朝日新聞 2017年3月22日
「戦争中の行為を語るのは、つらい」
1984年初夏、元憲兵の土屋芳雄は、朝日新聞山形支局の記者、奥山郁郎(71)
の取材をうけることをためらった。
戦争中、土屋は、日本軍に抵抗する中国人に凄惨(せいさん)な拷問を加え、裁判の
手続きを踏まずに彼らを処刑した。手記はすでに書いていたが、新聞に載るとなると別
だった。しかし、過ちを繰り返さないための一助となるなら、と最後は応じた。
奥山は土屋のもとに通って話を聞いた。84年8月7日に始まった山形版の連載「聞
き書き 憲兵・土屋芳雄 半生の記録」は奥山が転勤したあと、同僚記者が終盤部分を
書き継ぎ、全183回に及んだ。
90年6月、土屋は、かつて憲兵としてすごした旧満州チチハルを訪れた。
「おわびします。わるうございました」
床に手をつき、深々と頭を下げた。
戦争中、土屋らが殺害した抗日戦士の四女が目の前に立っていた。
「父を失って、私は8歳のときから工場で働きました。貧しくて食べていけず、2歳
年下の妹は栄養失調で死にました」
土屋の謝罪の旅を山形放送が取材した。侵略の罪をわが罪と受けとめて被害者にわび
る78歳の老人の姿をカメラがとらえた。
完成した番組は「ある戦犯の謝罪」と題して8月に日本テレビ系列で放送された。
NHKも89年の終戦記念日、午後7時半からのゴールデンタイムに、ドキュメンタ
リー「“戦犯”たちの告白」を放送した。
山東省を訪れた中国帰還者連絡会(中帰連)の会員5人に、地元の男性が言った。
「村に日本軍が攻め込んできて、農民を殴り、家に火を放ち、何人もの村人を連れ去
りました」
元戦犯の表情がこわばった。
番組の取材班はさらに、全国の中帰連会員10人を訪ねた。その一人、67歳の元伍
長は、かつて撫順戦犯管理所で書いた自分の手記を読み返して、次のように語った。
「よく晩に思い出すことがありますね。忘れられませんよ、そりゃね……」
日本人は、戦争の加害者だったことを忘れてはならない。
そうした認識が次第に広がっていった。
中帰連は、会員の高齢化で2002年に解散した。同時に発足した後継団体「撫順の
奇蹟(きせき)を受け継ぐ会」が現在、活動を続けている。(上丸洋一)
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