メッセージカー

 川西玲子です。

どなたの投稿か覚えていないのですが、メッセージカー(街宣車)という言葉が目に入りました。驚きました。運動の内部では今、街宣車がメッセージカーと呼ばれるようになっているのですか。

確かに街宣車という言葉には、過去の色々な出来事や思い出が染み付いています。しかしカタカナになってしまうのにも違和感があります。こういうところにも、真のグローバル化につながらない「気分だけグローバル化」の波が押し寄せているのでしょうか。とにかくどこもかしこも、恐ろしい勢いで漢字が消えて、カタカナや横文字に入れ替わっていますね。分野や立場に関わらず、日本全体がそうなっています。

企業はもちろんですが、政府がひどい。プレミアムフライデー、キッズウィーク、高度プロフェッショナル労働制・・・全て中身を曖昧にして、新しい雰囲気を出すためです。特徴は漢字の忌避です。「ひと・まち・仕事づくり」や「見える化」というのも、おかしな言葉です。丁寧に説明するとこうなるのか。一方、カタカナを使わないと「一億総活躍」「ひとづくり革命」になってしまうんですね。そもそも日本語の美学自体を持ち合わせていないようです。

「向き合う」「寄り添う」という主体と客体がはっきりしない言葉を、政府や役人が使うのもおかしな話です。NHKは盛んに「原発に向き合う」「被災者に寄り添う」と言っています。不明瞭な言葉を使って、国民の思考を混乱させるのが目的でしょうか。日本語の論理を支えている漢字や、明治の知識人たちが西洋近代との格闘を経て生み出した熟語を、敢えて軽視しているように見えます。

民主主義の土台を支える母国語が、政治の場からも社会運動の場からも消えてしまったら、どうやって日本の現実を変えることができるでしょう。さっきツィッターで「ゲンロンカフェ GennronnCafe」というものを見つけました。社会や政治について気楽に話し合える場ということで、とてもいい着想だと思うのですが、一瞬見ただけでは何のことかわかりません。「ああ、言論カフェなのか」と理解できるまで数秒かかりました。そもそも言葉の美学としても破綻しています。

とはいえ、グローバル化の時代ですから英語表記も必要です。それなら日本語を先にして「言論カフェ GennronnCafe」というふうに併記すればいいでしょう。すぐカタカナや横文字にするのは安易で、知的作業が全く行なわれていないと思います。そういう知的怠慢を続けていると、思想がどんどん痩せ細ります。日本の現実に爪を立てることができません。

論旨がずれて話が飛躍してしまいましたが、自分たちの知的源流を忘れ、時流に流されて新しい感じを追いかける風潮を私は危惧します。日本社会の底流には、進歩的であることは欧米的であるという感覚が遺伝子のように定着しています。たかがメッセージカーぐらいのことで大げさだと思われるでしょうが、ちょっと気になったもので。

MLホームページ: http://www.freeml.com/uniting-peace

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