Global Ethics


東条内閣は、それまで日本軍が中国で起こした、、、を含めて「大東亜戦争」とすると閣議決定 by limitlesslife
June 26, 2017, 10:09 pm
Filed under: 日中

実は日本が正式に中国に宣戦布告したのは、1941年12月8日のパールハーバー(真珠湾
攻撃)の時でした。時の東条内閣は、それまで日本軍が中国で起こした上海事変や満州
事変、それらを含めて「大東亜戦争」とすると閣議決定します。それ以降、アメリカと
日本が戦争をし、日本はアメリカに負けたという認識になっていってしまったのです。
しかし、中国側にとっては、それ以前から延々と続いている抗日戦争という認識でした
。現在の日中間の一番の問題はそこに淵源があると考えています。

周恩来総理の指示で来日

1954年の春、中国は積極的に対外関係構築に向け動き出そうと中国対外友好協会を設立
します。そのような中、周恩来総理の同意のもとで、新中国が送りだした初めての訪日
団が李徳全女史一行でした。

その時に、日本側には一つの問題がありました。それは、日本の一部の政治家が時折北
京に行っていたことでした。日本政府はこれらの人達が共産党と結託して日本に社会主
義革命を起こすのではないかとものすごく警戒していました。そこで、戦犯の帰国運動
が起こったときに、代議士達が周恩来総理に会いに行き、このことを確認します。

その時に周総理は「革命は輸出できません」と明言します。中国の社会主義革命は中国
の民衆が起こしたもので、革命は輸出できるものではない。中国で抑留されていた日本
の軍人に対して、そうした社会主義教育、共産主義革命をやれという指示は一切してい
ないと、笑いながら話したという有名なエピソードがあります。

「草の根」レベルで日中の新時代を!

李徳全先生は新中国建国後、初の女性大臣として衛生部長(日本の厚労相に相当)の要
職に就きます。戦争で一番傷つくのは女性ですから、中国を代表する教育者・人格者の
女性として厚生労働関係の大臣として最適任者だったわけです。その李徳全先生が戦犯
名簿を携え来日したことの意味をくみ取る必要があると思います。

訪日した一行の副団長は日本生まれ、早稲田大学で学んだ廖承志さん(後の中日友好協
会初代会長)でした。彼は日本滞在中に多くの経済人と会って議論を行いました。とり
わけ高碕達之助氏との話し合いは、後のLT貿易へとつながっていきます。

これらの事から銘記すべきことは、日中関係は民間レベルで交流が始まったということ
です。国家間同士ではどうしようもない時こそ、民間交流が大切なのです。

http://jp.jnocnews.jp/news/show.aspx?id=54257

http://jp.duan.jp

MLホームページ: http://www.freeml.com/uniting-peace

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