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永岡です、サンテレビのニュースPORT、火曜日の震災特集、熊本大地震からまもなく1年、神戸出身の女性、東海大学阿蘇キャンパスに学ばれる方、圓藤沙羅さんのことが報じられました。
熊本で震災を伝えられる女性、家の1階が潰れた、犠牲になった人のことを伝えられて、下敷きになり、声が聞こえなくなったなど、阿蘇のキャンパスの周囲に、東海大学の学生さんの住処があり、そこを震度7の地震が2度襲い、4月14日の前震と、16日の本震、圓藤さんの寮のところで、生き埋めになった同級生が亡くなり、圓藤さんは申し訳ない、一枚の壁の差で助けられた人と、助けられなかった人がいると震災直後振り返り、その後、圓藤さんは神戸・三宮に来られて、実家のある神戸で募金活動をされて、阪神・淡路の被災地で、他人事ではないと多くの方が募金に参加されて、気持ちの整理の付かない中での参加、2か月後、大学の授業再開後、熊本に戻り、募金1480万円を南阿蘇村に持って帰り、地震があり、南阿蘇のためにと尽力されて、そして大学の卒業式の翌日、南阿蘇村に向かい、就職で神戸に戻る前に、南阿蘇村の皆さんともう一度会うためで、学生村の方、農学部は移転で、出る人の多い中、学生寮を守る女性もいて、休みが出来たらまたおいで、おばちゃんはまた待っていると言われます。
村で、道の駅を営む藤原さん、圓藤さんと復興祭りを企画して、20人くらいが狭いところで雑魚寝するほど、村民が被災し、学生も大変で、圓藤さんは震災後、村の皆さんに支えられて、語り部のツアーを実行されて、地震の当時、電気もなく、大家さんの懐中電灯などを使って救出したなど、テレビでは分からないことを圓藤さんから聞けた、人とのつながりもあり、圓藤さんは先頭に立ち活動することを、震災を経験したからこそ分かる、責任感が地震の後、出来たと言われます。
圓藤さんは、兵庫県の農業高校で講師として勤められて、阪神・淡路の被災地で、高校での生徒たちに、地震のことを伝えたいと、全力でやりたいと言われて、しかし、自分の言葉で語れるまでには時間も要り、今年の秋には、復興祭をまたされます。
熊本大地震のことは忘れられつつあり、こういう内容は貴重です、以上、ニュースPORTの内容でした。