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平和哲学センター・ニュース by limitlesslife
November 22, 2016, 12:34 pm
Filed under: 平和

 

 Peace Philosophy Centre

宮古島の水を奪い、島全体を戦場とすることにつながる陸自配備に反対する母親の声を聞いてくださいA Miyakojima mother calls for cancellation of GSDF troops and missile deployment

Posted: 21 Nov 2016 04:32 AM PST

前ブログ「宇宙に拡がる南西諸島の軍備強化」とセットで発表します。11月20日、宮古の自衛隊基地建設に反対する「11・20宮古島平和集会」が開かれ、約300人が参加しました。野党の県選出国会議員「うりずんの会」ー糸数慶子、赤嶺政賢、玉城デニー、照屋寛徳、仲里利信各氏も出席。沖縄タイムスの21日の報道によると、宮古島への陸上自衛隊・ミサイル部隊配備の撤回、高江ヘリパッド建設と辺野古新基地建設の中止を訴える決議書を下地敏彦市長、翁長雄志知事、安倍晋三首相、稲田朋美防衛相ら6者に郵送するという。この集会における、子を持つ母親を中心とし自衛隊配備に反対するグループ「てぃだぬふぁ島の子平和な未来をつくる会」の共同代表である石嶺香織(いしみね・かおり)氏のスピーチがとても素晴らしく、ひとりでも多くの人に読んでほしい、聞いてほしい、「平和」の原点に返るものだったので写真とともに紹介する。下方にビデオリンクも。(写真提供:芦川剛志氏)

 

壇上に立つ石嶺香織さん。
辺野古や高江で座り込みを続けている島袋文子さん(右)も駆けつけた。

今、防衛省が陸自配備計画を進めようとしている千代田には、水の問題が二つあります。

一つ目は、水道水源の汚染の可能性です。千代田カントリーも水道水源保全地域に隣接しているのです。

石嶺香織氏

宮古島には、水道水源保全地域が三つあります。白川田流域と、東添道流域、福里北流域です。

当初防衛省が予定していた福山への陸自配備計画は、白川田流域にかかっており、地下水汚染の可能性が否定できないとして、宮古島市は受け入れを拒否しました。

野原の航空自衛隊は、水道水源の東添道流域と川満流域の境目にあり、1キロ離れた千代田カントリーは上野流域にあります。しかし、水道水源の東添道流域と川満流域や上野流域の境目は、調査が不十分で流域界の精度が劣るとされています。第三次宮古島地下水利用基本計画には「一部の流域界では、時期による地下水流域界の移動が確認されている。」と書いてあります。

地下水審議会審議委員の前里先生のお話では、干ばつの時は流域界の水の移動はないが、水量の多い時期に地下水は行き来しているということでした。
つまり、もし千代田カントリーに基地ができて汚染が起こった場合に、水道水源である東添道流域が汚染される可能性があるということです。

前里先生や学術部会の渡久山先生は、基地を作る前に流域界の調査が必要だと訴えておられます。てぃだぬふぁでは、流域界の調査の必要性の審議のために地下水審議会の開催を求めていきたいと考えています。

二つ目の水の問題は、水量が不足する可能性です。航空自衛隊の近くに、野原配水池というのがあります。配水池というのは、上水道の配水量を調整するために一時蓄えておくタンクのことで、この野原配水池は下地、上野、城辺の一部、そして来間島までの水がいったん貯められます。

今でも観光客が多い時期などは水圧が下がることがあるそうですが、一カ所に800人もの隊員が、家族も入れて2千人とも言われていますが、その水がまかなえるのでしょうか?市民の水を奪うことにはならないでしょうか?宮古島市はこの対策は何も考えていません。

そしてもっと重要なことは、もし野原配水池が攻撃されたら、宮古島の南半分の水はストップするということです。

千代田に地対艦ミサイル部隊、地対空ミサイル部隊が配備されたら、千代田の基地や野原のレーダー基地が攻撃される可能性は格段に高まります。

その時に、この野原配水池が攻撃されれば、宮古島の南半分の命の水が途絶えてしまうのです。大切な命の水のそばに、基地など置いてはいけないのです。

国会議員のみなさん、この二つの水の問題も、ぜひ国会で訴えてください。

宮古島が戦場になることを、想像できていない人はいますか?

ミサイルを配備することは、戦場になることを意味します。このミサイルを、たった一度でも打てばどうなると思いますか?攻撃されます。

ミサイルは車載式です。トラックに載せて島中どこでも走り回ります。どこが戦場になるか分からない。基地予定地だけの問題じゃないんです。

てぃだぬふぁはこの一年半、基地配備を止めるために子育てや家事や仕事の時間を割いて、活動を続けてきました。子供たちにゆっくり絵本を読み聞かせしてあげる時間もなくなりました。

奪われていくものと戦うということは、どれだけ不毛なのでしょうか。本当は、育むもの、作り上げるもの、積み上げていくもののためにエネルギーを使っていきたい。

しかし、それでもなぜ奪われていくもの、戦争につながることと戦っているかと言えば、戦争の前では全てが消え去るからです。

育んだものも、作り上げたものも、積み上げたものも、一瞬にして失うからです。

命も、文化も、土地も、水も。

戦後多くの母親が、戦争に反対していれば良かった、子供が戦場に行くのを見送らずに、どんなことをしてでも止めれば良かった、一緒に逃げれば良かったと言っています。それは、心からの後悔、死ぬまで解放されることのない後悔ではないでしょうか。

しかし、戦争になる前、みな戦争が始まるとは思っていなかったはずです。今と同じように。

想像力を働かせなかったのです。なぜ人間に想像力が与えられたのか、危険を予測して命を守るためです。

子供たちの未来がいかに奪われないようにするか、そのことに時間を使うのはもうやめにしませんか?子供たちの未来をいかに作るかに、私たちのエネルギーを注ぎませんか?

そのために、宮古島市民は戦争につながる全てのものに、NOと言わなければいけない。声を大にして、きっぱりと基地を断りましょう。

戦争につながる日々は、もう平和な日々ではありません。戦争が始まるのを止める作業に時間を費やさなければならないからです。

私は、子供たちに絵本を読み聞かせしてあげる平和な夜を、取り戻したいと思います。

そして、高江にも、辺野古にも、普天間にも、石垣島にも、与那国島にも、沖縄の全ての場所に、平和な夜を取り戻しましょう。

宇宙に拡がる南西諸島の軍備強化:前田佐和子 Military Buildup of Nansei Islands – Yonaguni, Miyako, Ishigaki, Amami, and Space Technology: Sawako MAEDA

Posted: 21 Nov 2016 03:51 AM PST

過去、このブログに沖縄の離島の教科書問題等について重要な論考を投稿した前田佐和子氏に、宇宙科学研究者の視点から南西諸島の軍備強化と、「準天頂衛星システム」の関係の可能性についての論考を寄稿いただいた。(転載・引用の場合はかならず初出としてこの投稿のURLにリンクしてください)。

宇宙に拡がる南西諸島の軍備強化

前田佐和子

(1)南西諸島への自衛隊配備

与那国島南牧場(2013年)

日本列島の西の端に位置する人口1500人の与那国島に、2016年3月28日、自衛隊沿岸監視部隊が配備され、約160人の隊員とその家族90人余りが移住してきた。それから半年、馬の親子がのんびりと歩いた緑豊かな南牧場は、ま新しい自衛隊駐屯地にとって代わられ、一面が赤土に覆われた異様な光景を呈している。 今では、沿岸を航行する艦船、上空の航空機などを監視するレーダーのアンテナが、島のあちこちに立っている。

2008年、与那国島の町議会が自衛隊誘致の決議を上げて以来、長きにわたって取り組まれてきた町民たちの反対運動を押し切っての配備であった。

与那国島久部良地区(駐屯地)

誘致の賛否を巡って地域社会が分断され、島の政治や人々の暮らしが、誘致に賛成した住民や自衛隊員たち、その家族の意向に左右されてしまうことが懸念される。周囲の長さが27kmの島で、自衛隊と混在して生活することを危惧する人々が、家族ごと島外に移住するという事態も起こっている。

翌3月29日には、集団的自衛権の行使を容認する安全保障関連法が施行された。自衛隊の活動が格段に強化され、米軍とのあいだで基地の共同使用が拡大されていくことを懸念する沖縄の琉球新報は、この日、大きな紙面をさいて「安保法施行、在沖自衛隊を増強」という記事を掲載した。与那国島に続いて、宮古島に初動対応にあたる警備部隊と地対艦・地対空ミサイル部隊を800人、石垣島と奄美大島にも550人配備する計画が、順次、具体化されようとしている。

(2)アメリカの対中国戦略と要塞化する南西諸島

南西諸島には、宮古島の航空自衛隊分屯基地を除いて、これまで自衛隊は配備されてこなかった。この地域の急激な軍事化の背景を、いわゆる‘尖閣’を巡る日本と中国の領土問題として報道する本土メディアは多い。しかし、米軍の辺野古新基地建設や高江のヘリパッド建設に加え、南西諸島に自衛隊を配備することは、中国に隣接する同盟国に軍事的な役割を担わせようとする、アメリカの対中国戦略の一環である。この対中戦略、「エアーシー・バトル」や、それに代わる「オフショア・バランシング」について、参議院議員伊波洋一氏は、雑誌「世界」1月号で詳しく述べている。(注1)「エアーシー・バトル」では、中国軍のミサイルによる先制攻撃の兆候に対して、米軍はグアムに退避するという。日本列島全体が戦場になることが予想され、その危険性についてアメリカでも批判が大きい。それに代わるものとして、「オフショア・バランシング」が台頭してきた。これは、‘米中全面戦争にはエスカレートさせない、そのために日本が沖縄を含む南西諸島を戦場として差し出すことを求める’というものである。

10月18日に宮古島で開かれた住民説明会では、防衛省担当者が、尖閣・極東の‘安保環境’がいかに危機的であるかを強調して陸上自衛隊配備の必要性を訴えた。しかし、参加した住民からは、配備に伴い宮古島地域が攻撃対象となるリスクや、有事の際の具体的な住民避難計画がないことに対して不安の声が上がり、発言のほとんどが配備に反対するものであったという。石垣島でも9つの団体と個人が「石垣島に軍事基地をつくらせない市民連絡会」を結成した。もっとも‘脅威’を感じているはずの住民たちのなかで、自衛隊の配備に反対する気運が高まっている。

南西諸島で軍備が強化されようとしていることに対し、各島の運動をつなぐ「南西諸島ピースネット」が作られた。基地建設反対の闘いに加わる人々は次第に視野を拡げ、中国を包囲するアメリカのミサイル防衛戦略と、それに組み込まれた日韓の軍備拡大が、問題の根本要因であることを理解するようになった。この戦略では、日本海から太平洋に出ようとする中国の艦船を検知し攻撃する地対艦ミサイル部隊、それに続いて飛来する航空機を監視、迎撃する地対空ミサイル部隊を、南西諸島に配置する。これらミサイル部隊は、中国の艦船の太平洋への通過を阻止し、第一列島線の内側に閉じ込めるというアメリカの戦略に組み込まれたものである。

(3)準天頂衛星追跡管制局の設置

与那国島に自衛隊が配備されようとしていた昨年後半から今年初めにかけて、宮古島、石垣島に目新しいアンテナが設置された。種子島、久米島にも、同様の設備がほぼ同時期に設置されている。

準天頂衛星石垣追跡管制局
(写真提供:山里節子)

準天頂衛星の追跡管制局と呼ばれるものである。沖縄本島恩納村には、前年に設置されている。準天頂衛星は、「測位衛星」である。4機以上の衛星からの電波を地表の受信機で受信し、受信点の地理上の位置を特定するもので、日本版GPS(全地球測位システム)」と呼ばれる。[S.M.1]測位をする際に必要となる衛星の位置と時刻の情報は、各管制局で受信した衛星からの電波情報をもとに計算され、恩納村の管制局に送られて、そこから再び衛星に送信される。南西諸島の各地に一斉に設置された追跡管制局は、準天頂衛星と電波の送受信をする、このシステムの基本的な構成要素である。文部科学省のJAXA(宇宙航空研究開発機構)が開発主体となって、2010年に準天頂衛星1号機が打ち上げられた。これの開発に総額735億円がつぎ込まれた。それ以降は開発の主体が内閣府に移り、年間150~250億円の予算がついている。

準天頂衛星システムについて、南西諸島の自衛隊配備とは無関係であるとみなす人が多い。今年の8月13日付け琉球新報は、石垣島の「南の島の星まつり」記念講演会で行われた、国立天文台副台長と内閣府宇宙開発戦略推進事務局行政官の講演を報じている。前者は、国立天文台のプロジェクト「VERA」についての講演である。岩手県から石垣島にかけて設置された4基の電波望遠鏡を一体的に運用して、遠方の天体の位置を計測するという、純粋に科学の話であり、地元でもVERAの愛称で呼ばれ親しまれている。

VERAの石垣観測局
(写真提供:山里節子)

しかし、石垣島のVERA電波望遠鏡から数kmのところに陸上自衛隊が配備されるといわれ、その場合、敵艦艇や航空機などを検知する監視用レーダーが設置されるだろう。VERAの使用する電波の周波数は、2~45GHzの広い周波帯にまたがっており、監視用レーダーで使用する電波の周波数が、それに重なる可能性がある。そのため、レーダーの発信する電波がVERAの受信機に混入し、雑音となる恐れがある。2016年4月に石垣島で開催された住民説明会で防衛省が配布した資料には、この問題について、‘電波法を遵守して、影響を与えないように措置する必要がある’と記されているが、どのように混信を防ぐかということは言及されていない。一方、内閣府の行政官は準天頂衛星について講演し、地元に建てられた見慣れないアンテナに不安を感じる住民に対し、‘システムが整えば利用する機会が増えると思う。期待してほしい’と語ったとのことである。記事は、準天頂衛星について、日米両政府が推し進める宇宙の軍備強化との関連を一切論じていない。準天頂衛星システムの整備・拡張は、以下に述べるとおり、宇宙協力を通じた‘日米軍事同盟’の深化を図るために巨額の国家予算が投じられ、‘宇宙安全保障’の名のもとに優先的に取り組まれているものである。自動車のナビゲーションや自動走行、土地の測量や建設機械の自動制御など、大々的に宣伝される民生利用の背後に、この本質が隠されている。

(4)宇宙基本計画

1950年代中期に始まった日本の宇宙開発は、科学と、それを支える技術開発を中心に進められてきた。1969年の国会決議「宇宙の平和利用原則」によって一切の軍事利用は禁じられ、専門家は科学と民生利用の技術開発に専念した。少ない国家予算にも拘わらず、科学の水準は世界の最高レベルを維持し続けてきた。国家の威信をかけ軍事利用のもとで進められる他国の宇宙開発とは、一線を画してきたのである。2006年、太陽を観測する科学衛星「ひので」が鹿児島県内之浦から打ち上げられたとき、計画に関わってきた多くの国の科学者や技術者が、万感の想いでその打ち上げを見守った。平和利用に徹してきた日本の宇宙科学にたいする称賛と、間もなくその伝統が破壊されることを悲しむ気配が、打ち上げ場に満ちていた。

2年後の2008年、第一次安倍政権において、「宇宙の平和利用原則」は破棄され、軍事利用に道を開く宇宙基本法(注2)が制定された。以後、数年に一度改訂される「宇宙基本計画」に従って宇宙開発が進められ、次第に政府と宇宙航空産業(防衛産業)の意向が強く反映されるようになった。2013年に策定された第2次宇宙基本計画で、‘専守防衛の範囲内で’と書かれていた文言が削除され、ついに2015年度の宇宙基本計画(注3)は、宇宙開発の最重要目的が、‘積極的平和主義に基づく宇宙安全保障’であると宣言するに至った。

(5)準天頂衛星システム拡充の意味

2013年の「宇宙に関する包括的日米対話 第一回会合」(注4)の共同声明で、米国GPS及び日本の準天頂衛星システムによる測位、航法などのさらなる協力が盛り込まれた。それを受けて2015年の宇宙基本計画に、準天頂衛星を現在の1機から2017年には4機に拡充し、さらに2016年度の宇宙基本計画で、翌年から7機体制の開発を開始することが明記されたのである。完成は2023年ごろと見込まれている。その経費の総額は、4機で2000億円、7機では3800億円と見積もられている。

GPSは、アメリカ国防総省が管轄する軍事衛星で、ミサイル防衛の柱であり、無人機攻撃やミサイルの誘導に欠かせない。ロシアもGPSへの対抗措置として、同様の機能を持つGLONASSを運用し、中国、インド、欧州がこれに続いている。2015年度宇宙基本計画は、‘アジア太平洋地域の平和と安定のためにはアメリカの抑止力が不可欠’であり、‘抑止力の発揮のためにGPSが極めて重要な機能を果たしている’と述べている。さらに、GPS衛星が老朽化し、破壊された場合は、‘アメリカの抑止力が損なわれる’が、現在、その危険性が高まっているという危機感を表明している。これまで打ち上げられた推定6000機以上の人工衛星が、老朽化により多数の破片(宇宙ゴミ)となり、宇宙空間に漂っている。1960年代から、米ソが、自国の衛星を自国のミサイルやレーザービームで攻撃し破壊する実験を繰り返してきた。さらに2007年に中国がミサイルで自国の衛星を破壊する実験を行い、2009年にはアメリカとロシアの衛星が衝突し、機体の破片などの宇宙ゴミが急激に増えた。そのため、航行する衛星に宇宙ゴミが衝突する危険性が高まったことが、GPSのぜい弱性を強調する背景となっている。宇宙基本計画で最優先課題とされた準天頂衛星システムの拡充は、GPSのぜい弱さを補い、さらに、日本列島から極東周辺地域の測位体制を各段に強化することが目的である。

GPSやGLONASSは、24機が地球の全体をカバーするグローバルなシステムであるのに対し、準天頂衛星は日本とオーストラリア大陸を結ぶ経度を中心にして、南北非対称の8の字の軌道を24時間かけて一周する、地域的な測位衛星である。準天頂衛星の送信周波数は、GPSのそれと完全に一致するよう設計されており、両方のデータを用いて精度の高い測位ができる。測位の精度は、GPSのデータのみでは10m程度であるが、準天頂衛星のデータで補えば1mから数cmの正確さで受信点の位置を決定できるといわれている(注5)。7機体制になると、日本上空に必ず4機が存在することになり、GPSのデータを使わずに24時間の測位が可能になる。巨額の税金がつぎ込まれる国家プロジェクトである準天頂衛星を活用する民生利用が、いま、産業界で活発に検討されている。‘システムが整えば利用する機会が増えると思う’という内閣府行政官の発言は、民生利用を強調することで、軍備拡張に対する社会からの批判を和らげる効果がある。「オフショア・バランシング」の構想で、沖縄から南西諸島の軍備を強化するためには、この地域の測位体制を整え、その精度を上げることが不可欠となる。さらに、読売新聞の報道によると、2023年ごろに宮古島に配備が予定されていると言われる新型地対艦ミサイルは、射程300kmで、軌道の中間段階ではGPSによる誘導で敵軍艦まで接近するという。今後、これに準天頂衛星のデータが使われる可能性がある。2016年3月18日の参議院予算委員会で、中谷防衛大臣(当時)が質問に答えて、滞空型の無人偵察機グローバル・ホークの導入を明言した。偵察機の誘導と自動着陸にも、準天頂衛星のデータが使われるだろう。南西諸島の軍備強化は、宇宙空間にまで広がっていくことになる。

(6)住民混在の戦いを繰り返してはならない

アジア・太平洋戦争末期、旧日本軍は、沖縄をアメリカの本土攻撃に対する盾として戦闘を展開し、20万人以上の死者を出した。‘あらゆる悲惨を集めた’と形容される沖縄戦の記憶は、今なお、沖縄の住民に受け継がれ、米軍基地建設に対する激しい抵抗運動の源泉となっている。一方、南西諸島などの離島では、米軍との直接的な地上戦はなかった。しかし、軍命により、石垣島や西表島などの住民は強制退去させられ、マラリア有病地域に移住させられた。飢えとマラリアで八重山地域だけで4000人近くの人々が命を落とした。強制退去は、軍が枯渇する食糧の現地調達のために、家畜や農産物などを接収することが目的であったと言われている。

周囲を海に囲まれた離島では、住民は逃げ場を失い、兵士と混在して戦闘に巻き込まれる。沖縄戦では、首里陥落のあとも32軍は降参せず、大本営の戦略のもとで本島南部への撤退を続けながら、住民を巻き込んだ持久戦を続けた。‘軍民一体’と評される所以である。2013年、沖大東島で行われた離島奪還訓錬について、琉球新報は「いったん敵に島を占領させた後、増援部隊が逆上陸して敵を撃破する戦い方が採用されたようだ。」と報じた。長い海岸線を持つ離島では、敵の上陸を事前に阻止することは不可能だ。住民混在の戦いにならざるを得ない。戦闘に先立って、いかに住民を安全に退避させるのかという点についての十分な検討がなされたという話は聞かない。住民の命を守るためには、軍備ではなく、戦争を回避するための外交と、周辺地域との交流を深めることが何より求められる。10月末に開かれた日本環境学会沖縄大会で、琉球大学の我部政明教授は、島嶼の安全保障における基本原則の一つに、‘周辺の世界との間の交通、運輸、通信の手段が安定的に存在する’ことを挙げた。近隣諸国とどのように信頼を築き上げるかを差し置いて、ひたすら軍備の拡張に走ることの危険性は計り知れない。

前田佐和子(まえだ・さわこ)
宇宙科学研究者、元京都女子大学教授。
著作 Transformation of Japanese Space Policy: From the “Peaceful Use of Space” to “the Basic Law on Space” Asia-Pacific Journal: Japan Focus
http://www.japanfocus.org/-Maeda-Sawako/3243

当ブログにおける前田氏の過去の投稿は、
2011年9月16日「揺れる八重山の教科書選び 」
2012年5月31日「八重山教科書問題の深層」
2012年11月11日「アメリカが’統治’する沖縄」

(1)「軍事戦略の中の沖縄」 伊波洋一 「世界」2016年1月号 岩波書店

(2)宇宙基本法 http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H20/H20HO043.html

(3)平成27年度宇宙基本計画 http://www8.cao.go.jp/space/plan/plan2/plan2.pdf

(4)宇宙に関する包括的日米対話 第一回会合

http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/25/3/n0311_07.html

(5)準天頂衛星システムの機能 内閣府 http://www8.cao.go.jp/space/pdf/qzs/kinou.pdf

 

[S.M.1]陸・空自衛隊開発ミサイル誘導システムにはGPS誘導が採用されている12式地対艦誘導弾の中間誘導に、GPS誘導が追加された。

【書評】荒涼たる核の警告 ウィリアム・J・ペリー著、ジェリー・ブラウン評

Posted: 13 Nov 2016 07:47 PM PST

ベルリンの壁の崩壊とともに冷戦が終結したのは1989年。27年前ということになる。冷戦時代は1947年からの42年間。すでにその半分をゆうに超える時間が「冷戦後」として流れてしまった。いま、「核シェルター」という言葉を聞くことはほとんど無くなっている。「核戦争による世界絶滅」が恐怖であったのは、まるで過ぎ去った冷戦時代のことのようだ。

しかしいったん雪解けを迎えたかに見えた核の恐怖は。拡大NATOによるロシア包囲とともに継続し高まっている。1954年以来60年にわたって米国軍事戦略を支えてきた老練のウィリアム・J・ペリー氏は、最近出版した回顧録『My Journey at the Nuclear Brink(私が辿った核の瀬戸際)』の中で、世界中の人々が忘却の中で夢中歩行をしていることを、彼の長い経験を元に警告している。

カリフォルニア州知事(2016年現在)のエドモンド・ジェラルド「ジェリー」・ブラウン・ジュニア氏による書評を翻訳して紹介する。

原文は
http://www.nybooks.com/articles/2016/07/14/a-stark-nuclear-warning/

(前文、翻訳:酒井泰幸)

荒涼たる核の警告

ジェリー・ブラウン評
ニューヨーク・レビュー・オブ・ブックス、2016年7月14日号

『My Journey at the Nuclear Brink(私が辿った核の瀬戸際)』
ウィリアム・J・ペリー著、ジョージ・P・シュルツ序文
スタンフォード・セキュリティー・スタディーズ刊

1994年から1997年まで米国国防長官を務めたウィリアム・J・ペリーよりも良く近代兵器の科学と政治学を理解する人を私は知らない。このような疑う余地のない経験と知性の持ち主が新刊の回顧録の主題である荒涼たる核の警告を発するとき、私たちは注意を払うべきだ。ペリーは率直にこう言う。「現在、ある種の核カタストロフィ(大惨事)の危険は冷戦時代よりも高まっていて、ほとんどの人々はこの危険のことを何も知らずに安穏としている」(注1)。核の危険は「毎年大きくなって」おり、たった1発の核爆発でさえ「我々の生活様式を破壊する可能性がある」ことも彼は語ってくれる。

明瞭、詳細だが力強い文体で、ペリーの新刊書『私が辿った核の瀬戸際』は、彼の70年に及ぶ核時代の経験を語る。彼の物語は、第二次世界大戦直後の「溶けた瓦礫の巨大なゴミ山」の中に住んでいる生存者とじかに遭遇したところから始まり、現在へと私たちを連れて行く。そこでペリーが懸命に警告するのは、私たちが危険な核の道を進んでいることだ。

広島と長崎の原爆投下を回顧して、単に都市が廃墟となるだけでなく、あらゆる文明の終焉が今や可能になったことを初めて理解したのはあの時だったとペリーはいう。「解き放たれた原子の力は全てを変えてしまったが、我々の思考様式だけは変わらなかった」というアインシュタインの言葉を彼は重く受け止めた。核兵器が「今や安全を脅かしている」という厳然たる事実を理解せず、核兵器が安全保障をもたらすと我々の指導者たちに信じ込ませているのは、「古い思考」でしかないと彼は断言する。

ペリーの回顧録は点を稼いだり恨みを晴らしたりするために書かれたものではない。彼はセンセーショナルな表現を使わない。だが、国防のインサイダーであり核の秘密の守護者として、彼がアメリカの指導者たちに説明責任を果たすよう強く求めているのは、彼が非常に悪い判断だと確信している一連の決定で、ロシア国境に達するNATOの急拡大(注2)や、ジョージ・W・ブッシュ大統領による弾道弾迎撃ミサイル制限条約(もとはニクソン大統領が署名)からの脱退などだ。

この本への序文で、ジョージ・P・シュルツはペリーを「絶対的な高潔さ」を持つ男だと述べている。彼の経歴は目覚ましい。数学の博士号をもち、カーター大統領の下で国防次官、ビル・クリントン政権で国防副長官を経て国防長官として、ハイテクビジネス、研究開発経営、兵器調達における膨大な知識と経験がある。

ペリーが第一歩を踏み出したのは早かったと書くが、1954年に26歳で上級科学者として採用されたシルバニアの電子防衛研究所は、今ではシリコンバレーと呼ばれる場所にあった。現在の私たちはこの地域をアップルや、グーグル、フェイスブックの本拠地と思うが、当時の主な業務は防衛産業、つまり大量破壊ビジネスだった。第二次世界大戦終結後のわずか十年たらずの間に、ソビエト連邦とアメリカの両国は水素爆弾を開発し、第二次世界大戦で使うことのできた通常爆弾の破壊力に対し百万倍に増大した。学童は机の下への「ダックアンドカバー」(頭をかがめて身を守ること)を教えられ、公共の建物ではもし核攻撃が起こったら避難する場所を示す標識が目立つ場所に掲示された。

ペリーが電子防衛研究所で最初にした仕事は「電子防衛システム計画案の評価」で、これは「襲来するソビエト大陸間弾道ミサイル(ICBM)の誘導信号」の妨害を狙ったものだった。綿密な調査の後、彼が報告したのは、妨害が成功すれば中規模核攻撃での死者の約3分の2を防げる、つまり即死者を7千5百万人から2千5百万人に減らせる可能性があることだった。だが彼は後にこの推計では放射線と「核の冬」による長期的な死者数を考慮していなかったと指摘した。報告書には治療が受けられない何千万人もの負傷者や完全に崩壊する経済・社会基盤のことも入っていなかった。

大規模核攻撃に対して容認できる防衛策は存在しないという結論にペリーが到達したのはこの時であり、彼はこの見解からけっして逸脱しなかった。何人かの大統領を含む多くの政治指導者たちは、ペリーに異議を唱えて様々な種類の対ミサイル防衛システムに出資してきたが、その最新のものが東ヨーロッパに現在配備中の弾道ミサイル防衛システムだ。

シリコンバレーで始まり、その後も推進された秘密の防衛研究を支えた、何十億ドルもの連邦予算を解き放ったのは、冷戦期の核による全滅の恐怖だったとペリーは回想する。技術革新や、私的利益と税金、民生ハイテク機器と大量破壊兵器、人工衛星技術、コンピューター、拡大を続ける監視網といったものが、秘密であれ公開であれ、どのように相互に結びついているか、ペリーは誰よりも熟知している。だが彼は今、この暗黒の知識を使って、彼が中心的な役割を担っていた激しい軍拡競争を、反転させるために奮闘する。

ペリーは全てが始まる時に立ち会った。エリートの一員として、彼はCIAと国家安全保障局がソビエトのICBMを評価するために設立した極秘の「テレメトリーおよびビーコン解析委員会」の一員だった。彼は米国のU-2スパイ用偵察機が収集した画像を解析するチームにも所属していた。U-2偵察機は1956年から画像収集を始め、4年後にゲーリー・パワーズが操縦するU-2偵察機がソビエトに撃墜されてこの計画は終了した。彼はソビエト連邦との間に「ミサイル・ギャップ」があるかどうかを判断するためCIA長官のアレン・ダレスが1959年に組織したチームの一員でもあった。実際にはギャップは存在しなかったのだが、ペリーがこの本で明かすように、彼が書いた報告書は何十年も秘密にされた。

そして、キューバ・ミサイル危機が高まっていたとき、ペリーは分析官の小さなグループの一員に選ばれ、キューバに配備されつつあったソビエトのミサイル情報を収集して昼夜を問わず働いた。彼らは画像その他のデータを分析し、作成した報告書は毎朝ケネディー大統領に届けられた。

ケネディー大統領が米国民に向けた演説の中で、キューバから核ミサイルが1発でも発射されれば「ソビエト連邦への全面的な報復」で対抗すると言ったとき、ペリーにはそれが何を意味するのかはっきりと分かった。彼はこのような核戦略を10年間研究していた。分析センターへ毎日通いながら、彼はこれが「人生最後の日」かもしれないと内心で思っていた。

キューバ危機で核のホロコーストを回避できたのは運が良かったからだとペリーはいう。何年も後になって、核戦争へと追いやりかねない危険な状況がさらにいくつかあったことが判明した。

第一に、米国が敷いた海上封鎖に接近中のソビエト艦船は、核魚雷で武装した護衛潜水艦を伴っていたと、ペリーは書く。潜水艦との通信が困難なため、ソビエト政府は潜水艦の司令官に許可なしで発射する許可を与えていた。アメリカの駆逐艦が潜水艦を浮上させようと迫ったとき、艦長と政治担当官は共に駆逐艦に対し核魚雷を発射する決断をした。核対立を回避できたのは、艦隊の総司令官であるヴァシーリイ・アルヒーポフもその潜水艦に乗船していたからだった。彼は発射命令を却下し、核戦争の始まりとなり得る事態を回避した。(注3)

第二に、この危機のとき、ヨーロッパに駐留していたアメリカの偵察機が航路をそれてソビエトの領空に侵入した。ソビエトは即座に攻撃機を緊急出動させ、アメリカの戦闘機もアラスカの空軍基地から飛び立った。アメリカ側は核弾頭ミサイルで武装していた。幸い、アメリカ偵察機のパイロットがソビエト領空に迷い込んだことに気付き、ソビエトの迎撃機が到着する前に領空を出た。

ほぼ同時刻に、アメリカのICBMがカリフォルニア州ヴァンデンバーグ空軍基地から発射された。これは打ち上げ試験として定期的に実施されたものだったが、ソビエトに誤解されても仕方ないものだった。幸運にも、誤解は起きなかった。

悲惨なことに、核による全滅にこれほど近付いたにもかかわらず、ソビエト連邦と米国の指導者たちは核競争を減速させる努力を全くせず、正反対のことをした。ペリーはここに核兵器の新しい現実とは全く食い違った「超現実的な思考」が働いていると見る。確かに、ワシントンとモスクワの間にホットラインが開設されたが、これを除けば米ソ両国の戦略的思考は何事もなかったように続いた。

ペリーはキューバ危機のいくつかの厄介な側面を指摘する。戦争に突入したいと望む顧問が米ソ両側にいたと、彼は書く。メディアはこの危機を「『勝った』『負けた』のドラマ」として扱った。最後に彼は、政治指導者たちは戦争を始める意気込みが強いほど大衆の承認を得ていたように見えると意見を述べる。

結果として、核弾頭とそれを載せる運搬手段の両方で、いっそう複雑な競争が始まった。当時の米国国務長官ディーン・ラスクは「我々は『にらめっこ』をしているのだが、相手方はちょっと瞬きしたみたいだ」(注4)と勝ち誇ったように宣言した。もしこれでアメリカが勝ったと言いたかったのだとすれば、彼は間違っていた。ソビエトは核軍備の増強にさらに力を入れ、これに米国も追随し、両国が各々製造した何千発もの危険な核兵器は、もし使用されれば広範囲の人類を壊滅させかねないのだ。

核の脅威は自分を雇っていたシルバニアのような防御研究所にとって非常に良いビジネスを意味するものでもあったと、ペリーは率直に認める。そこでの彼の研究は、ソビエトのミサイルと宇宙システムを理解することが中心で、このハイテク・スパイ戦の仕事は気分を浮き立たせ高い利益を生むものだと彼には分かった。彼の任務は技術的手段による冷戦情報の収集だった。だがシルバニアは問題を抱えていた。同社は真空管の製造で世界トップ企業だったが、折しも新しい半導体技術が出現しつつあった。ペリーが明確に見通していたのは、シルバニアのアナログ技術に間もなく取って代わるのは、フェチャイルドセミコンダクターの新しい半導体デバイスに基づくデジタル技術と、当時ヒューレット・パッカードのような会社で設計中だった新しい小型高速コンピューターだということだった。今こそ自分で踏み出す時だと彼は決意し、4人の仲間とESL社(電磁システム研究所)を設立した。

新会社の仕事は最高機密となるもので、その成果物も顧客も明かすことが許されなかった。それでも、その後13年間でESLは次から次へと政府の契約を獲得し、1000人以上の従業員を抱えるまでに成長した。歴史的には、情報の解釈は政府機関の専権事項だったが、情報活動の最重要の標的のいくつかは極めて技術的なものになっていた。その中にはICBM、核爆弾、弾道ミサイル防衛システム、超音速機などがあった。これらの複雑な兵器システムのデータを集めるためには、技術スパイにも同様に複雑なものが必要だったとペリーは説明する。連邦政府は必要な知識と技術を持つ民間企業との契約を開始し、ESLはその先陣を切った。ペリーの指揮の下、彼の会社はテレメトリー解析やビーコンとレーダーのデータ解析で長期契約を獲得し、ソビエトの脅威の性質と程度を理解する国家活動に欠かせない会社となった。

ペリーにとって次の段階は、1976年にジミー・カーターが選出された時に到来し、そのとき新しい国防長官がペリーに研究技術担当国防次官となるよう要請した。その後4年間、ペリーはこの仕事に没頭し、彼が学んだこと全てを使って、アメリカが戦闘能力を飛躍的に向上するのを指揮した。この戦略は3つの要素で構成されていた。(1)敵の全勢力をリアルタイムで探知するインテリジェントなセンサー、(2)超高精度で目標を攻撃できるスマート兵器、そして(3)敵のレーダーを回避するステルス・システムだ。核時代の大きな逆説は、核戦争の抑止力はますます致命的で精密な兵器を作ることによって追及されるということだ。ペリーの場合、それが彼の使命であり、彼はそれを想像力と卓越した技術を使って遂行した。彼が直面した問題は、ソビエト軍は通常戦力で3対1の優位性を持っていると見られていて、アメリカがソビエトをヨーロッパへの侵攻から食い止めるには核戦力しかないとされていたことだった。

公私の専門家たちがでっちあげた答は、「根本的に新しく非常に高度な相殺戦略」を作るというものだった。技術を通じて、アメリカは戦場でのソビエトの軍事的優位を相殺するのだ。この成果には、F-117ステルス攻撃機とB-2ステルス爆撃機、スマート砲弾、短距離・長距離の巡航ミサイル、偵察機などがある。

これら新兵器が実際に使用されるのはさらに10年以上を待たねばならなかったが、ついに第1次湾岸戦争の「砂漠の嵐作戦」で、アメリカ軍は明確な優位性を実証した。ペリーが書くように、「F-117はイラクで約1000回の作戦飛行を行い、約2000発の精密誘導弾を投下して、その約80%が目標に命中した」が、この精度は以前なら想像できなかったものだ。「ソビエトが設計した何百もの近代的な防空システム」をものともせず、「バグダッドの夜間攻撃で航空機は1機も失われなかった」。

成功は残念ながら過信につながることがあるが、第1次湾岸戦争の成功でジョージ・W・ブッシュは安心し、もう一度戦争しても同じような戦果を上げられると考えたのではないかと、私は思う。技術的能力では、民族の分裂、歴史的な憎しみ、宗教的信念という人的要因を必ずしも克服できないことを、いま私たちは知っている。

ペリーは米国の核戦力に関する重要な技術的進歩の貢献者だった。彼の力により、核作戦と非核作戦のどちらにも使うことができるB-2戦略核爆撃機を立ち上げ、老朽化するB-52に空中発射巡航ミサイルで新しい命を吹き込み、トライデント潜水艦計画を再び軌道に乗せ、失敗に終わったものの弾頭10個を搭載するミサイルのMX ICBMの実戦配備を試みた。

核抑止力には敵側の兵器ひとつひとつに対抗することが必要だと彼が信じていたわけではないが、彼は政治的圧力に同調して競争相手に追随することにした。その時も現在と同様に、アメリカはいわゆるトライアド(3つ組)の中の1つだけで必要な抑止力を全て持てると信じていたと、ペリーは書く。それはトライデント潜水艦だ。軍が潜水艦を追跡し破壊することは非常に難しく、抑止力には十分すぎるほどの火力を有しているからだ。爆撃機はトライデント戦力に一時的問題が生じるという確率の低い偶発的事象に対する保険になるだけだが、通常戦力を強化するという二重の役割も持っている。米国のICBM戦力は彼の考えでは冗長だ。確かに、間違った警報の結果として偶発的核戦争が始まる危険は、抑止力の価値を上回る。

多くの専門家はこれに同意するが、歴代の大統領たちは政治的で危険の高い道を進み、米国の核戦力をロシアと「同等」の規模にする。このような負けず嫌いで愚かな行為は必ず終わりのない拡大につながる。(注5)

核兵器を実際に使うことはできないので、同等性は「古い思考」だとペリーは私たちに語る。制御不可能で破滅的な拡大のリスクは大きすぎる。核による報復で敵を脅かすのに役立つだけだ。核兵器を備えた米国の潜水艦戦力は、実質的に難攻不落で、この抑止力の機能を十分に果たすことができる。(抑止力の政策は、大量殺戮の実行をほのめかすことを憂慮する人々によって厳しく批判されていることに注目すべきだ。(注6))

カーター大統領の下、国防総省でのペリーの最初の任期で、敵戦力を相殺しアメリカの安全を守るハイテクの力への絶大な信頼を彼は示した。だが1994年に、ビル・クリントン大統領の国防長官になったとき、米国は全く異なる一連の安全保障問題に直面した。冷戦は終わり、旧ソビエト連邦の核兵器が置かれたのはロシアだけでなく、核兵器を守る能力を持たない3つの新しい共和国にも置かれることになった。

ペリーはこの「流出核」を最重点課題にした。彼は、ウクライナ、ベラルーシ、カザフスタンにあった何千発もの核兵器全てを解体する手はずを何とか整えた。ソビエトのSS-19ミサイル用に作られたサイロを訪れ、もうもうとした土煙となって崩壊するのを見たことを、彼は感動的に語る。その前に、彼はその場所を訪れ、若いロシアの将校から、彼らの統括する何百発ものミサイルがどのように米国の目標に向けて発射されるかを聞かされた。正にその瞬間もアメリカのミサイルが標的にしている場所で、カウントダウン演習を見学しながら、彼は核競争がどんな愚かさを作っていたのか分かった。

それから激動の日々が続く。SALT IIの下、米ロ両国で何千発ものミサイルと弾頭が破壊され、膨大な量の化学兵器が廃棄された。流出核物質は確保され、ロシアの核科学者たちはモスクワに設立された技術研究所で非軍事の仕事を与えられた。これら全てを可能にしたのは、サム・ナンとリチャード・ルガーという2人の上院議員が出資した計画があったからで、議会がかなりの資金を提供した。(現在この計画は打ち切られた。)今にして思えば、この兵器の破壊と米ロ間の継続した協力をペリーは小さな奇蹟と見ている。1992年から1995年のボスニア戦争で両国は軍事的な協力さえ行った。

だがこのような善意は長く続かなかった。1996年に、当時国務省の次官補だったリチャード・ホルブルックは、NATOを拡大してポーランド、ハンガリー、チェコ共和国、バルト三国を加盟させることを提案した。ペリーは、これが非常に軽率な行動であり何としても遅らせるべきだと考えた。50人の著名なアメリカ人の一団が、保守・リベラルを問わず、NATO拡大に反対してクリントン大統領への書簡に署名した。署名者の中には、ロバート・マクナマラ、サム・ナン、ビル・ブラッドリー、ポール・ニッツェ、リチャード・パイプス、ジョン・ホルドレンがいた(注7)。だがその甲斐もなかった。ポーランド、ハンガリー、チェコ共和国にNATOへの即時加盟を認めるクリントン大統領の決定に反対する閣僚は、ペリーただ一人だった。(注8)

その年、1996年は、結果的に米ロ関係が最高潮に達した時だった。NATO拡大はクリントン大統領の第2期に始まった。ジョージ・W・ブッシュ大統領が選出された後、NATOはさらに多くの国を取り込んで拡大し、遥かにロシア国境まで達した。ブッシュは弾道弾迎撃ミサイル制限条約(ABM条約)からも米国を脱退させ、東ヨーロッパにABMシステムの配備を開始し、その結果リチャード・ニクソンの重要な功績を否定し、防衛システムがあれば決然とした核ミサイル攻撃すら打ち負かすことができるという錯覚を助長した。

『私が辿った核の瀬戸際』は核の危険の新時代における過去60年のアメリカの政策の類い希な記述だ。ペリーが明らかにするのは、核テロリズムの危険は大きいこと、そしてワシントンD.C.でさえテロ攻撃と無縁ではないことだ。じっさい、彼が提示するのは、テロリストが即席の核爆弾を作り上げホワイトハウスとキャピトル・ヒルを爆破して、8万人以上を殺害し社会を完全に破壊するという、説得力のあるシナリオだ。ペリーはインドとパキスタンの間で局地核戦争が起き、地球規模の壊滅的な影響を引き起こす可能性もあると警告する。

この本が出版されてから、ペリーが確認した危険は高まるばかりだ。最近の米国国防予算は今後数十年間で核兵器の近代化に1兆ドルを支出することを提案している(注9)。この近代化計画は米国の核のトライアドを完全に更新することを見込み、新型の巡航ミサイル、原子力潜水艦、ICBM、爆撃機などが含まれる。これに呼応してロシアの国防大臣は、ロシアは「5つの新たな戦略核ミサイル連隊を投入する」と先日発表した。これは、40以上の新たな大陸間弾道ミサイルをロシアの核戦力に加えることをプーチン大統領が明らかにした後の発表だった。(注10)

そしてこの7月に、米国はポーランドのミサイル防衛施設予定地で起工式を行い、ルーマニアのミサイル防衛施設を公式に稼働させたが、そのときプーチンはこう警告した。「今やこれらのミサイル防衛施設を配備されたのだから、ロシア連邦の安全のためには…、この脅威を無力化する方法を考えざるを得ない」(注11)(強調は評者が加えた)。

核の危険という主題に関してウィリアム・ペリーが身につけた運営経験と技術知識を、他に持っているという人を私は知らないし、聞いたこともない。彼のような英知と高潔さを持つ人は少ない。ならば、なぜ誰も彼の言うことに注意を傾けないのか? なぜ核のカタストロフィの恐怖は多くのアメリカ人の心から遠いところにあるのか? そしてなぜ米国政府高官のほぼ全員が彼とは意見を異にして核の否認の中に生きるのか? ペリー自身がその答を示しているようだ。

我々の最大の危機は、核による破滅への準備は既に整っているが、ほとんどは海面下や遥か遠方の不毛地帯に隠されていて、全地球的な公的意識の遥かに及ばないところにあるということだ。消極主義が広範に見られる。おそらくこれは敗北主義とその仲間、注意散漫という問題なのだ。おそらくある人々にとって、それは主として「思いも寄らぬこと」に直面したときの最も原始的な人間の恐怖だ。別の人々にとって、それは、核攻撃に対して容認できるミサイル防衛が存在する、あるいは存在するかもしれないという錯覚を歓迎しているのかもしれない。そして多くの人々にとって、それは、核抑止力は永久に続くという信条、指導者たちはいつも十分に正確な情報を即座に知り、事件の本当の背景を知り、悲劇的な軍事的誤算を避ける幸運を享受するという信条を、持ち続けることのように思われるだろう。
多くの人々はワシントンの明らかな機能不全を訴えるが、比較にならないほど大きい「核による破滅」の危険を見る人は少ない。それは隠されていて公的意識の外にあるからだ。解説や討論で満ち満ちた大統領選の年であるにもかかわらず、ペリーを悩ませる大きな問題を議論する人は誰もいない。しばしば公の議論を支配する硬直した服従のもう一つの例だ。ずっと前に私がこれを見たのはベトナム戦争の時、そして後のイラク侵攻でもそうだった。知性ある人々がしていたのは愚かな、そして壊滅的なことだった。ヨーロッパの指導者たちを第一次世界大戦に引き込んだ愚行と、ベルサイユで解き放った大混乱を指して、今の歴史学者が使う言葉が「夢中歩行」だ。そして夢中歩行は今も続いている。NATOとロシアは軽蔑の言葉を投げ合って軍隊を蓄え、モスクワとワシントンは核の過剰殺傷能力を近代化する。新しい冷戦だ。

さいわい、ウィリアム・ペリーは夢中歩行をしていない。彼は著書『私が辿った核の瀬戸際』で手遅れになる前に目を覚ませと私たちに語りかけている。彼の本を読むことから始めようではないか。


1 ウィリアム・J・ペリー、「国家安全保障、世界巡り」2016年ドレル講演会、国際安全保障および国際協力センター、スタンフォード大学、2016年2月10日。

2 「時期尚早なNATO拡大で、滑りやすい坂道の滑落が始まったと、私は確信し、東欧諸国の早期NATO加盟による否定的側面は私が恐れていたより悪いと、私はすぐに確信するようになった」(p.152)。

3 「世界を救った男」、死者の秘密、PBSテレビ、2012年10月23日。

4 スチュワート・アルソップ、チャールズ・バートレット、「危機の時代に」、サタデーイブニングポスト紙、1962年12月8日を参照。

5 エドモンド・G「ジェリー」・ブラウン・ジュニア、「核中毒:返答」、Thought誌、第59巻、232号(1984年3月)を参照。

6 「過去15年間、特に冷戦を背景として、我々米国カトリックの司教は核兵器がいくらかの道徳的正当性を持つという可能性を不本意ながら認めてきたが、それは核軍縮が目標である場合に限られる。我々が現在、祈りを込めて判断したのは、この正当性が今は無いということだ。」米国パックス・クリスティの司教たち、「核抑止力の倫理観:その評価」公開書簡、1998年6月。

7 書簡の全文と全署名者の一覧は以下で閲覧可能。 www.bu.edu/globalbeat/nato/postpone062697.html

8 1998年にジョージ・ケナンがニューヨーク・タイムズにこう語った。「[NATO拡大は]新しい冷戦の始まりだと私は思う。ロシアはだんだんと全く敵対的な対応をするようになり、それがロシアの政策に影響すると思う。悲劇的な間違いだと私は思う。何であれこのことに理由など全く無かった。どの国も他国を脅かしてなどいなかった。この拡大はアメリカ建国の父たちを墓の中でひっくり返らせるだろう。我々には真剣に取り組む手腕も意図も無いとはいえ、我々は多くの国々を守るために署名した。」トーマス・L・フリードマン、「外交問題;今読むX氏からの言葉」ニューヨーク・タイムズ、1998年5月2日を参照。

9 ジョン・B・フォルフスタール、ジェフリー・ルイス、マーク・クイント、「1兆ドルの核のトライアド」、ジョン・マーチン核不拡散研究センター、モントレー、2014年1月。

10 マリア・キセリョワ、ポリナ・デヴィット、「ロシアが西翼に核連隊から新師団を展開」ロイター、2016年1月12日。

11 イリヤ・アルキポフ、マレク・ストルゼレスキ、「プーチン、NATOミサイルの盾はヨーロッパの平和に対する脅威と警告」ブルームバーグ、2016年5月13日。既存の米国法は「限定的弾道ミサイル攻撃」を避けるためミサイル防衛システムの配備を許容している(www.congress.gov/106/plaws/publ38/PLAW-106publ38.pdf を参照)。「限定的」という言葉はロシアや中国を狙った大規模ミサイル防衛システムの配備を避けることを意図したもの。2017年度に提案される国防権限法案はテッド・クルーズ上院議員が導入した特に危険な条項を含み、既存の法律から「限定的」という言葉を削除し、これによってロシアと中国に向けた拡大ミサイル防衛システムの基礎を築くものだ(www.cruz.senate.gov/?p=press_release&id=2639 を参照)。このような行為は既に不安定な世界秩序に極めて撹乱的な影響を与える。

新基地は絶対作らせない決意を示した名護市民

Posted: 11 Nov 2016 02:18 AM PST

10月29日、島ぐるみ会議名護の主催で、瀬嵩の浜(名護市)で集会が行われ、350人が参加しました。名護在住の作家、浦島悦子さんにその宣言文と写真を提供されたのでここに紹介します。

宣言文

去る9月16日、翁長知事の辺野古埋め立て承認取り消しに対して安倍政権が起こした違法確認訴訟で、福岡高裁那覇支部の多見谷寿郎裁判長は、沖縄県敗訴の判決を言い渡しました。民意を体現する沖縄県の主張は一顧だにせず、「辺野古が唯一の解決策」と政府の言い分を100%認めたのは、三権分立の完全な放棄であり、司法自らが地方自治と民主主義を否定したことにほかなりません。

辺野古新基地建設と連動する高江のオスプレイパッド建設をめぐっては、何がなんでも工事を強行するために全国から大量の機動隊を送り込み、非暴力で抵抗する住民・市民に対し、屈強な機動隊員による暴力と人権侵害、国家権力を振りかざしたあらゆる違法行為が横行しています。大阪府警機動隊員による「土人」発言は、その象徴とも言えるでしょう。

沖縄県が10月3日に上告した最高裁の確定判決が年内もしくは年度内に出ると予測されており、それを機に安倍政権は、中断している辺野古・大浦湾での作業を一気に再開する可能性があります。

私たち名護市民は19年前、1997年12月の名護市民投票で、政府のあらゆる圧力をはねのけて「新基地NO」の市民意思を内外に発信しました。それは、母なる海=地域の自然と子どもたちの未来を守り、戦争を二度と許さない強い思いと、「大事なことはみんなで決めよう」という意思が結晶した成果でした。

私たちは今こそ、その原点に立ち戻らなければなりません。当時の比嘉市長が政府の圧力に屈して基地を受け入れたあとも市民意思は生き続け、2010年、名護市民は「海にも陸にも基地をつくらせない」稲嶺進市政を誕生させました。2期目の市長選では、政府がちらつかせた「500億円の名護振興基金」を蹴とばして「名護マサー」の面目と誇りを見事に示し、再選を勝ち取ったのです。

名護から始まった「基地からの自立」を求める流れは沖縄県全体の大きな流れとなり、2014年には「辺野古新基地建設阻止」を掲げる翁長県政が誕生しました。それは今や、ゆるぎない県民意思となり、その意思をバックに、それを実現するために翁長知事は不退転の決意で安倍政権に立ち向かっています。名護市民はその流れを作り出したトップランナーなのです。

この20年を振り返り、いま、戦争への道をひた走ろうとする安倍政権、そして人類の置かれた危機的状況を考えるとき、私たちの進むべき道は明らかです。

私たちの目の前に広がる大浦湾、太古の昔から変わらず、寄せては返す波、背後から私たちを守る緑の山々…。命と暮らしを支えるそれらの自然を未来に引き継ぎ、この島を二度と戦火で荒らさず、平和の灯を全国に、全世界に広げていくために、私たちは政府の押し付けてくる不義に決して屈せず、辺野古にも高江にも、新基地は絶対つくらせない決意をここに改めて宣言します!

2016年10月29日

今こそ当事者の声を! 辺野古新基地を絶対つくらせない名護市民集会参加者一同

ニライカナイサミット 11月5日(土)宜野湾にて

Posted: 08 Nov 2016 09:58 PM PST

イベントのおしらせ

沖縄で11月5日(土)「ニライカナイサミット」に参加します。ぜひお越しください。

11月9日追記。シンポについての沖縄二紙の報道を紹介します。

沖縄タイムス:

沖縄基地問題で白熱議論 翁長県政に苦言も ニライカナイサミット
http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/69878

琉球新報:

沖縄戦を学ぶ平和教育の場に、「靖国神社遊就館と同じ」と誇示する旧日本軍兵器が展示されている。

Posted: 04 Oct 2016 09:56 AM PDT

琉球新報10月2日「論壇」に載せてもらった。沖縄戦を学ぶ平和教育の場として知られる南城市の「糸数アブチラガマ」に旧日本軍の大砲と魚雷がことし3月から展示され、大砲の方は靖国神社遊就館に同じものが展示されているということをわざわざ誇示するような文言が説明版に付け加えられた。

まずこの「論壇」を読んでください。読みにくい場合は絵をクリックすれば拡大できるはず。

写真なしの記事では説明しづらい部分もあったので、このブログ投稿で写真も含めて補足する。

この問題について沖縄の新聞では、沖縄タイムスが5月に報道している。

『糸数壕近くに大砲展示「慰霊の場に不適」平和ガイド 「平和学習のため」南城市説明』 http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/31143 (5月18日)

会員でないと全部読めない記事なので、私の記事にはなくこの記事にある事実を要約すると、

  • 大砲の方は「大里農村環境改善センター」、魚雷の方は「佐敷の老人福祉センター」に保管されていたが、「平和学習の拠点であるアブチラガマに展示した方が多くの人に見てもらえる」との市議の提案などもあり、約300万円の移設予算案が昨年度(2015年)の議会で可決された。
  • この記事ではガマを案内する「ゆうなの会」の當山菊子代表の声として「兵器は、アブチラガマにあった物ではない。展示がだめなのではなく、他の場所、または資料館でなら理解できる」と引用している。それに対し市は「平和祈念公園は祈りの場だが、人間の愚かさを示す兵器も展示している」と説明したようだ。また、沖縄国際大学の吉浜忍教授のコメントとして「兵器がなぜそこにあったのかという歴史を考えてもらうためにも、本来、発見現場での展示が望ましい」「移設するにしても、設置場所や説明文は、委員会を立ち上げて議論すべきではなかったか」とある。

また、この「論壇」の冒頭で書いたように、沖縄の季刊誌『けーし風(かじ)』(1993年創刊)7月号の記事「沖縄戦追体験の場に旧日本軍の大砲を展示」で宇根悦子氏が問題提起している。ここからポイントを取り出すと、

  • 「糸数壕は沖縄戦当時、地元住民の避難壕、旧日本軍の陣地壕、野戦病院壕として使用された。野戦病院が南部へ撤退していくとき、重傷兵約二百名が置き去りにされ、殺された」「近年は平和学習や観光で訪れる見学者が増え、年間数万人が入壕する。
  • 宇根氏が5月に東京の人たちを案内したときに大砲の展示に気づき、その後南城市政策調整課に講義と撤収を求めるメールを送った。その後観光商工課から来た返信メールには、3月に南城市が展示した説明として、「平和学習に役立てるために展示した。ご理解ください」とあった。宇根氏の怒りはおさまらない。
  • 宇根氏は過去の同様の問題に言及する。ひとつは2002年ごろ、沖縄県平和祈念資料館前庭に、旧日本海軍の魚雷が展示された。資料館監修委員会に諮らずに当時の県(当時の県知事は稲嶺恵一氏)が独断で展示した。魚雷展示のあと、修学旅行生がその前で記念撮影をするなど、平和祈念公園のシンボルとされてしまった。人々の批判が集まり、魚雷は地下埋没型の展示となる。
  • 2005年には西原町が町立図書館の入り口に旧日本軍の大砲を展示。目的は「平和教育」とされる。町民からの批判で撤収を求める署名運動が展開、「大砲は姿を消した」。

8月23日友人たちと訪問したときの写真をここに紹介する。

左の建物が、糸数アブチラガマ見学の案内所ともなっている南城観光総合案内センター。道をはさんで、展示されている大砲の砲身は角度によってはこの、平和学習の拠点になっている建物をターゲットにしているようにも見える。

道をはさんで、赤いズボンの人の右側、足元にあるのが二つの兵器の説明版。糸数アブチラガマを見学する人は右方の案内センターでヘルメットをかぶったりして準備した後、これらの説明版の前を取って左方面の壕入口まで行く。
これが二つの説明版。左側が魚雷の説明、右側が大砲の説明。
これが大砲の説明だが、南城市が3月にここに移設したときに付け加えた文言「現在砲としては、靖国神社遊就館にも展示されている。 平成28年3月移設 南城市」とある。

論壇で指摘した、文言が削除されているようなスペースというのは上の写真を見ればわかる。説明版の石には2本の切れ目が入っていて、上の方は、本文と「平成15年12月 大里村教育委員会」を分けている。「・・・をうけたといわれている。」の直後から切られており、文の途中で切られたように見える。黒い説明版の板の下に、もともと説明版がはられたいたときの枠組みであったかのように見える線があるのがわかるだろうか。数行の説明が削られたのではないかと疑う理由である。もう一本の線は、今回新たに付け加えた「靖国」のくだりなので、この線は説明がつく。

この「論壇」が出た直後、読んでくれた人からフェースブック経由で「これが大里にあったときの説明板だと思いますが、すでに切れ目はあるみたいです」と、このサイト「沖縄本島中南部お散歩マップ」の一ページを紹介された。

http://okinawasanpomap.web.fc2.com/senseki/kanon.html

前の設置場所は「沖縄県南城市大里仲間928に位置する、南城市立図書館大里分館(大里農村環境改善センター)敷地内」ということだ。沖縄タイムスのニュースにこの場所は記されていたが、驚いたのは、ここは南城市立図書館の分館だったということだ。このサイトの筆者は、ここでも砲身が図書館入口に向かっていることを指摘し、「図書館入口に砲身が向かっているが、南城市では図書館に展示することに反対運動はなかったのだろうか。同時期に、榴弾砲を図書館に展示した西原町では、反対運動で、目立たない場所への移転を余儀なくされた」と言っている。この西原町の反対運動とは、宇根悦子氏が上で述べているもののことであろう。

要するに、この大里の図書館前に設置された大砲は、同時期に西原町の図書館前に展示された「榴弾砲」が反対運動で別の場所に移されたのに比べ、反対運動もおこらず、今年の3月になって糸数壕前に「靖国の遊就館と一緒」という説明とともに移設されたということだ。

ちなみにこの西原町の「榴弾砲」は、「お散歩マップ」の人によると、反対運動によって「西原町立図書館前」から、「西原町与那城124 の西原町中央公民館の建物の左から裏に回ったところ」に移されたようだ。説明版には

『この榴弾砲は、去る太平洋戦争の沖縄戦において、日本軍が使用した大砲で、平成16年12月、西原町幸地集落南西部の陣地壕跡から発見された。西原町は、この榴弾砲が原型を留めないほどにすさまじい日米両軍の戦闘がくりひろげられた激戦地で、当時の住民の約47%の尊い命が犠牲になった。破壊された榴弾砲をこの地に展示することにより、戦争の悲惨さ、愚かさを認識するとともに戦争のもたらす恐ろしさ、悲しさを語り継いでいくてがかりとしてほしい。二度とあの忌まわしい戦争を起こしてはならないという誓いと、平和の尊さを実感し、さらには平和教育の資料として役立つことを願い、終戦60年の節目にあたりこの榴弾砲を展示する。平成17年8月15日 西原町』

とある。写真はここ。これが、西原町図書館前にあったときのものをそのまま移したのか、移設したときに新たに作ったのかははっきりしないが、文言としては、戦争の愚かさ、悲惨さを強調し、「二度とあの忌まわしい戦争を起こしてはならない」という誓いとともに展示されたということで、「靖国と一緒」だと誇示している現在の糸数壕前の大砲の文言とは趣を異にしている。(注:「あの忌まわしい戦争」は沖縄が起こした戦争ではないので、「二度と起こしてはならない」という文言が適切だとは言わない。せめて「起こさせてはならない」というべきだろう。しかし戦争の否定をかたらない碑文や戦争を肯定する碑文よりはベターだという意味で比較した。)※この注は10月5日追記

また、「論壇」の読者が指摘していたのは、現在の糸数壕前の大砲の文言が一部削られているように見える件について、これは大里の図書館前にあったときからすでにそうだったということである。ことし3月の南城市への移設のときに削られたのではなさそうだ(写真はここ)。それでは、文言の一部が切られているのではないかという疑いが本当だったらいつ切られたのか、また、切られた部分は何という言葉だったのか、というのがますます気になる。これは私の勘ぐりであるが、西原町の「榴弾砲」の説明文が、戦争の愚かと悲惨さを強調する文言を含んでいることから、同様の文言があったのではないかという推測ができる。しかしこれはもちろん調べてみないとわからない。

誰か、関心と問題意識を共有する人、調べてみませんか。

また、今回の糸数壕前の、「靖国」の言及を伴う兵器展示は、南城市大里の図書館前に展示されたときに問題視されず、西原町のような反対運動も起こらなかったことの一つの帰結ともいえるのではないか。

「論壇」にも書いたが、平和学習の場での兵器展示に対する問題意識がもっともっと広まることを望む。沖縄戦の記憶の場所が、少しずつ、じわじわと、「靖国化」されることを許してはいけないと思う。

@PeacePhilosophy 乗松聡子

Remains of the Battle of Okinawa civilian internees are still buried at Camp Schwab – Okinawans call for investigation キャンプシュワブ内の遺骨調査を求めて 具志堅隆松さんらの訴え

Posted: 22 Sep 2016 10:58 AM PDT

Camp Schwab, Okinawa, August 10, 1960
1960年当時のキャンプ・シュワブ

Gushiken Takamatsu called for the United States to cooperate in finding remains of those who died at the O-urazaki Civilian Detention Camp in the months during and immediately after the Battle of Okinawa (June – October 1945). Its location is within the US Marine base Camp Schwab in Okinawa,  built in 1957. At the memorial ceremony for the victims of internment, who were civilians mostly from Motobu Peninsula and Ie jima, held on June 23 this year, Natalie Allison, Gushiken’s translator, read out Gushiken’s message to “all the American soldiers based at Camp Schwab”:
6月23日、沖縄・辺野古の今では海兵隊基地「キャンプ・シュワブ」になっている場所には沖縄戦時、沖縄住民が収容された「大浦崎収容地区」があった。この収容地区には1945年6-10月、本部(もとぶ)半島や伊江島(いえじま)の住民らが収容され、マラリヤや栄養失調などで多くの人が死亡している。1957年にできたキャンプ・シュワブ内にはまだ多くの遺骨が残っていると予想する、遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」の具志堅隆松(ぐしけん・たかまつ)代表は、直接米軍に訴え遺骨調査を求めている。6月23日には大浦崎収容地区で亡くなった人々の「慰霊祭」がキャンプ・シュワブゲート前で開かれ、そこで具志堅氏は米国大使館へこう訴えた(英語版をナタリー・アリソン氏が代読)。
A message to all the American soldiers based at Camp Schwab,  Did you know that during the Battle of Okinawa, American soldiers built the Oourazaki Civilian Detention Camp here where many Okinawan people lost their lives. The main cause of death was starvation and malaria.The burial sites have not been investigated since the end of the war.The difference between the burial sites at Oourazaki Civilian Detention Camp and other civilian detention camps is that in 1956, soon after the end of the war, the area has been out of bounds in order to build Camp Schwab.  As a result, it is highly likely that their remains are still left there.
On a humanitarian basis, we urgently plea to survey the burial sites located inside Camp Schwab.  Gushiken Takamatsu
Founder of GAMAFUYA (NPO)
Volunteer Group for the Recovery of Human Remains from the Battle of Okinawa
元の日本語版は、
キャンプシュワブのアメリカ兵のみなさんへ 皆さんはご存じでしょうか。沖縄戦の時このキャンプシュワブはアメリカ軍が設営した大浦崎収容所という住民収容所であったことを。ここでは多くの住民が亡くなりました。 原因は飢餓とマラリアです。この基地内にある弾薬庫とビーチの間にある緑地(森)は数多くの死んだ住民を埋めた埋葬地です。その埋葬地は戦後一度も調査されたことはありません。大浦崎収容所の埋葬地が他の収容所の埋葬地と異なるのはキャンプシュワブ基地建設のため1956年という戦後の早い時期に立ち入り禁止にいなったことです。そのため埋葬地には多くの遺骨が残っている可能性が高いのです。
私たちは人道上の立場からキャンプシュワブ基地内の埋葬地の調査を希望します。 沖縄戦遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」
代表 具志堅隆松
After learning that the Japanese Government and Okinawa Prefecture went into Camp Schwab for investigation on the following day, June 24, Gushiken sent an email to the U.S. Embassy and U.S. military headquarters in Japan on September 5. See Ryukyu Shimpo’s report in English. See below for the full text of the email.

この「慰霊祭」の翌日、6月24日に実は県(平和援護・男女参画課)と国が遺骨収集に関連する立ち入り調査をしていたことが7月29日までにわかった(琉球新報の7月30日報道)。報道によると調査は「県の厚労省への申請に基づいたもの」で、調査には「厚労省と防衛相、県、遺骨収集情報センターの職員らと共に証言者の女性も同行した」とのことだ。しかし「女性の証言場所にはすでに建造物があり、確認が難しい状態だった」という。これについて具志堅さんは、女性の証言は埋葬地の一部にすぎず、その一部をもって全体を否定できないと、9月5日にあらためて米国大使館と在日米軍司令部に直接要請文をメールで送った(琉球新報9月6日報道)。県も国も通さず直接米国と交渉するという姿勢だ。

英語版、次に日本語版をここに掲載する:

A request to the Ambassador of the United Sates of America to Japan
I was told about the discussion between Captain Michael M Bosack, Aaron Snipe and Natalie Allison on the 16th August 2016. According to Ms. Allison, a survey took place inside Camp Schwab on the 24th June 2016 by the Japanese Government accompanied with a witness and other Okinawan respresentatives. It seems to have been decided that there are no human remains left because the ground had already been leveled and a building stood on top of the indicated location.
We know Oohama Toshiko [the witness] personally as we, Gamafuya NPO, introduced Oohama-san to the Nago Education Committee. We are also the first people to listen to Oohama-san’s story. We also know that Oohama-san can only provide evidence for one part of the burial site. We are currently arranging other witnesses including Yamakawa-san (Okinawa Times, 21st June 2016, Aragaki Ayako) and Matsuda-san who can provide further evidence to the location of the burial site.
First of all, the US Military are responsible for the remains of Okinawan War victims located in Camp Schwab. In order o build military bases during the Battle of Okinawa, the US Military forcibly removed residents of Matobu Town, Nakijin Village and Ie Island to what is now the location of Camp Schwab. Oourazaki Civilian Detention Centre was a compulsory detention centre that robbed Okinawan people’s freedom of movement. Furthermore, many people held at the detention centre were not provided food and are victims of starvation and the outbreak of malaria. The US Military broke International Law by causing mass death by abuse at a compulsory Civilian Detention Centre. We, Gamafuya NPO, can confirm at the very least, the deaths of more than 304 peoplel at Camp Oourazaki.
Matsuda-san, a survivor of the same Civilian Detention Centre recalled “400 souls”, a song sung inside the Detention Centre. This clearly indicates the death of 400 people. Oourazaki Detention Centre is one of many compulsory civilian detention centres. In Ginoza Village, 427 at Kochiya (古知屋) and 603 at Fukuyama (福山) Civilian Detention Centres refers to the known number of fatalities alone. At least 1017 of the 4000 people held at Oogawa (大川) Detention Centre in Kushi Village are the confirmed number of people who died. The difference between the burial sites at Oourazaki Civilian Detention Centre and other civilian detention centres is that in 1956, soon after the end of the war, the area has been out of bounds in order to build Camp Schwab.
I want to point out that the issue of collecting the remains of the war dead located inside Camp Schwab is an issue between the US Military and Okinawa. It is not a country-wide issue. The victims are Okinawan people and the cause is the US military. The damage caused has not yet been resolved. Therefore, the US Government has a responsibility to respond to the request of the Okinawan people. I question the necessity to involve the Japanese Government. The plan to build a military base on top of the burial site of Okinawan people whilst hiding behind the Japanese Government is an unforgivable violation of a humanitarian concern. Outside of Japan, this is unjust and unthinkable.
The US should facce Okinawan people, not the Japanese Government. We have the ability and qualifications to talk directly with the US Government. We request the following:
* A conference between the US Government and an Okinawan delegagtion concerning the investigation and excavation of human remains located inside Camp Schwab.
Gushiken Takamatsu Founder of GAMAFUYA NPO Volunteer Group for the Recovery of Human Remains frmo the Battle of Okinawa
駐日アメリカ大使への要請
内容の性格上儀礼的な挨拶は省略することを了承ねがいます。先にナタリー女史を通じて届けた「キャンプシュワブのアメリカ兵の皆さんへ」のメールはご覧になって頂けたでしょうか。小文ですが大事なことを書いてあります。8月16日にナタリー女史から大使館やUSFJとのやりとりがあったことを聞きました。それによると日本政府が6月24日に証言者や沖縄県を伴ってキャンプシュワブ基地内で現地確認を行い、地形に手が加えられていることを理由に犠牲者遺骨の存在には否定的とのことですが、証言者のOさんは私も知っています。なぜなら彼女に最初に聞き取りをしたのも名護市教育委員会に彼女を紹介したのも私達です。彼女の証言は埋葬地の一部にすぎません。その一部をもって全体を否定することはフェアーではありません。私達は新たな証言者を準備しています。そもそもキャンプシュワブに沖縄人の遺骨があるのはアメリカ軍に責任があります。沖縄戦当時アメリカ軍は本部・今帰仁・伊江島に基地を作るため住民を強制移動させました。その移動先が現在のキャンプシュワブだったのです。そこは「大浦崎収容所」と呼ばれ移動の自由も奪われた強制収容所でした。にもかかわらず食料はほとんど与えられず収容者は飢餓に陥りそこへマラリアが発生し多くの人が死んでしまったのです。これは国際法にも違反したアメリカ軍による住民強制収容所における集団虐待死です。私達が調べた範囲でも304人以上の死者が確認できます。同収容所生存者の松田さんの証言によれば当時、収容所内で歌われていた歌には「400の魂」という一節があり400人の死者があったことを示しています。この様な住民強制収容所は大浦崎収容所だけではありません。死者の数字が判明しているだけでも宜野座村の古知屋の収容所で427名、福山の収容所で603名、久志村の大川にいたっては4000人余り収容されていたうちの1017人が死んだと言われています。大浦崎収容書が他の収容所と異なる点は1956年という戦後の早い時期にキャンプシュワブ建設のため立ち入りができなくなったことです。そのため未収用の遺骨が多く残っている可能性が高いのです。
要点を申します。キャンプシュワブ内の遺骨収集の問題はアメリカ軍と沖縄の問題です。日本の国内問題ではありません。被害者は沖縄人であり原因はアメリカ軍です。被害はまだ解消されていません。キャンプシュワブ内で遺骨収集をさせてくれという沖縄の要求に対してアメリカ政府は答える責任があります。どうして日本政府を間に入れる必要があるのですか。日本政府の後ろに隠れて沖縄の現地人の墓の上に軍事基地を作ろうというのは人道上許されることではありません。日本以外の地域では考えられないことです。正義ではありません。アメリカは日本政府でなく沖縄人と向き合うべきです。私達はアメリカ政府と話し合う資格も能力もあります。私達は次のことを要請します。
◎ キャンプシュワブ基地内での遺骨の調査・発掘についてアメリカ政府と沖縄代表団で協議すること
沖縄戦遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」具志堅隆松 Gushiken makes his point clear that the United States government is directly responsible for finding these remains, as the deaths at the detention camps during and after the Battle of Okinawa were caused by the United States Army. We will see how the U.S. government will respond.   @PeacePhilosophy

強制収容所における死亡は、米軍がもたらした沖縄の住民の被害であることから、米国政府に対し、日本政府を介せず沖縄人と直接向き合えと要求するのは極めて全うである。 人道的対応を求める具志堅氏の訴えに米国政府はどう応えるのか。@PeacePhilosophy

乗松聡子: 沖縄と九条-私たち(日本人)の責任 Satoko Oka Norimatsu: Okinawa and Article 9 – Our Responsibility as Japanese

Posted: 21 Sep 2016 10:19 AM PDT

※コメントがかなり寄せられています。下方ご覧ください。

3年前、2013年の秋に大阪で開かれた「9条国際会議」に海外ゲストとして招かれ、立命館大学の君島東彦氏がモデレータを務めた「アジアと9条」という分科会の中で発言しました。そのときのために用意した原稿「沖縄と九条―私たちの責任」(「私たち」とは「日本人」のことです)に今回少し手を入れたものを共有します。3年前の原稿を微修正だけで出すのは、残念ながら沖縄の迫害の状況は全く変わっていないからです。変わっていないどころか、辺野古新基地建設計画、北部訓練場ヘリパッド建設、伊江島米軍基地機能強化、沖縄離島の自衛隊配備など、自衛隊と米軍の進む一体化運用の中で日米による沖縄の軍事植民地としての搾取は減るどころかますます悪化しているからです。

また、なぜ今掲載かというと、2つ理由があります。1つは、出版の計画があったため、このトピック(日本人の沖縄への責任)については小出しにしないでまとまった発表形態を取ろうと思っていたからです。しかし事情も変わり、この件について意見を持っている自分も公にしっかり表明していかなければいけないと思ったからです。沖縄に過重に負担させている米軍基地を日本に「引き取る」という「県外移設」もいろいろな場面で議論されるようになってきているというのもあります。もう1つは、来る9月25日に開催されるシンポジウム「9.25シンポジウム ヤマトンチュの選択―問われる責任、その果たし方」(写真のチラシ参照)がまさしく自分の主要テーマにかかわるものであり、自分も意見表明によってこのシンポに間接的に参加する「責任」を感じたからです。「県外移設」をめぐる議論の本質の問いは、「日本が沖縄に対する植民支配と差別をどうやめていくか」ということです。参加する一人一人が、立場や意見の相違にかかわらず、日本人としてその問いに自分がどう向き合いどう行動するかが問われていると思います。 @PeacePhilosophy 乗松聡子

2013年10月13,14日 九条世界会議@大阪 「アジアと九条」分科会 

沖縄と九条-私たちの責任

乗松聡子(カナダ:ピース・フィロソフィー・センター代表)

はじめに

自分について

自分は日本出身、高校時代2年を含めて通算約20年カナダ西海岸に住んでいる。2004年に始まった「バンクーバー九条の会」を作る動きに加わったことから、戦争の記憶と平和、社会正義や人権といった分野で、英語と日本語を使って教育活動や執筆をするようになった。2006年末からは「ピース・フィロソフィー・センターPeace Philosophy Centre」を立ち上げ、広島長崎の記憶や福島の核事故を中心とした核問題、アジアの戦争記憶、歴史認識問題、米軍基地問題、公正な世の中を作るための「市民力」を育む活動をしてきている。日本の「九条の会」呼びかけ人だった故・加藤周一氏は、「外国語を学ぶのは政府の嘘を見破るためだ」と言っていた。日本に届かない情報を日本語で届け、日本に留まりがちな情報を英語で世界に届ける努力をしてきている。今カナダではバンクーバーだけではなくトロントやモントリオールにも九条を守ろうというグループができており、広大な国だが東西がつながっている。

アジア各地域の人々と共に九条と戦争をかたる

「アジアと九条」を語る場で忘れてはならないのは無論戦争の記憶である。日本がアジア太平洋全域を侵略しアジア同胞を殺し苦しめた歴史がなければ日本国憲法、九条はなかったであろう。日本は戦後、現在にいたるまで、アジアの一員として本当に復帰はしていないように見える。その典型が日本人の内向きな戦争記憶だ。広島・長崎の原爆被害や空襲被害、戦時の窮乏など、どれも重要だがそこまでに留まっている。日本人が「300万人が死んだあの戦争」と語るとき、深く認識欠如を感じる。日本人の死者の数しか勘定に入れていないからだ。領土問題を語るときも、多くの日本人はその背後に横たわる侵略と植民地化の歴史と記憶をほとんど知らない。そのために日韓、日中の間に修正困難な認識のギャップがある。マレー半島、フィリピンをはじめ東南アジアへの侵略については中国や朝鮮半島に対する危害以上に知らない。

日本の歴史観は課題が多いが、戦争の教訓と反省と共に採用した日本国憲法は重要なものであると思う。私は、日本国憲法は、国籍を問わず、帝国日本に殺され蹂躙された全ての人々の無念や怒りを背負っているものだと思っている。殺された何千万人もの声なき声を背負って日々の活動をしているつもりだ。その中には今日ここにいるアジアの仲間の家族や親戚、その隣人たちが含まれているはずだ。それだけに今日の集まりの重みを感じ、皆さんとの出会いを有難く思う。戦争体験者が死にゆく中、体験が風化すると危ぶむ声があるが、だからこそ戦争の反省の上に作られた平和憲法を守り生かすことが大事なのである。「戦争体験者がいないと保てない平和」という考えに根本的なパラドックスがある。それが本当だったら人間は常に戦争をやり続け「戦争体験者」を生み続けなければ平和は創れないという矛盾した論理となる。戦争体験者がいなくても平和を創るために、憲法があるのだ。

v  自分と沖縄のつながりのはじめ

バンクーバーで2006年6月に開催された「世界平和フォーラム」にバンクーバー九条の会の一員として参加した。今にしてみれば、6月26日ブリティッシュコロンビア大学での「日本の憲法9条平和のための人類共通の宝」会議での体験が自分の沖縄とのつながりの原点だった。君島東彦さん(立命館大学)や、今回海外ゲストとして来ているロベルト・サモラさんやピースボート共同代表の川崎哲さんとパネルを共にしたが、我々パネリストが長く話すぎて、沖縄から参加していて発言を希望した平和教育家・活動家の大西照雄さんの時間がなくなってしまった。最後「一分で」と言われた大西さんは、「沖縄のことは一分では話せない」と言って発言を拒否、会場には気まずい空気が流れた。振り返ると、その後の自分がたどったのは、あの沈黙から受け取ったもの、あのとき大西さんが言おうとしていた言葉を見つけ出すための道のりだったような気がする。あのとき、我々が話し過ぎて大西さんの時間を奪ったことは、9条と安保の矛盾を沖縄に押し付けながら「平和」を装う日本の罪を、まさに象徴していた。大西さんは今年の6月、がんで亡くなった。貴重な時間と自らの健康を沖縄への暴力と迫害に対する抵抗運動に費やさざるをえず、たたかいの中で死んでいった。今回の会議ではあのとき大西さんの(すなわち沖縄の)時間を奪った、私を含む「共犯者」たちの多くが一堂に会していることに意義を見出す。私は今回ここに大西さんと一緒に参加しているつもりだ。

九条と沖縄

憲法は沖縄、朝鮮、台湾を切り捨てることにより始まった

日本国憲法を語る際、忘れてはならないのは、憲法が切り捨てた人々である。1945年12月の衆議院議員選挙法改正で女性は参政権を得たが、朝鮮人・台湾人の選挙権は停止され、米軍政下にあった沖縄も施行の例外扱いとなった。現憲法を審議した46年の国会に沖縄選出議員はいなかった。新崎盛暉氏は、『新崎盛暉が説く構造的沖縄差別 』(高文研)の中で「平和憲法は、沖縄を除外することによって成立した」という。また、憲法制定の段階で日本側は、法の下の外国人平等が保障されることのないように占領軍案を変更した。施行の前日、天皇は最後の勅令「外国人登録令」を出し、在日朝鮮人と台湾人を外国人とみなし、憲法から切り捨てた。

日本からの侵攻、併合、「捨石」とされた沖縄戦と米軍占領

沖縄は独立した琉球王国であったが、1609年に薩摩の侵攻を受け、1879年には武力で日本に併合され王国が滅ぼされた。龍谷大学の松島泰勝氏は『琉球独立への道』(法律文化社、2012年)において、この「琉球処分」として知られるものを「国際法においても違法な琉球併合」と指摘した。「戦後、北朝鮮と韓国はそれぞれ独立したが、同じように廃位、廃国された琉球は現在も日本の植民地のままである」(13頁)という記述を読んであらためて思った。この「アジアと九条」という分科会の中で、沖縄と、ここに参加している韓国、台湾、中国、ベトナムには共通項目がある。どこも日本の植民地化や侵略を経た国や地域だということだ。沖縄はとりわけ、現在進行形で日本の迫害を受け続けている植民地なのだ。

1963年生まれの松島氏が1972年の沖縄の日本への「復帰」の頃、学校で「方言札」の体験をしていたと知ってショックを受けた。これは戦前戦中に行われていた強制同化教育の一環と思っていたので、自分と同世代の氏が小学校時代に体験しているとは、改めて自分の認識の甘さを痛感した。

カナダでも19世紀後半から20世紀終盤まで、先住民の子どもたちが寄宿学校に入れられて地域、家族、言語、文化、誇りを、政府と教会組織により徹底的に剥奪された。日本人のほとんどは被植民地化の体験がないからこのような民族抹消政策のことを聞いても「かわいそう」程度にしか思わないのではないか。私もそうだった。私は日本に日本人として生まれた。ある国や地域で主流派の一員として育った人間にとって、差別される民族や植民地化された人々の、世代を超えたトラウマを理解するのは相当の勉強と想像力が必要である。自らが差別される体験をした方がいいと思うときさえある。学校で日本語を話したら舌に針を刺されたり、「野蛮な日本人性は洗い流さなきゃだめね」と言って体を洗われたりする屈辱を想像してみてほしい。子を持つ親は、自分の子がそのようにされることを想像してみてほしい。これらはカナダの寄宿学校での例だが、沖縄も併合後、同化教育、皇民化教育が行われ、日本人になる教育が徹底的に行われた。

沖縄では強制併合後、同化教育、皇民化教育が徹底的に行われた。挙句の果てに太平洋戦争時は日本の国体(天皇制)を守る盾、あるいは「捨石」として使われ、約50万の県民は徴兵・軍協力・労働を強いられた。地上戦に巻き込まれて米軍から攻撃を受け、友軍であるはずの日本軍からも守られることはなく虐待・虐殺され、15万にも及ぶ県民が殺された。日本人にならされた上に日本人扱いされず裏切られたのである。世代を超えて人々の心に深く残る沖縄戦のトラウマは、日本人が想像するとすれば、植民支配された挙句、日本全土が陸戦となり2千万人が殺されたと思えばどうか。

 

沖縄は日本から切り離され米軍直接統治下に置かれ、日本が新憲法によって得た民主主義、平和主義や基本的人権とは無縁の27年間を送った。1952年にはサンフランシスコ平和条約で日本は主権を回復したが沖縄は形を変えて引き続きアメリカの支配下に置かれた。この条約によって沖縄などを、アメリカを「唯一の施政権者とする信託統治制度の下におく」との提案が国連にされた場合日本が同意すること、それまではアメリカが沖縄に対する「行政、立法および司法上の権力の全部及び一部」を行使するとされたのである。『憲法と沖縄を問う』(法律文化社、2010年)第一章で井端正幸は当時国際法規となっていた「領土不拡大の原則」、国連憲章にうたわれた「人民の同権および自決の原理」や「主権平等の原理」に照らし合わせるとこれは国際法違反であった疑いがあると言っている(7頁)。

ファシスト日本から沖縄を救ったかに見えた「民主主義国家」米国は沖縄という「戦果」を人権や民主主義とは無縁の価値観で扱い、頻発する米軍の事故や犯罪が正当に裁かれることはなく、その間に新基地建設、日本の米軍の沖縄移動が加速した。沖縄には日本国憲法もアメリカ合衆国憲法も適用されない「憲法番外地」であった(井端、同頁)。

沖縄は日本国憲法を求めて「復帰」、そして再び裏切られる

 沖縄は日米が決めた沖縄の日本への「復帰」「返還」を経て日本の憲法が自分たちに適用されることを求めたが、実際は米軍基地が集中させられた現状はほとんど変わらず今に至っている。日本は日本国憲法を頂点とした「憲法法体系」と同時に日米安保条約を中心とした「安保法体系」(日米地位協定など)が同時にあるが、実際は後者が前者を浸食し続けた(井端、同頁)。沖縄の「復帰」は、米軍基地を「安保法体系」に編入したという意味に過ぎなかった(前掲書新垣勉、第2章14頁)。現在の日本において、自分たちが求めてたたかって憲法を得たのは沖縄だけだ。それなのに、日本の一部となったとき憲法と一緒になってついてきた、いや憲法の上段に置かれたのがこの「安保法体系」だった。

よく、「日本の米軍専用基地の74%が、面積が日本の0.6%しかない沖縄に集中させられている」という数字が使われているが、それはどういう意味を持つのか。同じ面積を取ったら、そこにある米軍基地の面積は、沖縄では日本の472倍という計算になる。想像を絶する不平等だ。基地のある陸地だけでなく、空や水域までもが演習用に占領されている。そして基地があれば起こる事件、事故、犯罪や騒音、環境汚染はその地域全体で負わなければいけないリスクだ。

戦後も戦争ばかりやってきた米国の基地とされた沖縄は、戦争放棄や戦力不保持、交戦権禁止からは無縁であり、「武力の威嚇」のもとで戦後を送ってきている。したがって九条が適用されたことはいまだかつてないと言える。「復帰」40年たっても日本は沖縄への責任を果たしていない。それなら、沖縄は独立して独自に自らの憲法に「九条」的な非戦非武装条項を設け、松島泰勝氏が述べるように、琉球は国として日本から分かれ、『戦争の島』から『平和な島』へと生まれ変わるというビジョンを具体的に掲げるのは理にかなったことだ。沖縄が求めた日本国の憲法は、日本国から離れることによってしか実現できないのだとしたら誠に皮肉なことである。

日本と沖縄

「独立論」について

日米による沖縄への仕打ちがあらゆる民主主義的方法を使って訴えても変わらないということもあり、沖縄では独立の気運がだんだん高まってきている。「琉球民族独立総合研究学会」という学会もできているし、松島氏のように独立に向けて現実的な理論体系を築いている人たちがいる。それに対する日本の反応はどうか。日本の人たちは沖縄の独立の可能性に脅威を感じ「封じ込め」ようとする人たちが多いような気がする。独立はできれば避けたい、基本的には、してはいけないことである、という前提があるとしたら私はそれに疑問を投げかけたい。

オリバー・ストーンが8月に来沖した際、沖縄平和祈念資料館見学 の後に囲み取材があったが、ある日本のジャーナリストが「沖縄の独立論をどう思うか」と聞いた。あのときオリバーは賢明な答えをしていた。「沖縄の独立について私は意見を述べる立場にはない I am not in a position to state my opinion about independence of Okinawa」と。独立するかしないかは当事者たちの決定であり、外部の人間、ましてや植民者として沖縄を支配してきた日本人がこうしろとかああしろとかいう権利はない。ヤマト人の「こうしろああしろ」に辟易して自己決定権を発揮し独立するのだから!日本で、沖縄の味方と称する人たちにも「僕は沖縄独立論者だ」とか「やっぱり沖縄は日本であってほしい」とか言う人がいるが、その辺の矛盾がわかっていないのではないかと思う。沖縄の独立を云々する前に、沖縄が独立を叫ぶようになった背景としての、日本による沖縄の長年の迫害に直面し是正することこそが、私たち日本の人間の責任ではないか。しかし根本は、独立してもしなくても自己決定権は尊重されなければいけない。沖縄の決定を日本側は尊重し、受け入れて適応していくのだ。沖縄が独立を選んだら、日本の一部としての沖縄を守るどころか危害を加え続けたことを認めて謝罪し、対等の国同士として外交関係を築き直すべきである。沖縄が独立を選ばなくとも、過去の蛮行に償う努力をしながら現在の不平等を解消し、沖縄の尊厳と人権、文化と伝統を尊重し、対等な関係を築くように全力を尽くすべきだ。

安保を容認しながら九条や反核を訴える矛盾と、沖縄への基地押し付け

沖縄のことを学ぶようになってから、日本の平和運動とか憲法9条を守る運動や反核運動は非常に矛盾に満ちたものだと思うようになった。4月の核拡散防止条約2015年再検討会議準備委員会で、南アフリカなど非核保有国が「いかなる状況下でも核兵器が使用されないことが人類生存のためになる」という「核兵器の人道的影響に関する共同声明」を出したが、日本政府は賛同しなかった。これに対して平和運動家たちが怒りを表明したが、そういう時こそ私たちは自らを振り返らないといけないのではないか。日本政府は米軍基地と核の傘の幻想のもとに安全保障策をとっている。それに対して日本の人たちは7、8割が安保を認めているというデータがある。
安保を認めながら反核とか9条を守れとか、どうして言えるのか。日本は北朝鮮やイランの核保有を責める前に、核使用国、大量保有国である米国を責め、そしてその米国と同盟を組んでいる自分たちを責めないといけない。日米安保をやめよう、新しい日米関係を築こうという形で運動しないといけない。安保を温存しておいて、その中で平和とか反核とか言っても説得力がない。自戒を込めて言っている。どうして私たちは普段から、反核や平和運動に費やす同じぐらいの情熱で脱安保を叫ばないのか。それは、安保のつけ、つまり米軍基地被害の大半を沖縄に押しつけたままでいるからではないか。

偽善的植民者からの脱却を

1948年、冷戦に日本を利用するために米国の陸軍省は日本の憲法を変えて再軍備をする提案をした。米国務省の冷戦戦略のブレーンであったジョージ・ケナンが同年、占領中の日本に来て、マッカーサーと会話をしたとき、マッカーサーは日本の再軍備には反対しながら沖縄の重要性を強調し、沖縄に十分な米軍、特に空軍があれば日本を守れるとした(Foreign Relations of the United States, 1948, Volume VI, PP.699-712)。このように米国にとって、「沖縄の米軍基地と日本の憲法九条は同じ政策の裏表」となった(ラミス『要石:沖縄と憲法九条』晶文社、2010年、188-9頁)。

こうやってそもそもセットとしてスタートした九条と沖縄米軍基地がサンフランシスコ条約における沖縄切り離しによって強化され、「復帰」による日米安保体制の沖縄への適用でさらに強化され、17世紀以来の日本人の沖縄への植民地主義を背景にますます強化されて今日にいたる。ということは、沖縄をそのままにしている限り、私たちは九条を守ろうとすればするほどその「セット」としての構造を肯定し強化していることになる。九条の美しい平和主義を唱えながら沖縄を抑圧、差別する偽善的植民者としての自分たちを強化してしまうのである。したがってこの偽善から脱却するには九条擁護だけではなく脱安保のために真剣に運動しなければいけない。そして、脱安保が実現するまでは、日本が置くと合意した米軍基地は、沖縄ではなく日本に置くべきである。つまり脱安保運動をしながら、安保をなくすまでは米軍基地は本来あるべき日本に戻すということである。安保がなくなるまで、と沖縄に我慢させようとする人もいるかもしれないが、沖縄にしてみれば「復帰」後40年間起らなかったことがこれからすぐ起こるとどうしたら信じられるのか。沖縄をこのままにして平和と人権を奪い続ける九条運動はそれこそが日本国憲法違反だ。逆に、偽善と植民地主義から脱する行為により、平和と人権をうたう日本国憲法実現により近づくと言えるのではないか。沖縄への責任を果たすことは、沖縄だけでなく日本のためでもある。

(質疑応答時間で、米軍基地は沖縄ではなく日本に置くべきであるとの発言への反論を受けて)基地は誰だって嫌である。しかし誰だって嫌なものをどうして私たちは沖縄に押し付けてそのままでいられるのか。私たち日本人は沖縄に対し、現在進行形の差別と植民地主義の加害者であるという意識がなさすぎるのだ。私たち「平和主義者」はいつも米国が悪い、自民党が悪いと他者を責めて自分は何かいいことをやっている気になっている。だから自分が加害者であることを突きつけられると居心地が悪い。反論するのは自由だが、その居心地の悪さから逃げないでほしい。

沖縄と対峙する日本-変えるのは私たち自身

もう一つ私たちの無責任さを表している現象があって、それは私たちがよくとなえる沖縄との「連帯」とか沖縄への「応援」、さらに「賞賛」と言ってもいい意識である。私は沖縄の現状に対する日米の責任を知れば知るほど、これらの概念に違和感を持つようになった。行動をともにする米国人には「沖縄市民の抵抗運動に支持を表明したい」と言う人がいる。これは善意に基づいた言葉であるとは思うのだが、やはり私は聞くたびに違和感を覚える。そもそも運動を起こさなければいけなくなる状況を作ったのは自分たち米国なのだから、米国政府と米国の軍隊に、沖縄への迫害をやめろと働きかけるのが米国人としての第一の責任なのではないかと。

沖縄の地道な運動、体を張っての基地建設反対運動に携わる人々を英雄視する傾向についても、そもそもの問題への自らの加担から目を背けている無責任さがある。他のことができているはずの貴重な時間を沖縄の人たちに費やさせて運動をしないといけないような状況に追いやっている張本人、真犯人は我々日本人と、米国人なのだ。沖縄の運動や抵抗を褒めるのではなく、沖縄の人々がこのような運動をしなくてもいいように、日本と米国を変えていかなければならない。

沖縄の運動に加わるために日本人が沖縄に行ったり沖縄に移住したりすることは、沖縄の「味方」の日本人にとって心地いいことである。しかし上にも書いたように日本人が沖縄に対峙するというのは九条と引き換えに沖縄に基地を押しつけそのままにしておいた自分たちに直面することであり心地いいわけがないことなのである。それで何かやっている気になって自己満足になってはいけないと思う。これは自分自身に対して言っていることだ。沖縄のことをがんばっている(と思っている)私たち日本人は沖縄の人たちに感謝されることも多く、それでいい気になってしまいがちだ。そして感謝して気もちよくしてくれる人とばかり仲良くしたがり、自分たちがいまだに加担している差別や抑圧のことを指摘する人は煙たがって避ける。それではいけないと思う。感謝されても、沖縄の現状を変える結果を生み出していない限りいい気になってはいけない。「連帯」とか「応援」とか心地いい世界では決してない。

私たち日本人の責任は、「連帯行動」をすること以上に、沖縄に迫害を与え続けている集団の一部としてこの集団自身を変えていくことだ。それこそが私たちが守りたい九条の、日本国憲法の精神に沿った行為なのである。そして沖縄の現状をそのままにしたうえでの九条運動は、たとえ九条が守れたとしても、九条と日本国憲法そのものに反する行為なのだ。

(終)

※これは、2013年10月13日関西大学において開催された「9条国際会議」の分科会「アジアと九条」の中での発表のために用意した原稿を、2016年9月、ブログでの共有のために微修正したものです。実際の発表で話したのはこの文の要旨でありこの通り話したのではありません。質疑応答の中でやり取りされた内容の一部も文中に挿入してあります。

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目を覆うばかりの極右内閣: 第3次安倍晋三再改造内閣の超タカ派(極右)の大臣たち(俵義文)

Posted: 14 Sep 2016 11:19 AM PDT

俵義文著『日本会議の全貌』
花伝社、2016年6月。

2016年8月3日にスタートした第3次安倍内閣の2度目の改造内閣の面々の分析をいつものように「子どもと教科書全国ネット」の俵義文(たわら・よしふみ)氏が分析した結果を提供いただいた。NHKが9月12日に発表した最新の世論調査(9月9日から3日間にわたって実施)では内閣支持率はなんと4%上がって57%であるという。昨年「戦争法制」強行成立で支持と不支持が逆転したときから1年、日本人は人の命にかかわる法制に対する抵抗も安倍のマリオ変装で完全にのど元過ぎてしまうほどの愚民なのか。過半数が支持する内閣の面々がいかに時代錯誤、憲法軽視、女性や外国人蔑視、近隣諸国に牙をむける好戦的な人間たちなのか、この表をみて再認識したい。特に所属団体が表の中で3行以上に及ぶ安倍晋三、高市早苗、稲田朋美、衛藤晟一、萩生田光一、義家弘介、下村博文、古屋圭司、目を覆うばかりの極右ぶりだ。@PeacePhilosophy

【資料】 第3次安倍晋三再改造内閣の超タカ派(極右)の大臣たち

2016年9月8日改訂 俵 義文(子どもと教科書全国ネット21)作成

大 臣  氏 名  所属の議員連盟など
総 理 安倍 晋三 歴史、日本(特別顧問)、教科書(顧問)、神道(会長)、靖国、改憲、同盟(顧問)、創生(会長)、拉致(顧問)、「慰安婦」、親学(会長)、人格(最高顧問)
副総理・財務・金融 麻生 太郎 日本(特別顧問)、神道、靖国、教基法(顧問)、改憲、同盟、創生(副会長)、拉致(顧問)
総 務 高市 早苗 日本(副会長)、教科書(幹事長代理)、神道、靖国、若手靖国、教基法、改憲、創生(副会長)、反日教組、拉致、「慰安婦」、人格(顧問)
法 務 金田 勝年 日本、神道、靖国、改憲、(参)
外 務 岸田 文雄 歴史、日本、教科書、神道
文部科学・教育再生 松野 博一 日本、神道、創生(委員)、「慰安婦」
厚生労働 塩崎 恭久 日本、教科書、神道、靖国、改憲、創生(副会長)、(参)
農林水産 山本 有二 日本、神道、靖国、創生(委員)、「慰安婦」
経済産業 世耕 弘成 日本、神道、靖国、改憲、同盟、創生(副会長)、反日教組、「慰安婦」 (参)
国土交通・水循環 石井 啓一  (公明党)
環境・原子力防災 山本 公一 日本、神道、靖国
防 衛 稲田 朋美 日本(政策審議副会長)、教科書、神道、靖国、同盟、創生(事務局長代理)、正しい(事務局長)、南京、反中国(事務局長)、W・P、「慰安婦」、拉致(幹事)
復興・福島原発再生 今村 雅弘 日本、教科書、神道、靖国、改憲、創生(委員)、正しい
国家公安・防災 松本 純 神道、靖国、改憲、同盟、創生(委員)、反日教組
沖縄・北方 鶴保 庸介 神道、靖国、改憲、同盟、反日教組、(参)
経済再生 石原 伸晃 神道、改憲、同盟(副会長)、創生(委員)
1億総活躍・働き方改革・拉致 加藤 勝信 日本(副幹事長)、神道、靖国、若手靖国、同盟、創生(元事務局長)、文化
地方創生・行政改革 山本 幸三 日本、靖国
オリンピック 丸川 珠代 日本、神道、靖国、創生(事務局次長) (参)
官房長官・沖縄基地 菅 義偉 日本(副会長)、教科書、神道、靖国、改憲、拉致、創生(副会長)
 首相補佐官
教育再生・少子化

その他の国政の重要課題

衛藤 晟一 歴史、日本(幹事長)、教科書(会長代行)、神道、靖国、教基法(副委員長)、改憲、同盟、創生(幹事長)、反日教組、拉致(副会長)、「慰安婦」、正しい (参)
ふるさとづくり推進・文化外交 河井 克行 神道、靖国
国家安全保障・選挙制度 柴山 昌彦 日本、神道、靖国、創生(委員)、反日教組
 内閣官房
官房副長官 萩生田 光一 日本(元事務局長)、教科書(沖縄問題小委員長)、神道、靖国、若手靖国、同盟、創生(前事務局長)、反中国(幹事長)、正しい(幹事長)、人格(副幹事長)、文化
官房副長官 野上 浩太郎 日本、神道、改憲、同盟(事務局次長)、創生(委員) (参)
 副大臣  氏 名  所属の議員連盟など
復 興 橘 慶一郎 神道
復 興 長沢 広明 (公明党) (参)
内 閣 府 石原 宏高 日本、神道、靖国、拉致
内 閣 府 越智 隆雄 日本、同盟、創生(委員)
内 閣 府 松本 洋平 日本、神道、靖国、同盟、創生(委員)、W・P
総 務 原田 憲治 神道、靖国
総務・内閣府 赤間 二郎 神道、靖国
法務・内閣府 盛山 正仁
外 務 岸 信夫 日本、神道、靖国、改憲、創生(委員)、「慰安婦」
外 務 薗浦 健太郎 日本(幹事)、神道、靖国、同盟、創生(委員)、W・P、文化
財 務 大塚 拓 日本、神道、同盟、南京、W・P
財 務 木原 稔 日本(幹事)、教科書、神道、靖国、創生(事務局長)、拉致、W・P、文化(代表)
文部科学 義家 弘介 日本、教科書(事務局長)、神道、創生(事務局次長)、親学、反日教組(幹事長)、「慰安婦」、人格(幹事)
文部科学・内閣府 水落 敏栄 日本、神道、靖国(事務局長)、反日教組 (参)
厚生労働 橋本 岳 日本、神道、靖国
厚生労働 古屋 範子 (公明党)
農林水産 齋藤 健 日本、神道、創生(委員)
農林水産 礒崎 陽輔 日本(政策副会長)、神道、靖国、改憲、同盟、創生(委員) (参)
経済産業 松村 祥史 神道、靖国、創生(委員) (参)
経済産業・内閣府 高木 陽介 (公明党)
国土交通 田中 良生 靖国
国交・内閣・復興 末松 信介 日本、神道、同盟、創生(委員) (参)
環 境 関 芳弘 神道、靖国
環境・内閣府 伊藤 忠彦 神道、同盟
防衛・内閣府 若宮 健嗣 靖国
大臣政務官  氏 名  所属の議員連盟など
内閣府 武村 展英 日本、神道、靖国
内閣府 豊田 俊郎 日本、神道、創生(委員)
内閣府・復興 務台 俊介 靖国 (参)
総 務 金子 めぐみ 日本、神道、靖国
総 務 冨樫 博之 日本、神道、靖国
総務・内閣府 島田 三郎 (参)
法務・内閣府 井野 俊郎
外 務 小田原 潔 日本、人格
外 務 武井俊輔 日本、神道、靖国
外 務 滝沢 求 日本、神道、靖国、創生(委員) (参)
財 務 杉 久武  (公明) (参)
財 務 三木 亨 神道、靖国 (参)
文部科学 樋口 尚也  (公明)
文科・内閣・復興 田野瀬 太道 教科書、神道、靖国
厚生労働 堀内 詔子 日本、神道、靖国
厚生労働 馬場 成志 日本、神道、靖国、創生(委員) (参)
農林水産 細田 健一 日本、神道、靖国
農林水産 矢倉 克夫 (公明党) (参)
経済産業 中川 俊直 神道
経産・内閣・復興 井原 巧 日本、神道、靖国、創生(委員) (参)
国土交通 藤井 比早之 日本、神道
国土交通 大野 泰正 神道、靖国 (参)
国土交通・内閣府 根本 幸典 日本、神道、靖国
環 境 比嘉 奈津美
環境・内閣府 井林 辰憲 日本、神道、靖国
防 衛 小林 鷹之 日本、神道
防衛・内閣府 宮澤 博行 日本、神道、靖国、創生(委員)、文化
自民党役員  氏 名  所属の議員連盟など
副総裁 高村 正彦 神道、靖国、同盟(副会長)、拉致(顧問)
幹事長 二階 俊博 靖国、改憲、同盟(副会長)
幹事長代行 下村 博文 日本(副会長)、教科書(幹事長)、神道、靖国、若手靖国、教基法(委員長代理)、改憲、同盟、創生(副会長)、反日教組、正しい、「慰安婦」、親学(事務局長)、人格(会長)
幹事長代理 林 幹雄 日本、教科書、神道、靖国、改憲
幹事長代理 望月 義夫 日本、神道、靖国
幹事長代理 岡田 直樹 神道、靖国、創生(事務局次長)、同盟(事務局次長) (参)
筆頭副幹事長

*総裁特別補佐

西村 康稔 日本、神道、靖国、教基法(事務局次長)、創生(副幹事長)、拉致(副幹事長)
総務会長 細田 博之 歴史、神道、靖国
政調会長 茂木 敏光 日本、神道、靖国、改憲
選対委員長 古屋 圭司 日本(副会長)、教科書(会長)、神道、靖国、教基法(委員長)、改憲、創生(会長代理)、反日教組、反中国(副会長)、正しい、米抗議、拉致(幹事長)、「慰安婦」
広報本部長 平沢 勝栄 日本、教科書、神道、靖国、改憲、同盟(事務局次長)、創生(委員)反日教組
国対委員長 竹下 亘 日本、神道、靖国、改憲
参・議員会長 橋本 聖子 日本(幹事)、教科書(幹事)、靖国、教基法(副委員長)
参・議員副会長 中川 雅治 日本、神道、靖国、創生(委員)、同盟、反日教組
参・幹事長 吉田 博美 神道、靖国、改憲
参・幹事長代行 関口 昌一 神道、靖国、創生(委員)
参・政策審議会長 愛知 治郎 日本、神道、改憲、拉致
参・国対委員長 松山 政司 日本、神道、靖国、改憲、教基法(理事)、同盟

※議員連盟の略字の説明

*歴史=自民党歴史・検討委員会

日本=日本会議国会議員懇談会(「日本会議議連」)、衆参281人(2015.9.15現在)

教科書=日本の前途と歴史教育を考える議員の会(「教科書議連」)

神道=神道政治連盟国会議員懇談会(「神道議連」)、衆参326人(2016.5.30現在)

靖国=みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会(「靖国議連」)、衆参362人(2016.5.30現在)

若手靖国=平和を願い真の国益を考え靖国神社参拝を支持する若手国会議員の会

創生=創生「日本」、安倍が会長の「戦後レジーム」からの脱却、改憲をめざす超党派議員連盟(大部分は自民党)で事実上の「安倍議連」。2010年2月5日の発足時は75人、安倍政権誕生10か月後の13年10月29日の総会時に190人に。15年11月28日に2年ぶりに開催した研修会で190人の国会議員が加入と発表。

改憲=憲法調査推進議員連盟(超党派の「改憲議連」)

同盟=新憲法制定議員同盟(超党派の「改憲同盟」)

教基法=教育基本法改正促進委員会(自民・民主による超党派議連)

拉致=北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟(「拉致議連」)

正しい=正しい日本を創る会

反中国=中国の抗日記念館から不当な写真の撤去を求める国会議員の会

南京=映画「南京の真実」賛同者

W・P=米「ワシントンポスト」への「慰安婦」否定の意見広告に賛同した議員

米抗議=アメリカ下院の「慰安婦」決議への抗議文に署名した議員

「慰安婦」=米・ニュージャージー州「スターレッジャー」に「慰安婦」否定の意見広告に賛同した議員

反日教組=日教組問題を究明し、教育正常化実現に向け教育現場の実態を把握する議員の会

親学=親学推進議員連盟。高橋史郎が理事長の親学推進協会と連携して2012年4月に設立

人格=人格教養教育推進議員連盟。14年6月10日設立の超党派議連。道徳の教科化などを推進。70人。

文化=文化芸術懇話会。自民党の若手タカ派議員によって15年6月25日の初会合で正式発足。作家の百田尚樹を講師に招いた同日の会合で、マスコミをこらしめるには広告料収入をなくせばいい。文化人が経団連に働き掛けてほしい」「悪影響を与えている番組を発表し、そのスポンサーを列挙すればいい」などの意見が出て、大きな問題になった。

※これらの議連など解説は俵義文ほか共著『軍事立国への野望』(かもがわ出版)又は『安倍晋三の本性』(金曜社)、『日本会議の全貌―知られざる巨大組織の実態』(花伝社)を参照

※参考(数字は人数、比率)

大 臣 首相補佐官 官房副長官 副大臣 政務官    合 計
日本 16 80.0%         2         2    13    15 49 63.6%
教科書  7 35.0%         1  1     2     1  11 14.3%
神道  18 90.0%         3         2    18  19  60 77.9%
靖国  16 80.0%         3         2    13    17  51 66.2%
創生  14 70.0%         2         2    10     5  33 42.9%
改憲  11 55.0%         1         1     2    15 19.5%
同盟   7 35.0%         1         2     6    16 20.8%
「慰安婦」   6 30.0%         1         2     5    14 18.2%

*大臣20人、首相補佐官3人、官房副長官2人、副大臣25人、政務官27人 計77人

*「慰安婦」の集計にはW・Pと「慰安婦」の合計を集計した


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