朝日新聞 2017年3月14日
安倍晋三首相が、南スーダンの国連平和維持活動(PKO)に派遣してきた自衛隊を
撤収する、と発表した。撤収は昨年9月から検討されていたという一方で、11月には
安保法制に基づく「駆けつけ警護」の任務が付与されてもいる。なぜいま撤収なのか、
本当の狙いは何か。
■5月まで任務、抑制的行動を 久間章生さん
(元防衛相)、、、
■仮想の空論、実績づくり狙う 伊勢崎賢治さん
(東京外国語大学大学院教授)
交戦できない自衛隊は、弾がまったく飛んでこない場所でなら活動できます。そんな
「仮想空間」を戦場につくり、後方支援や非戦闘地域といった言い方で参加してきたの
が、これまでの自衛隊によるPKOです。
南スーダンも同じです。首都のジュバはもとは「安全」でしたが、昨年7月に大規模
な戦闘が起こった。「仮想空間」と、それを基に積み上げた理屈が崩れ、防衛省は危機
感を持ったはずです。
実際、今になって、政府は昨年9月から撤収を検討していたと明かしました。そのさ
なかの11月に「駆けつけ警護」の任務を付与したことになる。そもそも南スーダンの
自衛隊は道路や橋をつくる施設部隊で、国連司令部が歩兵部隊の仕事を命じることはな
いし、同国人警護を優先はさせません。蓋然(がいぜん)性なき任務付与だったのです
。
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一連の動きは、ちぐはぐに見えますが、すべては安保法制のためという見方をすれば
一貫しています。昨年7月以降は「仮想空間」の論理は崩れているのに、認めない。そ
のうえで、安保法制の目玉だった「駆けつけ警護」ができる部隊を派遣した、という実
績を何が何でもつくることに安倍政権にとっての意味があったのです。
「日報」が当初は公開されなかったのはそのためです。「戦」の字が自衛隊の活動と
くっついていてはまずい。任務の付与前に南スーダンにいられなくなる。「憲法9条上
の問題になる言葉は使うべきではないことから、武力衝突という言葉を使っている」と
いう稲田朋美防衛相の答弁は、狙いをそのまま言ってしまったものです。
撤収発表のタイミングは、今しかなかったのでしょう。「日報」問題で連日攻められ
ているときに撤収すれば、野党に屈した印象になる。矛先が「森友学園」問題にそれた
ときを狙ったのです。
南スーダンの治安情勢は、いまだ戦時です。それだけに、住民保護が筆頭任務である
PKOは依然として重要で、そんなときに自衛隊が逃げるように離脱するのは、国際的
な非難の対象になります。
もともと自衛隊が現代のPKOに参加するのには無理がある。1999年、国連のア
ナン事務総長が「PKOは紛争の当事者になる」と明言し、「交戦する主体」になった
国連のPKOは、日本のPKO参加5原則とは相いれないものになっていたのです。
さらに、日本には憲法9条の制約で軍法も軍事法廷もありません。過って住民を殺害
したらどうするのか。「交戦」する前提がない日本には軍事的な過失を扱う法体系がな
いのです。昨年7月以降のジュバの状況では、自衛隊は、こうした根源的な理由で現地
にはとどまれなくなっていた。政府や国連も認識していたはずです。
政府は表向き「区切り」を撤収の理由にしましたが、今後、撤収の背景にあるこうし
た本質的な原因を明かす可能性があります。そうなれば、現実のPKOと、5原則や憲
法をめぐってタブーなき議論が起こるかもしれない。政権側にはもともとその狙いがあ
るのでしょうから、撤収をその布石にしても驚くべきではありません。
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そもそも、最近の日本のPKO参加が自衛隊の部隊派遣ばかりなのは不自然です。自
衛官を非武装の軍事監視団に送ったり、警察を出したりする活動も、国際的には重要な
柱です。それをしてこなかったのは、意図的な戦略でした。
歴代政権は、PKOを使って、冷戦後の自衛隊の存在意義を正当化してきた面があり
ます。南スーダンへの派遣が決まったのは、民主党政権だった2011年。PKOの現
実と向き合ってこなかった責任は、与野党ともにある。今後もPKOに参加するなら、
「仮想空間」という空論の上に成り立ってきた与野党、改憲・護憲の対立軸をいったん
完全に壊して、今後の貢献のあり方と法体系を話し合うべきです。
(聞き手・村上研志)
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いせざきけんじ 1957年生まれ。専門は国際関係論。国連PKO幹部などを経て
、アフガニスタンで武装解除を担当。2006年から現職。著書に「新国防論」など。
MLホームページ: http://www.freeml.com/uniting-peace