サンテレビニュースPORT(2017/8/9) 敗戦記念日特集、元戦闘機パイロットの証言、生き残った者の責任

 永岡です、サンテレビニュースPORT、敗戦記念日特集、三木市出身の元戦闘機パイロットの岡田良さん(90歳)、フィリピンや本土で特攻機の護衛について、多くの戦友を見送り、生き残ったものの責任を問いかけられます。

神戸では、中央図書館にて、神戸空襲の資料展が始まり、犠牲者は8000人を超えて、米軍の撮影した神戸の壊滅したカラー映像もDVDで上映されています。

今年で敗戦72年、元零戦パイロットの岡田さん、兵庫県の一本道から太平洋戦争で多くの戦闘機が飛び立ち、1941年に太平洋戦争、敗戦まで310万人の日本人が犠牲、戦闘機に乗り出撃したパイロットたち、手書きで名前が残されて、岡田さん、書いてあるものは覚えていると言われて、零戦や紫電改を操縦、17歳で海軍に入隊、いくつもの死線を乗り越えて、当時の若さのために戦争に志願したと言われて、開戦当初の勢いもすぐに失速、米軍に対して劣勢に劣勢であり、敗戦1年前の1944年、特攻隊作戦を軍は決行、もちろん作戦=死であり、岡田さんも申告しても、特攻隊の援護隊をさせられて、敵艦に向かう仲間を護衛するのが任務、特攻隊は爆弾を抱いて行った戦友のことは言葉がなく、また軍は出撃拠点のために、各地に飛行場をインスタントで作り、三木市に滑走路が2km作られて、しかし出来てから1年で敗戦のために、資料が残らず、戦時中建設された三木飛行場のことなど、戦争体験を集める活動をされる宮田さん(61歳)が資料を集め、宮田さんの父博文さん(92歳)は戦闘機の整備士、そして死が近くにあったと、殺さなければ殺される、極限状態の国同士の戦争、岡田さん、墜落した敵戦闘機を見て、戦死した米兵の顔は真っ白で、気の毒にと思い、岡田さんもいつかはそうなるのかと自分に問い、ある日突然、大切な人を失うつらさ、岡田さんは今もそれを忘れられず、悲しみや苦しみにかまっていたら戦争はできない、戦争は非情であり、切ないと言われます。

散っていった多くの命、戦友の思い出は、岡田さんに生き残った者の使命を問いかけて、そして語り継ぐと言われて、語られた72年前の記憶、多くの犠牲の元に生きる戦争を知らない世代にも、この記憶をつなぐことが求められています。以上、ニュースPORTの内容でした。

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