川西玲子です。
『英語化は愚民化 日本の国力が地に落ちる』(集英社新書)という、二年前に出た本を読みました。これは日本人必読の書ですよ。若い政治学者が書いているところが素晴らしい。日本では明治10年代まで、法学部は日本語で講義することが出来なかったそうですね。それを渾身の努力で近代西洋の概念を翻訳し、知的な語彙を増やしていったわけです。
日本が近代化に成功したのは、日本語を豊かにして全階層が共有したからです。東京専門学校、つまり早稲田大学は、「日本語で授業をすること」が建学の精神の一つだったそうです。早稲田は建学の精神を思い出すべきでしょう。著者は「英語化は近代日本150年への冒涜」だと述べて、「グローバル化英語化こそ社会の進歩であり、歴史の必然」という歴史観に疑問を呈しています。
また「ヘイトスピーチ」という外来語をそのまま使わず、日本語で表現すべきという点にも賛同します。あっという間に誰もがヘイトスピーチと言うようになり、デモのプラカードも英語になりました。NGOもみんな英語か、疑似英語名になっています。これでは生活に刺さる運動にはならないと私は思っています。
今日ヤフーニュースで、社会的無関心をなくそうと活動しているNPOが紹介されていましたが、名称が横文字。既にその時点で、主張と矛盾しているように思われます。そもそも日本の市民運動や社会運動は、外来語を導入し、その言葉を説明しながら普及させていくことを運動だと考えている節があります。だから、一定範囲以上に広がらないのではないでしょうか。生活に根ざした言葉で語れないといことは、根が浅いということです。