(書評より)一般大衆のための「教養」中心の大学擁護論

IROHIRA Tetsuro

(書評より)一般大衆のための「教養」中心の大学擁護論

オルテガと言うと大衆の反逆 (ちくま学芸文庫)は非常に有名だが、そこで批判してい
た「専門化」問題への批判への解決策とも言えるのが、本書で展開される「大学論」で
あろう。

まずオルテガは、研究者は極めて少数の人間でよいとする(p21)。
そのうえで、教育の三基本要素、知識・教師・生徒、を挙げたうえで、ルソーらの行っ
た教育学上の転換、すなわち、教育科学の中心を知識と教師から生徒へと据え直すこと
に賛同する(p33)。
そのため、教育には「二つの本質的な側面が含まれている――第一、学生が本来そうで
あるところのもの、すなわち習得能力の限界性。第二、生きてゆくために、学生の知ら
ねばならないこと」(p40)

ではその「知らねばならないこと」とは何か。
オルテガはそれに対し「教養」と答える。彼の「教養」理念は以下のとおりである

「すなわち、宇宙に関する明瞭にして確固たる理念を、事物と世界の本質に関する積極
的な確信を見出そうと努力する。その諸理念の総体、ないし体系こそ、言葉の真の意味
における教養[文化](la cultura)である。だからそれは装飾品とはまったく反対の
ものである。教養とは、生の難破を防ぐもの、無意味な悲劇に陥ることなく、過度に品
位を落とすことなく、生きていくようにさせるところのものである」(p23)

そのために、彼は以下のような五科目を教養学科で教えるべきだとする。

「(1)物理的世界像(物理学)
(2)有機的生命の根本問題(生物学)
(3)人類の歴史的過程(歴史)
(4)社会生活の構造と機能(社会学)
(5)宇宙のプラン(哲学)」(p43)

本書には、標題の「大学の使命」のほかに、「「人文学研究所」趣意書」と、訳者井上
正による「オルテガの大学論」が載せられている。
オルテガの大学論は、現在の大学において欠けているところのものを見事に浮き彫りに
している。
現在の大学改革を考える上でも、彼の論は外すことは出来ないだろう。

「大学の使命」

MLホームページ: http://www.freeml.com/uniting-peace

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