朝日新聞 2016年12月19日
日本のカトリック教会が原発をめぐる思索を深めている。5年前にも即時廃止を呼び
かけたが、11月11日に発表した司教団メッセージでは信仰の視点からの検討が厚み
を増した。再稼働や原発輸出を進める政府も事実上批判している。
■メッセージや書籍で…「即時廃止」強める
司教団は全国の司教(現在16人)の総意として教会の方向性を決める。2001年
には、21世紀を迎えてのメッセージのなかで核エネルギーの問題に触れた。「その有
効利用については、人間の限界をわきまえた英知と、細心の上に細心の注意を重ねる努
力が必要でしょう」。代替エネルギーの開発を求めてはいるが、原発容認の内容だった
。
しかし東日本大震災で、福島第一原発の事故が起きた。痛切な反省から11年のメッ
セージは、国内すべての原発の即時廃止を呼びかけた。ただ神学的な根拠としては、神
から求められる生き方である「単純質素な生活様式」を選び直すべきだ、とする程度に
とどまった。
その後も議論は続く。刺激となったのは、やはり多くの原発を抱える韓国の教会が発
した声だった。
福島の事故に衝撃を受けた韓国カトリック司教協議会は13年、冊子「核技術と教会
の教え」をまとめた。「(核の技術は)生存権と環境権をひどく傷つけ、また、人権に
反するものとして、キリスト教の信仰の出発点であり完成である、神の創造の業(わざ
)と救いの歴史を否定するものである」と踏み込んでいる。両国の司教たちは意見を交
わし、信仰から原発問題を照らしていった。
ローマ法王庁(バチカン)は原発反対の態度を明確に示しているわけではない。しか
し各国の教会はそれぞれの問題意識を表明する自由がある。法王フランシスコが昨年出
した公的書簡で「エコロジカルな倫理」の大切さなどを唱えていることを踏まえ、今回
の日本の司教団メッセージはこう論じた。
「人間は神の似姿として、共通善にかなった自然との正しいかかわりへと立ち戻らな
ければならないと、わたしたちは考えます。人間は本来、自分自身との関係、他者との
関係、大地(自然環境)との関係、そして神との関係において調和があってこそ、平和
で幸福に生きることができるのです」
このメッセージと並行して、日本カトリック司教協議会は「今こそ原発の廃止を」を
今年10月に発刊した。300ページ近い書籍の半分余りは核の歴史や問題点に割いて
いる。残りを「脱原発の思想とキリスト教」に費やしたのが特徴だ。
この世界でわたしたちは何のために生きるのか、地球から何を望まれているのか――
。公的書簡での法王の問いかけだ。それをもとに同書は「人間による核エネルギー利用
は、神が与えた自然における人間の位置づけからは逸脱している」と断じている。
編纂(へんさん)委員会代表で、上智大学神学部長の光延一郎神父は「宗教の役割は
倫理的な視点から問題提起すること。11年に原発の即時廃止が打ち出されましたが、
根拠をきちんと文書で示すべきでは、との思いが司教方にはありました」と話す。
福島の教会内には原発関連の仕事をする信者と家族もいる。光延神父は「考えを押し
付けるつもりはなく、議論や学習のきっかけにしてもらいたい」。それでも「いのち」
に関わる問題だけに世界の教会や法王庁に働きかけ、原発廃止の大きな流れにつないで
いきたいという。
■「判断困難」「脱依存」、割れる対応 仏教界
仏教界はどうか。曹洞宗は11年に宗派として、原発停止は望ましいとしながらも、
雇用問題など解決すべきことが多いため是非の判断は「非常に難しいのではないでしょ
うか」とする見解を出した。一方で、全国各地の代表者から成る宗議会は翌年、原発に
頼らない社会に向けた取り組みを求める決議文を採択、微妙な揺れを見せた。
態度を明らかにしない宗派も多いなか、臨済宗妙心寺派は宣言「原子力発電に依存し
ない社会の実現」を発表。真宗大谷派(東本願寺)も同様の見解を出し、公開研修会を
いまも定期的に開いている。
浄土真宗本願寺派(西本願寺)の大谷光真・前門主は原発の問題点を繰り返し指摘し
ている。教団として「脱原発」を打ち出してはいないが、付属の総合研究所は映画上映
会など「原発学習」の場を継続的に設けている。香川真二研究員は「シロかクロかと答
えを出すのが正しいとは限らない。意見の異なる者同士がどのような世界を目指すべき
なのか、参加者一人ひとりに考え続けてもらうことこそ、いま大切だと思うのです」と
話す。
(磯村健太郎)
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