永岡です、明日で熊本大地震の前震から1年、毎日放送のニュース「VOICE」にて、震災、災害で障碍者となった方のことが取り上げられました。毎年各地で地震、水害があり、一命をとりとめても重い障害が残った人は多数あり、それでも公的な支援はほとんどないのです。
広島の土砂災害で被災された70代の女性は、足を失い車椅子の生活、2014/8の土砂災害で広島にて77人死亡、この女性は夫とともに下敷きになり、救出されても夫は3日後に死亡、普段は子供たちの介護を受けているもの、公的な支援はなく、娘さんは介護のために仕事もできず大変であり、災害で障害を負った人に支給される災害障害見舞金、最大250万円支給されるものの、要件はエゲツなく、両足両手の切断、両目の失明であり、広島ではこれを受け取った人はゼロ、熊本大地震では2000人以上負傷しながら、見舞金のもらえたのはたった4人、そして、阪神・淡路大震災の被災者は、よろず相談所の牧秀一さん、忘れられてはいけない、訴えるしかないと言われて、阪神・淡路大震災の被災者の70代の男性、下敷きになり右足がマヒして障碍者になり、しかしこの方は障碍者になったことを10年以上言えず、要するに膨大な人が死んだから、生きているだけマシという見方があるためで、当時、国は震災の障碍者のことを把握しておらず、震災から15年の2010年に調査開始、349人が震災障碍者と認められて、西宮の70代の女性は震災で障害を負っても、震災による障害とは認められず、どころか地震で障害になったから金をもらっていると周囲に言われる始末なのです。
震災障碍者は、国に訴えることになり、1・17が来ても、震災障碍者は語られず、阪神・淡路大震災で重い障害を負い、公的支援なし、震災が障害の原因と認められず、震災障碍者の6家族が厚労省を訪れて、震災障碍者と認めること、見舞金の支給要件の緩和を求めて、中学3年で被災した女性、高次機能障害になり、3%の確率で命は助かっても、障害は残り、震災障碍者のことは語られず、自分たちのことを知ってほしいと、この女性の母親は訴えて、そして一筋の光がさして、司会の西靖さん、震災で亡くなった人のことと、仮設住宅のことは語られても、障碍者は忘れられていると言われて、弁護士の森直也さんも、助かってよかったで終わることへの危惧を語られて、阪神・淡路大震災から22年、東北、熊本、あるいは中越があり、特別扱いしてほしいのではなく、忘れないでほしいであり、障碍者の診断書に自然災害の項目がこの4月から加わり、災害障害見舞金の支給要件の緩和も、額ではなく、周囲が震災障碍者を忘れていないことを示すべきと、西さん締めくくられました。
この、助かってよかった、というのは阪神・淡路大震災の場合に語られたものの、その後、住宅がなく、あの時死んでいた方が良かったと言う声が数年後に被災者から上がり、もちろん震災障碍者も同じであり、被災者の傷が癒えるまで、災害は終わっていないのです、以上、VOICEの内容でした。