役人の政治家への過剰な忖度(そんたく)。資料の消滅。「総理のご意向」との圧力。憲法が言う「全体の奉仕者」である公務員はどこにいったのか。安倍政権をめぐる様々な問題で官僚のあり方が議論を呼んでいる。官僚を国民の手に取り戻すにはどうしたらいいか、日本の「政と官」の関係について聞いた。

――かつて旧大蔵省に代表される官僚支配の弊害が叫ばれ、その結果政治主導が進んだはずですが、これほど問題が噴出すると、政治主導が誤りだったということになりかねません。

「今は行政の頂点には首相、官邸がいて、そこで実質的に決定しているという政治主導が基軸になっています。官僚の振り付けはあっても、官邸からの意思が強く各省庁に及ぶ仕組みになっている。しかし、この政治主導に対して、官僚が完全服従しているかというと違います。それが、文部科学省と『総理の意向』をくんだとされる内閣府のやりとりにみられる情報のリーク(漏洩〈ろうえい〉)につながったと思います」

ログイン前の続き「リークは政治主導の下で政官の緊張が高まったときには、まま見られる現象です。英国のブレア政権が各省庁に参与などとして政治家を送り込んで政治主導を強めようとした際、政権の失態に関するリークが相次ぎました。政治はリークを止めることはできません。放っておくと、隠しても隠しても次々と情報が出て、政権の統治力が溶解してしまいます」

「政治主導の利点は、トップと少数のスタッフ、側近の官僚で速戦即決できることです。しかし、余程意識しないかぎり、様々な経緯を踏まえ、利害関係者、国民の納得を包含した多獲性には欠けてしまいます。その結果、行政がゆがむのです。ゆがみに対抗する手段がリークです。これは文科省だけではない。いろんな省庁でも同様ですから、官僚のリークにメディアが乗ることが常態化すれば、政権の安定が損なわれていくわけです」

安倍政権は、官僚側が不満を持っても、強い命令や指示で全部押さえつけてきましたが、もはや限界です。ゆがみで傷ついた政官の信頼関係を回復させるきっかけが必要ですが、現時点では見当たらない。これは大きな問題です」

――英国では、政官の不信感をどうやって克服したのでしょう。

「最終的には官僚のトップに当たる人物と首相が話し合って、共同で記者会見するなど異例な形を取って『手打ち』をしました。併せて大臣やスペシャルアドバイザーという参与たちの行動規範についての検討が第三者機関によって行われ、政官の境界、互いの矩(のり)を明確にさせようとしてきました」

――日本国憲法の15条は「すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」とあります。官邸の指揮、命令だけに従うのであれば、同じ15条の「公務員を選定し、及びこれを罷免(ひめん)することは、国民固有の権利である」を具体化して、問題のある官僚の罷免を求めたくなります。

「任命権者以外からの罷免は難しいでしょうし、不毛です。大切なのは公務員が何に奉仕するかということを明確化することです。かつての官僚支配時代、彼らの考え方は、戦前の官吏の延長線上にあって、『自分たちが国を率いているぞ』という感覚が色濃く残った『国益の奉仕者』でした。これが政治主導となって、『時の政府の奉仕者』になりました。このとき、『時の政府は国民全体か』という深刻な問いが官僚に突きつけられたのです。しかし、いまだ、この問いは解かれてはいないのでしょう。如実に示すのが文書の取り扱いです。今の政権も役所も、問題となった文書が『ない』と言っています。でも、別の内閣になって、前政権の問題を洗いざらい調査し始めれば、なかったものも出さざるを得なくなる。いま『ない』と言っていた人たちが責任を追及されることになるんです」

「官僚には時の政府と共倒れになっていいのか、という自覚が必要です。前川喜平前文科事務次官が言った『面従腹背』の意味が生きてくる。様々な要求を出してくる政権と相対しながら、国民の奉仕者、全体の奉仕者のあり方を探っていく段階に来ていると思います。英国では官僚の倫理標準を提言したノーラン委員会が官僚が持つべき魂を示しました。無私、高潔、客観性、責任、公開性、誠実、リーダーシップの七つです。ごくごく当たり前の価値観のように見えますが、全体の奉仕者の目指す目標とは何かを実際の言葉にして議論していくことが重要です」

――日本の政治と公務員との関係の現状はどうでしょうか。

「官僚主導でやってきた行政が本格的に転換したのは2009年に民主党政権が発足して脱官僚依存を唱えた時点からです。民主党政権は政治主導を制度化しないままに自民党政権に代わり、4年間、政治主導として進めてきたことの限界が出ています。安倍政権になって経済、外交、内政と課題は確実に増えている。しかし政策形成は限界にぶつかっている。規制緩和にしても、多角的に問題の所在を認識、分析しないまま、スピード感だとか、岩盤規制の突破だといって短絡的に考えられています。十分に練られた政策とはいえず、思いつきに近いものです」

「中曽根政権は国鉄民営化などの政策目標を掲げ、実現に向けてはいくつも審議会を立ち上げ、十分な国民的議論を経て、最後に首相が決断しました。小泉改革も同様な手法がとられました。長期政権ならではの覚悟と手法を駆使すべき問題を前に、安倍政権は短期政権のように性急に振る舞っています。重要な政策課題についての国会審議も数カ月だけで、しかも論議が深まらぬまま通してしまい、熟度の低い政策形成を繰り返しています」

「政治主導をする政権チームが臨界点に来ているのでしょう。従来は政権4年にもなれば、中心メンバーが1回か2回か交代して新陣容に再編成されてきました。いまは交代がなく、くたびれて認識が硬直化しています。加計を巡る文科省の文書を菅官房長官が『怪文書だ』と切って捨てましたが、疲れで柔軟に適応できなくなっているように見えます」

――政治主導の象徴的存在が内閣人事局ではないでしょうか。現在は政治家の萩生田光一内閣官房副長官がトップを務めています。

「政治が官僚に一定の制裁を与えられるとしても、実際に行使するかどうかは別です。通常、省庁の次官や局長級になる官僚の候補は複数います。その中で順当な範囲で政治が選ぶ分には構わない。問題なのは明らかに不適当な人が抜擢(ばってき)されたかどうか。また、釜山の総領事が政権の対韓外交を批判したような話をしたので更迭された、といわれました。本当にそれで更迭されたのならおかしなことです。政権や内閣人事局の判断がよかったかどうかを、監視、監査する機関があって、事後的に人事の是非が議論されるべきだと思います」

――日本でも、政権交代と政治主導を踏まえた官僚の行動規範が必要なのでしょう。

行動規範を決めるために、政治性のない第三者機関が議論しても、首相がメンバーを選んで議論を付託する委員会を置いてもいい。要は客観性を担保して政争の具にさせないことです。現政権にこうした問題の解決の意欲がないのなら、『内閣人事局はより公正に人事を行う。そのためにこうした機関を新設する』と公約に掲げる政党や、総裁選に臨む自民党議員がいてもいい」

――政治主導のゆがみを解消する取り組みを重ねることが、本質的に重要ということですね。

「それが全体の奉仕者を育てていく道です。官僚をもう一回、国民が育てるところに来ているわけです。過去2回、国民は政権を作った。ですが、その政権の下での行政を国民が育成するまでにはなっていない。官僚の行動規範を作る第三者機関は国民の代表に近ければ近いほど、行政が国民の意思によって動くことになるのです」

まきはらいづる 1967年生まれ。2013年から東京大学先端科学技術研究センター教授。専門は行政学・政治学。著書に「内閣政治と『大蔵省支配』-政治主導の条件」「権力移行」など。

■政官違う役割、問われる質 久保田勇夫さん(西日本シティ銀行会長)

大蔵省(現財務省)、国土庁国土交通省)で、30年以上を公務員として歩き、退官後、「役人道入門」という本を出版しました。役人は専門分野を持つのは当然ですが、役人であることで必然的に求められる技術や哲学に通じているべきではないか、そんな思いを集大成しました。

公務員は、憲法を含め法令に従う義務がある特別な職種です。しかし、政治家も新聞記者も、そうした認識が薄いと思います。

公務員だった頃、政治家と本音で話すような場で、「俺たちは選挙で選ばれた国民の代表だ。役人は試験で選ばれただけだ」と自分たちの方が上かのように言われたことがありました。しかし、政官は上下ではなく、仕事の質で異なるのです。

公務員は問題を分析し、いかなる政策を取るかを検討し、とるべき措置が決まれば関係者を説得し、政策を実現させる職種です。これに対し政治家は世論を見極め、いくつかの選択肢の中でどれを採用するか、価値判断して決定する役割です。

かつては役割分担が円滑に機能していました。大蔵省竹下登宮沢喜一両蔵相に仕えましたが、政官の区別をお持ちでした。竹下さんは政官が協力して仕事を成し遂げるという考えで、よく「これをやるには、こう思うが、ここがよくわからない」などと聞かれたものです。決定前に役人とアイデアのキャッチボールをされたのでしょう。

米国で数千人ものポストを政権が選ぶ政治任用(ポリティカルアポインティー)は、チームワークで仕事をしてきた日本や欧州の社会にはなじみません。政治任用は政権側の政策メッセージを人事で反映できる利点もありますが、短期間で実績を示そうと功名心による弊害も大きく、黙々と仕事をする努力の上に成り立っている日本の伝統的役所文化のメリットを壊すことになります。

政治主導の流れの中で、問われるのは行政の質が上がったかどうかです。現状が問題なら、政治と役人の関係、あるべき国の形を皆で議論すべきです。政官だけの課題ではありません。ジャーナリズムやアカデミズムの世界を含めて、日本の総力が問われる課題です。トランプ政権による混乱の一方で、米メディアは国の形を議論しています。そうした底力を日本も発揮すべき時です。

(聞き手はいずれも編集委員・駒野剛)

くぼたいさお 1942年生まれ。66年大蔵省入省。関税局長、国土事務次官を歴任。2000年退官。14年に現職。