(温故知新)「きれいはきたない」の氾濫 樋口陽一

(温故知新)「きれいはきたない」の氾濫 樋口陽一
朝日新聞 2017年6月17日

シェークスピア「マクベス」冒頭の魔女たちの台詞(せりふ)、Fair is fo
ul, and foul is fair. 福田恆存は「きれいは穢(きたな)い
、穢いはきれい」と訳しました。野球好きには「フェアはファウル、ファウルはフェア
」でしょうか。そこから私の連想は、赤塚不二夫「天才バカボン」第1巻へ飛躍します
。バカボンのパパは、彼をからかおうとする連中の意図に気づかず、言われるがままを
信じては奇行を演じます。銭湯に裸で入るのは昨日までの決まりで、今日からは服のま
ま湯船に入らなければ死刑だ、国会でそう決まったのだ――。

16世紀生まれの言葉の錬金術師も、20世紀の天才漫画家も、世の中に存在する約束
事を前提に、「あるはずのないこと」を描きました。それにより、一方は不気味に暗い
物語の展開を思わせ、他方は底抜けに明るい爆笑を誘う。もっとも、そういう仕掛けが
活きるのは、その社会に「まとも」の基準があってこそなのですが。

「ポスト真実の時代」に、それらの前提が危機に瀕(ひん)しています。大国の大統領
は「きれいはきたない」式のツイートで世界を翻弄(ほんろう)する。ある国の首相は
公約違反を「新しい判断」と強弁し、自らの「ご意向」を読み取らせては、議論を受け
付けない政治を進めていく。人間が長い歴史を通して大切に培ってきた「言葉の力」が
、見る間に目減りしていっているのです。

リンカーン、ケネディを引くまでもなく、誠実な雄弁こそが、いつの時代も人々の魂を
動かしてきました。与謝野晶子は、文学の殿堂に「われも黄金の釘一つ打つ」と詠みま
した。歴史に名を残したい人間が打ち込むべきは、建物を腐らせ傾かせる錆(さ)びた
釘ではないのです。

「責任」の不在こそ「ポスト真実の時代」の危惧です。ヒトラーとスターリンが独ソ不
可侵条約を結んだ時、時の首相、平沼騏一郎は「欧州情勢、複雑怪奇なり」と職を辞し
ました。想定外の事態のせめてもの責任を取ったのです。

情報の洪水に漂うホントとウソとジョークの区別に感覚を研ぎ澄まさなければなりませ
ん。「新しい判断なのだ」という政治を、「天才バカボン」が始まった1967年当時
とは違って、私たちは無邪気に笑えなくなっています。

◇ひぐち・よういち 憲法学者。1934年仙台市生まれ。東京大学・東北大学名誉教
授。

http://digital.asahi.com/articles/DA3S12988595.html

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