過去58年間、「平和学」という道なき道を切り開いてきたノルウェーのヨハン・ガルトゥング博士。この6月、彼の平和学の考え方のエッセンスを凝縮した『日本人のための平和論』が緊急出版された。1968年の初来日以来、50年近く東アジア情勢の行方に関心を持ち続けている。その根底にある、ベーシックな問題意識などを聞いてみた。(聞き手/「週刊ダイヤモンド」編集部 池冨 仁)

――2017年1月の就任以来、米国のトランプ大統領は、極端な言動で世界中を混乱に陥れています。こうした状況を、どのように捉えていますか。

Photo by Shinichi Yokoyama

私は精神分析の専門家ではないですが、トランプ大統領にはクレイジーな側面があると思います。自分の殻に閉じこもり、その中でしか物事を考えられず、外側の人たちは全て敵と見なしてしまう。でも、だからといって、彼の知能が低いというのではありません。知的には、非常に高い水準にあることが分かっています。

問題は、トランプ大統領だけが特異な存在なのではなく、昔から米国にあった基本的な精神構造の持ち主だということです。

――今後も、激しい調子で「米国だけは例外が許される」「別格の存在だ」などと主張し続ければ、世界から孤立してしまいませんか。

そう思います。現在の米国の姿は、戦後の日本人が考えてきた理想的な米国像と非常に乖離しているように私には見えてなりません。

ですから、この数年、対米追従の姿勢で進んできた安倍晋三首相は、毎日、人知れず苦しんでいるのではないでしょうか。

――著書にも出てきますが、01年9月11日の米国同時多発テロ事件の直後に、NATO(北大西洋条約機構)の元最高司令官だった米国人が、「私たちは5年のうちに、7つの国を取り除く」と発言しました。

Photo by Shinichi Yokoyama

7つの国とは、イラク、シリア、レバノン、リビア、ソマリア、スーダン、イランでした。この時、米国に敵対視されたイスラム世界の人々は、「米国は気に入らない国であれば、排除しようと動く国である」という認識を持ちました。

その米国との関係を深めている日本は、まだあからさまな憎悪や復讐の対象にはなっていないために、日本国内ではテロが起きていない。イスラムの人々は、過去に日本が米国と軍事行動を共にしたことがない事実を知っています。

とはいえ、このまま対米追従を続けるのであれば、日本でもテロが起こる可能性は十分にあります。現在の日本の姿は、世界の国々からどう見られているのか。集団的自衛権が閣議決定され、“戦争ができる国”となった今こそ、政府関係者は真剣に考える必要があるでしょう。本書にも詳しく書いていますが、どう考えてもイラクやアフガニスタンが、自衛すべき日本の一部であるはずがない。

――以前から、ガルトゥング博士は、安倍首相が好んで使ってきた「積極的平和主義」という表現はおかしいと指摘してきました。

はい。積極的平和という概念は、私がオスロ国際平和研究所を立ち上げた1959年から使い始めたものです。平和には、「消極的平和」(negative peace)と「積極的平和」(positive peace)がある。

例えば、国家や民族の間に暴力や戦争がない状態を消極的平和という。一方で、暴力や戦争を乗り越えて、信頼と協調で成り立つ状態を積極的平和といいます。

ですから、安倍首相は“正反対”の意味で使っているのです。

世界の歴史で見て、最も好戦的な今日の米国に追従する姿勢を積極的平和主義と言うのは、「許しがたい印象操作」ですらある――。

“平和学”の考え方は
健康学の発想に近い

――ところで博士は、数学と社会学という、まったく異なる2つの学術的バックグラウンドを持ち、世界各地で紛争調停人として活動してきました。紛争調停とは、どのような仕事なのですか。

端的に言えば、大小さまざまなものがある紛争を“解決”(solution)するのではなく、“転換”(transform)するアプローチを指します。私は、メディエイター(調停人)として、紛争に介入する第三者機関の担当者を助けるという立場で関与します。あくまでも、当事者との個別の対話を通して、平和的な解決策を導くことに主眼を置く。

紛争で対立する当事者たちの話を聞いて妥協点を見つけるのではなく、感情的な衝突や矛盾などを“超越”(transcend)した「新しい創造的な解決策」を導き出す取り組み全般のことです。超越という考え方は、数学から来たものです。

いつも相手が全面的に間違っていて、自分は常に正しいというような考え方では、前に進むことができませんし、平和的な解決策には至りません。紛争調停においては、洞察力を発揮して、根底にある問題は何かを理解することが最も重要になります。

――これまで博士は、国家間の紛争から離婚寸前の夫婦の調停まで、約150案件を手掛けてきました。報酬は、誰からもらうのですか。

調停人としての仕事では、報酬はもらいません。紛争の当事者ではなく、第三者のNGO(非政府組織)などから交通費や滞在費を出してもらうことはある。紛争当事国に赴くのですから、危険な目に遭うこともあります。ですが、理論と実践との間を往復しながら、その成果を体系立てて世界各地で教えることができる。非常にやりがいのある仕事です。建設的なアイデアを出して、共同プロジェクトを考えていく。

59年に1人で始めた研究でしたが、今日では世界中で800以上もの大学や研究機関で教えられるほど、機が熟しているのです。自分では、平和運動のアクティビスト(活動家)ではなく、紛争転換のプロフェッショナル(創造的な解決策を提案できる専門家)だと考えています。米国の俗語で言うアクティビストは、ちょっと意味合いが違う。

現在、世界中で紛争転換に携わる仲間たちが50人ほどいる。日本人もいます。

近年は、学校における「いじめの問題」にも関心を持っています。国家間の紛争も、子どもの間の争いも、本質的には同じです。学校教育の場で、子どものうちから紛争を回避するための考え方を学んでおくことは、非常に意義のあることです。

――しかし、そもそも人類の歴史は暴力の歴史であり、戦争の歴史でもありました。21世紀の現代でも苦しむ人たちが絶えない中で、「平和学」(peace studies)は役に立たない」と言う否定的な人たちもいます。

確かに歴史を振り返れば、暴力や戦争の事例には事欠かない。

ですが、こう考えてみてはどうでしょうか。例えば、医学の中で、「健康学」という研究が発達してきました。この200年くらいの話です。さまざまな学問領域にまたがる新しい発想ですが、健康学の進歩によって、人類の寿命は25年も伸びている。しかも、病院のベッドに横たわったまま生きながらえるのではなく、健康体で長生きすることが可能になりました。平和学の考え方は、この健康学に近いのです。

こうした発想法に立って、以前から私は「北東アジア共同体」の構築を提案してきました。中国、台湾、韓国、北朝鮮、極東ロシア、日本の6ヵ国・地域で始めて、いずれモンゴルなども加わる。もろもろの問題を協議するためのプラットフォームです。

同様に、日本と中国が衝突する尖閣諸島や南沙諸島をめぐる紛争でも領土を共同所有にして地下資源からの収入を分け合う。このアイデアは、日本では反発する有識者が多いですが、意外にも中国の有識者は耳を傾けてくれます。

平和学は、あらゆる紛争に通用する手段を持っているわけではありません。しかし、戦争が根本的な解決策にならない中で、創造的な方向性を探し出すことはできます。平和を実現するための条件を探求する研究活動ですから、既存の経済学――経済学にもいろいろありますが――などのようにエスタブリッシュされたものではなく、これからも進化・発展を続けていく“生きた学問”であるという言い方もできるでしょう。

今日明日は難しくても
明後日なら動く可能性

――博士は、68年に初来日して以来、東アジアの諸問題に関心を持ち続けています。過去には仏教に関する専門書も書いていますね。きっかけは、何だったのですか。

私と日本との縁は、49年前にユネスコ(国際連合教育科学文化機関)から調査員として派遣されたことに始まります。そこで、当時、文部省(現文部科学省)でユネスコと共同調査を進めていたチームにいた日本人の妻と知り合いました。以来、日本という国は、私の心の中で大きな位置を占め続けています(笑)。現在は、スペインに生活の拠点を置いていますが、この3年ほどは続けて東京に来ています。

大きな理由は、日本の安全保障をめぐる政策が大きく変化している中で、憲法改正の動きが現実のものとなってきたからです。私の目には、集団的自衛権の容認などの変化は、極めて危険なものだと映ります。そこで、『日本人のための平和論』として、愛する日本で緊急出版しました。実現に至るまでには、多くの友人たちが汗をかいてくれました。

――本書には、北方領土問題から沖縄の米軍基地の問題まで、紛争調停というアプローチで考えられた具体的なアイデアがたくさん詰まっています。著者としては、日本人のどの層に読んでほしいですか。

『日本人のための平和論』 ヨハン・ガルトゥング 著 御立英史 訳 (ダイヤモンド社 1600円)

若者にも、現役世代のビジネスパーソンにも、高齢者にも手に取ってほしいですね。さらに、しがらみで自由に動けない現役の外務省ピープル(官僚)にも読んでほしい。

日本人は、物事をカテゴライズして考える傾向が強いと感じていますが、私はどのグループにも属していません。世界各地を歩き回って紛争を調停してきた経験から、本書では「こう考えてみたら、どうでしょうか」という建設的な提案をしています。

そう言えば、日本の右派の「日本は米国に従属することなく、もっと国家としての独立性を高めよ」という意見に私は同意しますが、「そのために日本は核武装すべきである」という意見には同意できません。一方で、左派が「日本が軍事国家になる流れ」に反対することは賛成だが、「第2次世界大戦の話になると、東アジア諸国に対して、何でもかんでも『日本が悪かった』と謝ってしまうこと」には、まったく賛成できない。

明治時代以降の日本は、欧米列強による帝国主義や、植民地主政策と正面から戦った唯一のアジア人国家でした。しかし、戦後は「日本はアジアの国々と戦った」「中国で悪いことをした」「アジアに大迷惑をかけた」などと断罪をされているきらいがあります。第2次世界大戦で、日本だけが悪かったという歴史観はおかしい。

その背景には、戦勝国となった連合国側が、敗戦国となった日本を懲らしめるために行った45年の東京裁判があります。しかし、そろそろ東アジアの人々の手で、東京裁判の再検証(東京裁判史観の拒否)に乗り出すべき時期にあるのではないか。

37年の南京事件もそうですが、日本と中国が一緒になって過去を乗り越えるための再検証プロジェクトを始めるのです。いかに乗り越えるか、という視点で考えます。

現在、私は86歳ですが、「今日や明日は駄目だとしても、明後日になれば、事態が大きく動くかもしれない」と常に前向きに考えています。

Johan Galtung(ヨハン・ガルトゥング)/1930年生まれ。59年、ノルウェーで平和研究機関の先駆けとなったオスロ国際平和研究所を創設する。以来、過去に存在しなかった学際領域の「平和学」の研究を続けながら、世界各地で“紛争調停”に従事してきた。68年、ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)から派遣された調査員として初来日する。日本を含めた東アジア情勢にも詳しい。特定の宗教には属さないが、大乗仏教の「関係性の中で考える」という発想は、自身の探求活動にも応用している。著作は150冊以上で7ヵ国語を自在に操る。 https://www.transcend.org/