サンテレビニュースPORT 神戸とオリーブのつながり

 永岡です、サンテレビのニュースPORT、火曜日の震災特集、今回は、明治時代に神戸・北野にあったオリーブ園のことでした。

 かつて、神戸にオリーブ園があり、明治時代~震災まであったと言うものであり、20日に開催の神戸マラソン、優勝者の冠にオリーブ、神戸とオリーブは100年以上のつながりがあり、中西テツさん、神戸大学名誉教授(国際オリーブアカデミー神戸、http://www.olive-academy.jp/index.html )、オリーブのこと伝える市民団体の顧問を務められて、中西さんの説明、トアロードのところ、明治時代にオリーブが、1879年、今の北野ホテルに、明治政府が輸出のためのオリーブをと作り、農園で苗木も販売されて、市内各地にオリーブが広がり、湊川神社には、神戸オリーブ園で裁判されたものがあり、明治政府は日本の近代化に、このようなものを見てやっており、オリーブを引き継ぎたいと中西さんは言われて、財政難で神戸のオリーブは1908年に終わったものの、オリーブは神戸に根付きました。

 95年の阪神・淡路大震災で、オリーブと震災、震災後、ある医師が路地にあったオリーブを発見して、半分焼けただれて、この木のおかげで火災の延焼から免れたというのです。火災の延焼を防ぎ、住民を守ったオリーブ、この話から、オリーブは町の再生のシンボルになり、震災の犠牲者の追悼が行われる神戸・三宮の東遊園地にも、イタリアから平和の象徴としてオリーブが送られて、復興を願う思いが伝えられているのです。

 1029日、震災復興の歴史になったオリーブを語り継ぐために、中西さんの団体がイベント、オリーブを使った各種商品を販売して、市民も、町にオリーブが多かったことを印象と語り、中西さんがオリーブについて講演されて、無くなったオリーブ園を次の時代に引き継ごうと、震災から一歩ずつ踏み出す、震災を経た神戸の再生をと中西さん語られて、神戸に根付いたオリーブに、また光が当たり始めており、マラソンの優勝者の冠は中西さんたちの作ったものであり、また市内にオリーブがあるというのです。

 オリーブのことを私も初めて知り、貴重でした、以上、サンテレビのニュースの内容でした。

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