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4歳児の甲状腺がんが報告されず by limitlesslife
April 3, 2017, 12:15 pm
Filed under: アベノミス, 原発事故・責任・補償
みなさま

下記newsの
事故時4歳のお子さんの件は、氷山の一角だと思います。

福島県県民調査検討委員会は、これまでにも、
甲状腺がんが検査で見つかったお子さん、
通常診療で経過観察または何らかの施療を受けているお子さん、
これらの患者さんたちの病状や経過を
公表するのを頑なに拒んできました。

それは、
「診療行為」にもう入っているのだから、県民健康調査の権能ではない、料簡ではない
という理由を、盾にしてのことでした。
いわば『隠し幕』です。

※『隠し幕』の仕組みを簡単に図解しました。ご笑覧ください。
http://twitdoc.com/upload/ni0615/blind-side.pdf  甲状腺がん判定の最終検査である「穿刺細胞診」も、「診療行為」も、
殆どは同じ福島県立医大でやっているにも拘わらずです。
キーマンはどちらも、Dr.鈴木真一さんです。

今回の、事故当時4歳のお子さんの事例も、この『隠し幕』に隠されていました。
ご本人(ご家族)が甲状腺がん支援基金に申し出て、たまたま明るみにでたのでした。

私は、まさかいくらなんでも
検査対象者の甲状腺がんの人数まで、この『隠し幕』で隠しているなど、想像もしませんでした。
甘かったようです。自分に甘い私は、他人にも甘い性善説なのでしょう。

「穿刺細胞診」受検者数の減少も、この『隠し幕』トリックに拠るのかもしれません。
検証のしかたを工夫しなくてはなりませんね。

ni0615田島拝

~~~~~~~~
NHK福島
4歳児の甲状腺がんが報告されず
03月30日 19時50分

原発事故のあと、福島県は18歳以下の子どもを対象に甲状腺検査を行っていて、健康への影響を検証する専門家の委員会に報告しています。

しかし、事故当時4歳の子どもががんと診断されたのに委員会に報告されていないことがNHKの取材でわかりました。

福島県は、現在の仕組みでは県の検査の後にがんと診断された患者は報告の対象になっていないとしていて、専門家は、「正確な情報を明らかにして分析するのが使命で、事実はきちんと報告し公開すべきだ」と指摘しています。

原発事故のあと福島県は福島県立医科大学に委託して放射性ヨウ素の影響を受けやすいとされる事故当時18歳以下の子ども、およそ38万人を対象に、超音波でしこりの有無などを調べる甲状腺の検査を実施しています。

県は検査の結果を健康への影響を検証する専門家の委員会に報告し、昨年末までにがんやがんの疑いがあると診断された人が当時5歳から18歳までの185人いると発表しています。
しかし、これまでで最年少の事故当時4歳の子どもがこの検査の後にがんと診断され、甲状腺を摘出したことを県立医科大学が把握していたのに委員会に報告されていないことがNHKの取材でわかりました。

検査は、一次検査と二次検査の2段階で行われ、県や県立医科大学は「報告の対象は二次検査までにがんやがんの疑いと診断された患者で、二次検査で継続して推移を見守る「経過観察」とされたあとにがんと診断されたり、別の医療機関に移って、がんがみつかったりした患者たちを網羅的に把握することは困難なため報告していない」と説明しています。

2年前に委員会のメンバーが、こうした仕組みの問題点を指摘した際、県立医科大学は検査後にがんと診断された患者については「別途、報告になる」と説明していましたが、報告されていなかったことになります。

委員会の委員で福島大学の元副学長の清水修二特任教授は、「正確な情報を明らかにして分析するのが使命で、隠しているという疑念を生じさせないためにもどういう経緯であっても患者が確認されれば、きちんと事実として公開すべきだ」と指摘しています。

~~~~~~~

田島さま
解説、ありがとうございます。
南スーダンの「日報」隠しもそうですが、
権力を保持して、それを自分達側のため(だけ)に行使しようとする人々にとっては
隠す、ウソつく、誤魔化す
は、日常的に使う手慣れたワザのようです。
巧みに使うか、バレても平気と居直ってやるか。
いずれにしても破廉恥・厚顔無恥が身に染みこんでいて、多分死ぬまで(死んでも)「恥を知る」ことはない輩なのでしょう。
こういう輩に「正しいこと」を説教したところで、変わるわけはない。
さて、どうしたものか?
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近藤ゆり子 k-yuriko@octn.jp
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~~~~~~~~~
ゆり子さん、田島さん、みなさん、
まったく!
前世紀のなかばにオーウェルがみごとに描きだしているように(『九八四年』)、
このたぐいの権力は、それをうちたおすことはもちろん、それにはむかう(抵抗する)ことすら
ほとんど不可能なほど強固です。
なにしろ、
「死んでも」「恥を知る」ことなどない、確信犯ではなく、
生来そういうふうにうまれついている者たちが、
いまは、もう、おしとどめる者などいるはずもないとタカをくくってやっているのですから。
まさに「奢れる者」です。
「奢れる者久しからず」。とはいうものの、それが、いつ、「風の前の塵」のごとく
吹きとぶのかを予測することはむつかしい。
おおむかし、わたしは、殺すしかないとおもっていました。
今風に言うとテロしかない、と。
しかし、一人の皇帝・王や宰相を殺すことで局面を変えることができたのは、
19世紀の末から20世紀の初頭くらいまででしょう。
そののちは、大いなる皮肉をこめて言うのですが、「真の独裁者」はいなくなり、
なべて「民主主義」の世になっていったからです。
形容矛盾ではあるけれど深く真実なのは「民主主義的独裁」です。
このあらたな独裁形態を消滅させる魔法はいまのところ見つかっていません。
数学に王道なし、と言いますね。
それとおなじように、「民主主義的独裁」を廃絶するには、
そのような独裁政権を民主主義的にえらびだしてしまった、
民主主義の主体が、
主体的に、民主主義的手段によって、
なしとげるほかありません。
なにをえらそうに言うのか?!
そんなこと、わかりきってるじゃないか!
とはいえ、わたしたちのくらすこの現代のこの社会のこのしくみ・ありようを、
ほんとうはそれをつくりあげたはずのわたしたちが、
それと気づいて、みずからの手で、すこしでも変えていこうとする営為は、
気がとおくなるほどむつかしいこと。
これもまた、わかりきってることじゃないですか。
かったるいことです。
じれったいことです。
そういうことを、辛抱強く「つづけて」きているひとびと、
ゆり子さんや田島さんのようなひとびとに、わたしは、
満腔の敬意、いえ、感謝をささげたくなります。
ところで、これ自体は、けっして、そのままでは、なにかを「変える」力にはならないのですが、
せめて、このわたしだけは放っておいてほしい、と言い、
そのようにふるまうことはできます。
殺されるその瞬間まで、「イヤダ!」と言いつづけること。
わたしにいまできるのはこれくらいのことでしかない。
けれども、こう言い、こう行動することが、
まったく無意味になってしまうほど、
このいまのこの状況が悪化してはいないでしょう、
さいわいに。
ひこ
~~~~~~~~~~
ひこさま
あえて横にずれます(必然性あるズレと思ってずれます)。
>形容矛盾ではあるけれど深く真実なのは「民主主義的独裁」です。
平川宗信さんという刑事法学者(名古屋大・中京大名誉教授)がおられます。
「刑事法の基礎」という教科書のようなものを書いておられて、刑事法学の世界ではそこそこに有名な方です。
「念仏者(阿弥陀仏に帰依する者)」を名乗られています。
普通の市民や学者が聴衆である講演ではあまり出されませんが、真宗大谷派9条の会の講演などでは、仏教用語があれこれ出て来ます(というか、むしろお経に出て来る言葉に意識的に話を収斂させる)。
三悪趣(地獄、餓鬼、畜生)
地獄-戦争、餓鬼-飢餓、貪欲 は、誰でも思いつきますが、「畜生」として「自発的隷従」について話される。
忖度などというのは自発的隷従の最たるものです。
誰に強制されたというのでもなく、力ある者、強い者の意を汲んで先回りする。
「空気を読む」というのも、多勢・大勢という力を忖度して振る舞う、ということなのでしょう。
「空気を読んで」周囲に合わせていれば、とりあえずの日々はそこそこにやり過ごして暮らしていける・・・・だから「畜生」なわけです。
無自覚な自発的隷従に埋没している人達に、どう言えば良いのでしょう???
「お前等は自発的に隷従していてケシカラン」と説教して、どうにかなるはずもない。
平川先生は、「寺では、お釈迦様が、阿弥陀様が~~~と説いておられる、と言える。畜生の道に安穏としていてはいけない、と説教できる。だから寺は『寺に来い』ともっともっと言わねばならない」と仰います。
でも信心なき者が信心なき者にどう伝えるか?
>気がとおくなるほどむつかしいこと
をそれでも試み続けること-これも一種の信仰・信心なのかもしれません。
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近藤ゆり子 k-yuriko@octn.jp
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コメント:
仏教では(比喩ですが)(五)六道輪廻と言い地獄・餓鬼・畜生・(修羅・)人間・天上に生まれ変わると言われます。自業自得で自らの業によりその果を受けている訳です。同じ器世間も「一水四見」と言って人間が「水」と見るものを魚は「竜宮・住居」、餓鬼は「膿・血」、天人は「水晶・瓔珞」と見ると言われ、夫々の業により世界も変わります。
人間でも飼い馴らされた「社畜」と言う言葉がありましたが、権力に飼い馴らされた「国畜」と言う者が居るのですね。実際には金・力・者に取り憑かれた「餓鬼(的)畜生」と言う者が殆どでしょうが、中には(お山の・喧嘩好き餓鬼)大将と自認する「修羅(的)畜生」も居るのでしょう。衆目監視でポチ、プードル、ブタなどと呼ばれています。
彼らは「お国の為」と言って実は私腹を肥やす我利我利亡者(地獄住人)ですが、同じ我利我利亡者の支持を受けて多数派を装って(死商人・権力諜報機関との取引、マスゴミ操作などで)首の皮一枚で生きていますが、飼い主(外国権力諜報機関・国民)に見放されたら文字通り亡者になるでしょう。衆生の目覚め・行動が豚箱・屠場送りとなるでしょう。
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