(異論のススメ)森友・加計問題めぐる報道 「事実」を利用するメディア 佐伯啓思

2017年8月4日05時00分

大相撲名古屋場所で14勝1敗で優勝した白鵬が、その1敗した御嶽海戦について、こんなことをいっていた。万全の体勢になって問題ないと思ったら敗れた、相撲は奥が深いね、と。あまり適当な連想ではないが、「安倍1強」といわれ、万全の態勢にあった安倍政権の支持率が急落し、急きょ内閣改造を行った。相撲ならよいがログイン前の続き、こちらは、まさか「政治は奥が深いね」というような話ではないだろう。

安倍政権にとって幸いなのは、民進党の混迷が輪をかけてひどい状態なので、現状で対抗できる野党がないことだ。しかし、明らかに安倍政権は「1強」ではない。敵は「世論」であり、それを端的に数値化した「支持率」である。

1990年代の政治改革以来、支持率に示される世論が政治の動向を左右することとなった。もともと政治改革とは、二大政党の間の政策論争による政権選択だと宣伝されてきた。民進党(旧民主党)はまさにその実現を使命として成立し、本紙を中心とする多くのメディアもそれを支持した。

にもかかわらず、実際に進展したことは何だったのか。とてもではないが二大政党政治でもなく、政策論争でもなく、政権選択選挙でもなく、もっぱら支持率を通して世論が政治を動かすという事態であった。しかし、「世論の動向」とはそもそも何なのか。

安倍政権の「1強」を崩した要因の半分は、自民党も含め、身内からでてきた失言や暴言や週刊誌的スキャンダルであった。閣僚については安倍首相に責任があることは間違いない。しかし、あとの半分は、森友学園加計学園問題である。実際、この5カ月以上にわたって、ほとんど連日、野党もマスメディアもこの問題を取り上げ続けてきた。テレビの報道番組や報道バラエティーを見れば、連日、加計学園の名がでてきて、今治に計画された小さな大学がいまや全国でもっとも知名度の高い大学になってしまった。

半年近くにわたって新聞紙上の1面を占拠し続けた問題となると、通常は、国家の方向を左右する大問題である。果たして、今治に計画される獣医学部が日本の将来を左右するだろうか、などと皮肉をいいたくなるほどの大きな扱いであった。

様々な不透明な経緯はあったにせよ、加計学園問題がそれほど重大問題だとは私には思われない。ただここで私が関心をもつのは、この問題が「事実」をめぐってどうにもならない泥沼に陥ってしまったように見える点である。

とりわけ、メディアは「事実」を御旗にしている。「事実」といえば、一見、客観的で確定的なものに見える。そこで、野党もメディアも、文科省の内部メールを持ち出して、これを「事実」とし、官邸が文科省に圧力をかけたという。そうでないなら、「ない」という「事実」を出せ、という。出せないのは、安倍首相が「お友達」の便宜をはかるために圧力をかけたからではないか、という。メディアが連日、そんな報道をしているうちに内閣支持率が急落していったのである。

この先、何かのっぴきならない「事実」がでればともかく、現状では、確かな「事実」などどこにもない。そして、安倍首相加計学園の便宜をはかり圧力をかけたといった「事実」はでるはずもなかろう。すべて藪(やぶ)の中なのである。しかし、野党もメディアも、政府側が説明できないのは、「事実」を隠蔽(いんぺい)しようとしているからだ、という。私にはまったく無謀な論理だとしか思われない。冗談だが、かりに便宜をはかったとして、それを「事実」をあげて説明せよ、といわれても難しいだろう。そもそも「口利き」や「圧力」は証拠など残さないだろう。

しかも、野党もメディアも、実は「事実」だけを報道しているわけではない。個人的事情によって行政を歪(ゆが)めたと推測し、その推測を根拠に、政府の説明責任を追及しているのである。「事実」報道の客観性を唱えるメディアが頼っているのは、「事実」ではなく「推測」である。この推測を突き崩す「事実」を提出できない政府を攻撃する、というのだ。しかし、政府からすれば「ない」という「事実」を証明することなど不可能であろう。

私は、いま、政府を弁護しようとしているわけではない。そうではなく、「事実、事実」といっているメディアが、実は、「事実」など本当は信用してはおらず、ただそれを利用しているだけではないか、と言いたいのだ。森友・加計問題に示されたメディアの報道は、「事実」をめぐる検証の体をとりながら、実際には「疑惑の安倍政権」というイメージを醸成する一種の「世論」操作のようにみえる。

民主政治は言論を通じた権力闘争である。安倍政権に対して批判的であれば批判をするのが当然である。しかし、この批判は、安倍首相の世界観や現状認識、それに基づく政策(グローバル経済への対応、対米政策、北朝鮮問題、安全保障、TPP、学校教育などいくらでもある)へ向けるべきだろう。加計学園問題にしても、少し掘り下げれば、構造改革の是非や官邸主導政治の是非、という問題へたどり着くはずだ。論争は、不確かな「事実」をめぐる駆け引きではなく、世界観や政策をめぐる意見の対立にこそあるからだ。そして、野党もメディアももともとそれを求めていたはずではなかったろうか。

 


 

コメント:この論は間違っている。人間の価値は地位・政策などではなく人格・性格であり、その人の言行に現れる人格・性格が信用できなければ、地位・政策も信用できなくなる。首相の言行を見て国民は信用できないから支持が下がり不支持が多くなったのである。更に地位・政策についても多くの批判がある。字が読めない(云々など)・言葉の使い方がおかしい(積極的平和主義など)・嘘をいう(アンダーコントロールなど)・無理解(国会の長など)・行動がおかしい(トランプ支持など)・地位獲得(七光り・金人事権など)、また政策は私的(岸崇拝・オトモダチ内閣や優遇など)・誤認(新憲法観など)・復古(日本会議など)・悪立法(戦争法・秘密法・共謀法など)・施策(全電源喪失なしの言明にかかわらず原発事故が起きたのに責任とらず再稼動・輸出など推進するなど)等々で「安倍政権を認めない」「九条の会」などの運動が広がり継続している。「ないこと(潔白)を証明できない」というが、それならば証人喚問にすべて応じるべきである(自身・妻・加計・今治市長そのほか)。それをしないから疑惑がますます募るのである。国民八割が疑惑解明を望みメデイアも事実を明らかにする努力をしているのである。それをメデイアが「イメージを醸成する一種の世論操作」とする筆者はまさにそれを行おうとしているのである。。

Categories アベノミス

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