ネットワーク1・17(2017/3/19) 東日本大震災6年、語り部バスに乗りました、千葉さん、野村さんの報告

 

永岡です、災害と防災を考えるネットワーク1・17 第1058回、今回もMBSアナウンサーの千葉猛さんと、フリーアナウンサーの野村朋未さんの司会で放送されました。

 

近藤勝重さんの、しあわせの風景(2017/3/18、しあわせの五・七・五から)、川柳は字数が限られて、言い切るものがいり、度胸の文芸と思うべきで、水野さんもこれを評価されて、近藤さん、3・11から6年、福島からの風を送られた伊藤さん、五輪より 一輪の花 被災地へという句があり、近藤さんがこの句を買うのは、一輪の花の生命の大切さと被災地の声、五輪もさることながら、一輪の花を咲かせる配慮が東京にあるのかと言う意味と指摘されて、オリンピックを誘致した政権などに、福島から見たらこう見える、怒り、やるせなさなど、一輪の花に託して、経済成長無くして…というものへの抗議であり、この句を支えているのは対比、いろいろな比べようがあるが、言い切る句、ご自慢のえくぼ いまではただのしわ、しわとえくぼを対比、こう言い切る強さがあり、これを弱くすると、ご自慢のえくぼ ただのしわのようと、直喩になってしまい、これはえくぼ=ただのしわと言い切る、A=Bの強さ、言い方で弱くなる、○○のようだ、ではなく、○○だと言い切る度胸が必要で、逃げるなよ、であり、父の背を 流すようにと 墓洗うという句もあり、言い切る強さは、20日がお彼岸、お彼岸は 父の背流す 墓洗い、としたら、言い切ることになり、墓参りして、墓を洗う=父の背中を流す、彼岸、お盆を持ってきたらよく、○○のようなものを近藤さん否定しないが、言い切るものは、それゆえのふくらみ、奥行きを感じさせて、詠んだ人が膨らませるものであり、そういう川柳の面白さ、言葉の強さもあり、大津波 みんな流して バカヤロウ、ここにも強さが要り、川柳には度胸も要り、須藤春香さんの句、言い切らずにいられず、奥行きがあり、近藤さんの引用された句は、しあわせの五・七・五の本にも載っているのです、以上、近藤さんのお話でした。

 

先週は千葉さん、被災地で取材、リスナーより、津波の話に胸が痛み、20mの津波なら流されていた、津波など来ないと思い、伝えることの重要性を知ったともあり、宮城県の南の方は津波は来ないと思っていたとして、避難場所も家族で話し合い、逃げられる場所を考えてほしいと被災者も言っているのです。

今回も東日本大震災6年、宮城県南三陸町のホテル観洋は、宿泊客向けに語り部バスを運航しており、従業員がガイドとなり、津波被害を語り継ぐもので、児童や高齢者の助かったところ、職員が犠牲になったところなど、このバスに千葉さん、野村さんが乗られた報告です。お二人で東北に行かれて、ホテルの従業員の方が朝早くから1時間されて、料金は500円、町内を案内されて、ホテルの中にも語り部の社員はたくさんいて、一番若い伊藤さん(でもチリ地震津波を経験された70代の方)、震災6年で、1日1日大変であり、伊藤さんは南三陸町、自宅を津波で流されて、仮設住宅に3年半、ここは600人以上亡くなり、8割の家が流された地区での伊藤さんのお話、小学校があり、海から50m、津波に弱く、しかし避難して助かり、高台への避難訓練、避難を屋上にしようとしても、地元の女の先生が高台に逃げるべきとして、教頭先生が高台に避難を指示して、山の一番高いところに逃げて、震災の日は寒く、子供たちが寒さに耐えられず、神社には倒壊の恐れがあったものの、4年生以下の子供は中で避難、震災の1週間後に卒業式で、歌を明け方まで歌って、寒さを乗り切ったものであり、この小学校の場所は今は盛り土がされていて、この小学校のことは一昨年の11月のネットワーク1・17で校長の話を報じて、しかし現場に行くのは千葉さん初めて、海に近い場所で、津波が短時間で来るもので、高台に避難するのは決断が必要で、千葉さんが校長なら屋上へと思ったかも知れず、しかし高台に避難して命を守れて、石巻市の大川小学校と同じ規模、大川小学校と同じになっていた可能性もあった。

高台にある中学校、指定避難場所、20mの高さで、ここまで来たら大丈夫と思っても、ここの校庭まで津波が来て11人死亡、校庭にいた人、助けようとした人も亡くなり、20mの高台に23mの津波が来て、一見安全そうでも危なかったわけであり、中学校の場所は公民館になり、津波の来たところに仮設住宅、南三陸町には仮設住宅を建てる場所がなく、時計は2時46分で止まっているのです。

ホテルの経営する高野会館、ビルの4階まで津波が来て、震災の日に多くの方が歌と踊りをしているうちに大地震、中でパニック、自宅に逃げ帰ろうとした高齢者もいたが、帰したら津波に流されるので、ここから出さないことにして、玄関先に若い職員が、死にたくなかったらここから出てはいけないとして、ビルの3階に逃げて、しかしいうことを聞かない人もいて、8人逃げ帰り、自分の地区には津波が来ないとされていたからで、しかし6人が津波に流されて、建物のどこまで津波が来たと表示されて、更地の中にこの建物のみ残り、高齢者は屋上の上のところまで避難して助かり、高野会館は全壊で、ホテルの方で震災遺構として残し、維持費も民間で負担するのは大変で、それでも残したものであり、語り部バスで、南三陸町の防災庁舎、3階建てで、骨組みのみ残り、伊藤さんはバスを止めて、防災庁舎で、亡くなった方に手を合わせる仮設の施設まで案内、防災庁舎は12m、津波は15mで、屋上で43名亡くなり、生き残った人は、鉄塔によじ登って、津波が収まるまで耐えた中に、今の町長もいて、千葉さんはこの防災庁舎に行くのは2回目、犠牲者の無念さと、津波の脅威に驚かされて、防災庁舎、2030年までの保存は決まっても、そこから解体するか、残すか議論されて、野村さんは残すべきと言われても、遺族の気持ちもあり、大変と言われて、千葉さんも残してほしいが、遺族にはつらい思い出があり、しかし震災を体験していない世代も増えて、目に見えて分かるものは必要と言われます。

語り部バスに参加されて方、伊藤さんの言葉で、手を合わせること、こういうことがあったことを帰ってみんなに伝えるべき、震災後初めて来て、テレビで見るのとは違い、大変であったことを知り、高田の中学校に行き、津波の高さを実感して、津波の怖さを実感して、遠くの人にも見てほしいと言われて、また娘さんがここにきて連れてこられた方もあり、家族を連れてきた方もありました。

最後に、伊藤さんのお話、11の集落で、2つの集落、真ん中を川が流れて、そこを速く津波が襲い被害になり、また湾が干上がって大きな津波で、多くの方が亡くなり、内陸に住む人間が犠牲になり、海に近い人は変化に気付いて逃げられても、内陸の人はまさか来ないとして犠牲になり、海では防潮堤も作られても、まだまだ課題はあり、野村さんも、語り部バスに乗り、体験を口で伝えることが大事、被災者の声を聞くことが大事と締めくくられました。

 

ネットワーク1・17は最優秀レジリエンス(抵抗力、災害に強いもの)賞を受賞、28の団体が受賞して、それらもここで取り上げることになり、リスナーの声で受賞できたと、野村さん、千葉さんの感謝がありました。以上、今週のネットワーク1・17でした。

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