Global Ethics


「私達」は戦争に行きたくなかったはずだ。 by limitlesslife
January 8, 2017, 1:12 pm
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「私達」は戦争に行きたくなかったはずだ。
劇団部 「志願兵」で平和を訴える
ーー長厚労第36回文化祭典・新入組合員研修会ーー

・・・この劇は、1951年に、故若月俊一名誉総長が執筆したものです。
若月先生ご自身も、物語の舞台と同じ1937年に一兵卒として
旧満州(現中国東北部)に派遣され、
軍隊では先輩から暴力を受け、実戦で大勢の仲間を亡くしたそうです。
物語の主人公である山田二等兵のモデルも実在したと言われています。
若月先生が自ら体験された戦争という巨悪・異常事態への畏怖を
劇で表されたとのことです。・・・

「志願兵」あらすじ
1937年(昭和12年)、日中戦争直前の旧満州(現中国東北部)。
軍に入隊間もない二等兵たちは、先輩のしごきに耐えながら共同生活を送っている。
荒木ら上等兵は、何かにつけ二等兵を殴ったり蹴ったりと暴力を繰り返す。
行動の遅い山田二等兵は、目をつけられ、銃が折れるほど殴られることもあった。
ある日、戦闘地域への応援に参加する二等兵を募ることに。
山田は遅れまいと、志願を呼びかける声にすぐ手を挙げる。
しかし、ほかには誰も手を挙げていなかった。
山田は呆然とし、涙を落とす。
野沢ら仲間は、ばか正直な山田と自分を比べながら、
軍隊とは、戦争とは何かを考える。
そんな中、山田が戦死したという知らせが届いた。

私たちはどこへ向かうのか
南牧村・野辺山・へき地診療所 座光寺正裕

入職して8年、初めて拝見しました。
圧倒的の一言です。
気軽な気持ちで連れてきた4歳の娘は、怒号に驚いて
「怖い。
夢に出てくるから観たくない」とすぐに母親と会場を後にしました。

私は若月先生にお会いしたことがない世代です。
でも、「健康は平和の礎」という理想を共有した佐久病院に所属し、
その一員として地域に向き合うことに、誇りと喜びを感じます。

佐久病院が普通の優秀な病院の一つに変化するのか、
医療を通じた地域づくりの牽引役として今後も独自の役割を果たすのかは、
こうした文化活動にかかっていると痛感します。

医療の充実は「地域ニーズ」だからという耳当たりの良い言葉で、
住民の欲望(ディマンズ)が覆い隠されていることが往々にしてあります。

でも、最先端の医療技術だけでは、健康や、地域や、平和を紡ぐ
ことは到底できません。
まるで、片足のわらじでケンケンさせられているようなもので、
転ぶのは目に見えています。
・・・
住民が満足しているから、よい医療を提供できていると考えるのは
早合点だと思うのです。

地域住民のディマンズをニーズに昇華するのが、こうした魂にふれる
文化活動に違いありません。
うすだ健康館で始まった「お茶べり」も単なる知識伝達や質疑応答の
先にこそ、魂が宿ると思います。

現代の医療や社会のありように翻弄された地域住民や医療者にとって、
佐久病院が座標軸となれるかどうか、いま、試されています。

(いぶき256号、佐久病院労組ニュース、2016年12月29日)

———————–

コメント:戦争に行きたくない、死にたくない、殺したくないは100%、戦争したいのは0.001%。誰も戦争せず、させるな!0.001%の戦争屋・死の商人を炙り出せ、放り出せ!!!
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