8月15日を語る歌人のつどいの澤地久枝さんの話。(短歌に興味のない人も是非お読みください)

 

to 大津留 公彦
8月15日を語る歌人のつどいに参加しました。

ご参考
新日本歌人のホームページの予告記事

なかなか盛りだくさんの集会でした。
会場の日比谷コンベンションホールの定員200人を超えて立ち見の出る盛況でした。
準備された皆さん有難うございます。
澤地久枝さんの講演から断片的なメモを残します。
短詩形文学10月号に報告が掲載されるようです。

――
私は俳句も短歌も作ったことはないが、昭和29年の早稲田大学第二文学部の卒論は「万葉集・東歌研究」だった。
(先生は谷かおる先生で水野昌雄さん・日野きくさんと同じ先生で今日初めて同門だったことがわかりました。)
名前もない人の歌を研究した。
同情から共産党員と結婚した(数年後に離婚)、中央公論の経理事務員で夫をやり、義父の看病をやり学生として卒論書いた。
歌は作らなかったが印税を届けに行った川田順など歌人との縁はあった。穏やかな老人だった。
万葉集講義という本を買った事もある。
中央公論のあった丸ビルから神宮球場辺りにあった家と早稲田に通う為に乗る都電は焼け跡を通り超満員だった。
吉林の陸軍病院の三等看 護婦見習いの解散式が1945・8・15にあり皆泣いた。(学校の勉強を一切止めた国はないと思う。)
今から思えば戦争の行方が良くなくて20代の若い教官と別れるが辛かったのだと思います。
帰りに中国人のこどもが「日本負けた」と言ったのを聞いた。
家に帰って父に戦争が終わったと聞いた。それを聞いてすっきりと私の中で完結した。
世界中で学校の勉強を一切止めた国はないと思う。
巻14の東歌に拘る理由は
今日よりは顧みなくて大君の醜の御楯と出で立つわれは
という歌は戦争中喧伝されたがその隣にあるこの歌は取り上げられなかった。
韓衣裾に取りつき泣く子らを置きてそ来ぬや母(巻20)
当時生活実感のある歌は顧みられなかった。
お坊さんの 加藤まさとしさんの朝日歌壇の中から歌を引いて解説を加えた本を紹介します。(私は長いこと朝日歌壇をスクラップにしていました。)
ニューギニア地図に探すもこの生を奪いて今も骨も帰さず
(ニューギニアは酷い戦地でした。今夜はNHKでインパール、昨日は樺太をやってましたね。日本の政治は棄民をやった。朝鮮人や中国人や南洋諸島の人も含めて)
俳句と違い歌は必ず時代と人生を反映すると思います。
婦人公論9年間編集をやったが歌の募集を行い「この果てに君あるごとく思われて」という歌集をまとめた。この歌をタイトルに使った。
この果てに君あるごとく思われて春の渚に一人たたずむ
歌集が詠まれ、宮本百合子さんをはじめとする撰者たちが、「ここ にこそ女たちの真実がある。」と書かれた。
半ズボン汚し帰りし幼児を叱りいたりき 戦死せしかな
しんしんと雪降る夜なり戦地よりこの魂ひとり寝る窓たたく
明暗を分けてそれぞれ孤独なりこの墓包み木々芽吹き初む
何百万難民作り弧児作り戦は進む何の目的(安倍さんに読ませてあげたいですね)
戦費にて億兆円の予算あり戦死せし子の墓には桜
こういう母親の想いを安倍さんは考えて政治をしているか。考えていたら出来ないようなことをやっていますね。憲法記念日に自衛隊を書きこむと言ったように。
国会で追及されたらその件については読売新聞を読めと言ったのは品性・感性を疑うし、読売の沈黙もおかしい。
私は安倍さんが心底嫌いです。八六 年の人生でこれほど人が嫌いなのは初めてです。ただ嫌いなだけではないんです。どれほど危険な所に日本を持って行こうとしているか、彼がめざしている先には自衛隊の人たちの死であり、そのほかの人たちの死であり、残された人が亡き人のあとを埋めて行くかということについてあの人は何も知らない。でもあの人にいくら言っても彼は分かろうとは思わないです。
一回一人の男として一人の人間として、日本の歌というものを読んでくれたらいいと思うんですね。今進んでいく日本の方向は万々歳で日本はこの方向に行くしか道はないなどという歌に私は出会ったことはない。
みんな今の時勢が進んでいけばろくな事にならないというのはよく知っているんですね。
先週の月曜の朝日歌壇は選 者全員(佐々木幸綱さん、高野公彦さん、永田和弘さん、馬場あき子さん)が劉暁波を詠んだ歌を選んでいる。
焼かれ撒かれた貴方の心に会えますか劉暁波よ 明日は海の日
ノーベル賞受賞の空席空席のままに残して劉暁波氏逝く
受賞者は天安門の犠牲者と残して逝きし劉暁波氏
彼は中国に人間的な政治をと言っただけだった。
この一日の朝日歌壇を読むだけで一つの時代、何事があったかが分かる。歌には力があります。私は前回参加できませんでしたがいろんな本を頂いた。
日本の文化と思想1・2(短詩形文学編集部)は呻く思いでした。
うたびとは歌を歌うだけでなく、今日の会もそうですけど事業として形として残るようなことをすべきだと辿り着いて居られ てそれは見事だと私は思います。
九条の会の呼びかけ人は三人になったが応援団に新しい九人が中心になっている。
梅原猛さんは最初から会合には出ないという事になっているし、大江健三郎さんも最近は出ないようにされているので、私一人が出て行っている。
石川啄木は当時の日本の現実に目覚めて階段を駆け上るように頂点まで行った人だと思っている。
しかし、「故郷のなまり懐かし」の歌は嘘だと思う。家に故郷のなまりの強い妻と母がいたのだから。
「東海の小島」の歌は頭の産物で日本の事だと思う
啄木は十代でアメリカ・イギリスに行こうとしていたので世界的視野があった
そういう例がないわけではない。
ノグチ・イネジロー(イサム・ノグチの父)の詩は 英語に訳され有名になった。
戦争は気が付いたら始まっている。
アベ政治の支持率を上げる人たちは何を考えているのだろう。子や孫の事は考えないのか。
これは日本だけの問題ではない。世界の人がどうなるかに繋がっている。
戦争しない憲法を持って、原爆の被害を受けた唯一の国なのに掲げている旗と違う事をやっている。
一人は弱いけれど一人に託されている今の憲法の人権や諸権利の条項はまだ生きている。
憲法を守りぬくために頑張らなければならない。
一人が二人と鎖を編んでいくようにその声が広げられればどんなにいいでしょう。
寒風に吹きさらされてもの売れり黄泉も凍らん戦死せし子よ
末は共に墓に入らむと夫ならで麻痺の我が子が言うぞ悲しき
(この国は非福祉国家になり五兆円を超す軍事費を使う、東京五輪でなく福祉の充実を。)
鬼となりて捨てんと決めにし子は死せり在らば残留孤児と来しかも
在らば古希と齢を数う往く前に産みし子も餓死夏は悲しく
歌が残ることによって、後世に伝えられる。私もいろんな事を教えられた。それが歌の持っている力でしょう。
御巣鷹山の歌です。
墜落機に死にしわが子の骨を拾う苦しかりしや小さき小さき骨
こういう歌が残ることで御巣鷹山の悲劇の一端が残る。
私は相変わらず一首も一句も書かず、散文も滞りがちですが今日が最後かもと思いながら下手なお話をさせて頂きました。
ありがとうございました。
ーーー
司会者から
ク ロワッサンの最新号に澤地さんが最も影響を受けたとして「人間の条件」を紹介しています
紹介頂いた「日本の文化と思想」Ⅰ・Ⅱも講演録も申し込み受け付けています。
8・15の記録が第四集まで出ています。
ーー
貴重な集会でしたが今年は動画
を残すことが出来ませんでした。
澤地さんも言われるように残すことが大事です。
来年は是非動画で残したいと思います。
ーー
10・28(土)の13:30から同じ日比谷コンベンションホールで
憲法を考える歌人のつどいがあります。
伊藤真さんの講演と水野昌雄さんの講演があります。
以上

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大津留公彦
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