾などの劣った人種と一緒にするなというものであり、差別されるものが乗り越えるには、差別する側に回る、帝国主義の視点によるものであり、差別の切実さが、土人という言葉にあり、当時、沖縄は差別する側に回らざるを得ず、差別は様々な視点で見る必要があり、差別は自分の中にあるものと気づかないとだめであり、人類館事件は、沖縄の差別と、差別を乗り越えるために、帝国主義のもとでは、差別する側に回ることがあり、この歴史をちゃんと見るべきであり、沖縄の基地反対の方を貶めるのではなく、これは考えるべき。

人類館は、他の国でもあり、人間動物園=見世物小屋は、この問題、お金をもらって飾られるものもあり、遊女の場合もお金がもらえたと、沖縄に戻り言われたこともあるが、もちろんこれで人類館は肯定されるものではなく、人権と、当人の納得は、お笑い芸人の間での冗談のレベルとは異なり、言葉が差別をはぐくむものであり、人類館にはアットワークスの本があり、この事件の論考も載っており、学問として当時差別が許されたことを、考えるべきであり、探求される側の問題、差別は分類から、人民、国家のアイデンティティではなく、どう見られているか、日本だと、そういう西欧のモードに追いつき追い越せの帝国主義の時代の歴史があり、これに基づき、今を振り返るべき。

文化人類学、当時は分類であり、しかし調査そのものが差別になり、そして人類館事件は優生思想と同じく否定すべきなのに、当時は否定できず、これを今学ぶべきであり、人類館事件は演劇になり、1976年に上演されて、その後節目節目で再演されて、人類館の本は、2003年に沖縄で上演されて、大阪の沖縄2世3世、在日の方、被差別部落の方と、人類館の演劇をやりたいとして、しかし作者はそんな時代ではないと否定しても、大阪から、沖縄差別の問題を語って、そして再演することになり、どういう事件か、フィールドワークすることになり、2008年に人類館の演劇は早稲田で再演されて、近代美術館の沖縄展、モダンアートとして沖縄を扱う中で上演されて、当時は基地問題も盛り上がり、そして根深い差別について考えていたのです。

70~80年代に沖縄人お断りが東京、沖縄にあり、今回の事件でそれらの負の歴史が振り返られて、琉球新報の米倉外昭さんがこれを調べられて、お電話での米倉さんの出演、ヤマトと沖縄の歴史があり、その中で今回の事件が起こったと沖縄ではとらえられて、縦に歴史、基地の押し付けがあり、基地を力づくで建設する、権力の末端から差別発言は歴史的な事件であり、読者の反応は、新聞の投書欄にも、政府の本音が差別発言になったとの指摘があり、権力の差別意識の象徴が機動隊員の暴言になり、他方、ネトウヨの沖縄たたきについて、米倉さん、ヘイトスピーチ問題に取り組まれる方の声を載せて、権力の弾圧手段としての差別用語使用は、弾圧される市民とどっちもどっちは問題であり、土人、シナ人という差別が繰り返されないために、メディアとしてどう取り組むべきか、松井氏の擁護発言もあり、基地の押し付けを本土に気付かせるかと思ったが、人類館事件もあり、多くのヤマトンチュが基地押しつけに加担していることを自覚せず、またマイノリティ差別問題の一つとして扱われるのは問題であり、土人という用語を使ったことへの問題と矮小化されて、しかし言葉を使ったのは悪くとも、基地を押し付けるものへのヤマトンチュの反省にはならず、沖縄差別の背景に、ヤマトンチュのメディアは迫らず、言葉遣いの問題に矮小化されて、日本の帝国主義時代の根深いものに考察をすべきで、米倉さんは富山出身、しかし日本のシステムが戦前の植民地主義と変わらず、沖縄の犠牲のもとに戦後日本があり、ナショナリティを問う必要があると言われて、荻上さん、沖縄の問題だけでなく、47都道府県の問題であるべきなのに、沖縄のみに矮小化されたと指摘されて、米倉さん、この問題を日本国全体の問題として取り組むべきと、米倉さん締めくくられました。

荻上さん、言葉の問題に矮小化されて、沖縄への植民地主義、帝国主義の問題に本土のメディアはならないと言われて、前嵩西さん、全く同じ、いじめられている一点のみに矮小化されるのではなく、しかし民主主義で5回選挙に勝っても基地は押し付けられて、最後の手段、切実さは指摘されるべきであり、そして地方自治の問題もあり、また警察の中に非人道的な体質があるなら、沖縄だけでなく、日本全体の問題であり、それが差別発言一つに矮小化されて、謝罪したら終わりとの傾向もあり、リスナーより、過去に土人は未開の人を差して使い、若者がこの言葉を使ったことへの驚きもあり、荻上さん、別の言い方で許されるわけではないと言われて、前嵩西さん、「品の良い人種差別」、慇懃無礼な形で差別が肯定されるのではなく、優生学のようなものを考えないと、こういう事件は繰り返されるものであり、言葉だけの問題ではなく、しかしネットの中では差別が再生産されることがあり、前嵩西さん、沖縄の若い人たちが、土人という言葉、基地問題を国際世論に訴えるために、先住民族として、土人=先住民族としてとらえて発信するものがあり、言葉は受け渡される側の問題で、東京オリンピックに旧植民地の人が来て、旧土人のサミットも(言葉は悪いが)あり得て、そしてあまりに露骨な暴力的な差別用語に硬直するものもあり、規制ではなく、話し合いにより、互いに違う意見をもったものが対話すべきで、対等な対話の機会が失われた上での結果がこれであり、SESSION22では、高江の問題、日米、沖縄関係も取り上げたいと荻上さん締めくくられました、以上、SESSION22の内容でした。

 

 

 

Categories 沖縄

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