報道するラジオ(2017/8/21) 敗戦72年特集 日中戦争、南京大虐殺、父の戦争を語り継ぐ 山本敏雄さんのお話

 

永岡です、報道するラジオ 第258回、今週も毎日放送アナウンサーの水野晶子さんの司会で放送されました。

今月の報道するラジオは戦争を考える企画、今回のゲストは日中戦争80年、一人の兵士の従軍記録から考える戦争、福井県鯖江市の市議会議員の山本敏雄さん(68歳)、父親の武さんは1937年から2年間日中戦争に従軍して、虐殺、略奪、慰安所開設や南京大虐殺のことも書かれて、一方、戦時中の日記には書いてあったのに、晩年の、一兵士の従軍記録にはあまりに残酷で書けなかったことがあり、山本武さんが後世に残したかったことと、戦争責任、戦争を語り継ぐ意味を考えます。

この他に関して、南京事件を扱うHPに記載がありました。

http://www.geocities.jp/yu77799/nankin/yamamototakesi.html

山本さん、従軍手帳、父親の残したものを持って来られて、日中戦争時に父親が送られて、上海から攻め進み、南京に行き、日本軍の中で父の書き残した従軍手帳、水野さん目の前で、ポケットサイズで四隅が擦り切れて、しかし几帳面な文字で書かれて、1937年から全7冊、敗戦まで書かれて、陣中日記、山本武、手帳は潰れそうですが、きれいに綴じられて、丁寧に保存されて、山本敏雄さん、戦場で悲惨な光景を見て、戦火を潜り抜けて80年後の我々へのメッセージ、戦争、それは実に想像以上のものであったと、克明に様々なものを残されたのです。水野さんのご覧になったものだけで、飢餓の中でどう生き残ったのか、捕虜に何をしたか、慰安所、南京大虐殺の記述もあり、これは水野さんにショックで、よくこんな従軍手帳を持って帰られたと水野さん言われて、敏雄さん、敗戦後帰国時に没収されるもの、これを日本国民に知られたら当局は大変であり、上官に頼んでこれほど貴重な、克明に書いたものはないと認めて、持ち帰るのは許すが、公開は禁じられて、そういう必死の思いで持ち帰り、敗戦後時間を経て、武さんは敏雄さんたちに伝えたいとペンを取られて、水野さんも衝撃と言われるものなのです。

 

ニュースは上田崇順さんの担当でした。

米韓軍事演習、アメリカと北朝鮮の関係緊迫の中でコンピューターシミュレーション、米軍の参加者は昨年より少なく、ソウルの米軍基地で行われて公開されず、北朝鮮は反発、ロケット発射を警戒して、文大統領は定例の演習でアホなことをするなと言い、グアムの局長が日本人観光客に来てほしいと東京で言い、観光への影響はゼロ、グアムの3割は軍用で、それ故に標的になり、トランプ大統領の挑発でグアムが危機だと住民は不満、投票権がなく、トランプ大統領の軽い言葉でグアムが困っていると怒っています。

横浜を母港とするアメリカのイージス艦がタンカーと衝突、第7艦隊の所属、以前にもコンテナ船と衝突して死者が出ています。

民進党代表選は前原氏と枝野氏の一騎討ち、前原氏は前回に続けて、枝野氏は初の出馬、共産党との共闘を前原氏は見直し、枝野氏は共闘を続けるというのです。小池氏の若狭氏の新党については、前原氏は評価を保留、枝野氏は自民党の補完勢力として、核について前原氏は維持、枝野氏は一刻も早い原発ゼロを目指すというのです。

森友学園問題、補助金詐取で籠池氏夫妻を再逮捕、障碍の園児数を水増しの容疑であり、特捜部は国の補助金詐取で、詐欺で起訴です。

 

そして、山本さんの、父武さんの80年前の記録、当時武さんは20代前半、戦地に行き、帰国後、戦後になり敏雄さんが生まれて、日頃の武さんは子供をかわいがってくれて、近所の子供にも優しく、農業をやって子、孫をかわいがり、畑でカエルがいても、殺生せず、困ったことがあっても生き物を殺生せず、武さんは23歳で中国戦線に行き、従軍手帳の一旦、戦場で食べるのは、上官、戦友の死を目の当たりにして、食事も出来ず眠れず戦う気力なし、鉄砲も持てず、おにぎりは泥水の中でぐちゃぐちゃになり、それでも我慢して食べて、せめて死ぬ前に白いおにぎりが食べたい、なぜ戦場で食べ物がなかったのか?敏雄さん、上海上陸で、えげつない激戦、3日も4日も寝る暇なく戦争で、食糧もおにぎりが行きわたらず、食べるものもなく、弾に当たって死ぬかもしれない、そこで、現地の、中国の方の食べ物を奪い、上海陥落→都市に攻めても、兵隊は食糧、武器の輸送部隊もいても、前線には後方支援は追い付かず、集落の方の物資を奪い取って食べるしかなく(泣)、略奪するしかなく、一般住民、農民の食糧を奪うしかなく、集落の長に強制的に出させて、もちろんその集落の方が餓死することになり、敵に物資を取られないように、集落を焼き討ちにして、奪うものは奪い、なぜ家を焼くのか、敵の拠点になるのを防ぐというのは大義名分、自分が食べるために、軍の方針に逆らえない、生きる、食べる、戦争の軍人魂を叩きこまれて、しかし戦友は死んでいき、これは武さんとの会話もあり、敏雄さん、尊敬できる上官や同僚もいて、先陣切って付いてこい→銃でやられる、えげつない死に方であり、戦友たちの死に様を見せつけられて、復讐心も沸いてきたものではあり、亡くなった戦友の遺骨も持ち帰るのは困難であり、敏雄さん、これを武さんから聞かされて、同じ同郷の仲間を置き去りにするのは悲しく、せめて遺骨を、として、民家から七輪を取り出して、死んだ仲間の指先を切り取り焼いて、遺骨を持ち帰るしかなく(泣)、武さんはこんなことをやってきた、遺体を傷つけるのはいけないかと問われて、敏雄さんはすぐさま返答できず、しかし武さんの、遺族の思いは何とか伝わり、遺族にも受け入れられたのです。

水野さん、捕虜、住民の殺害、南京陥落の2日前、丁寧な記録であり、難なく8名をつかまえて、戦友の墓標の前で突いて突いて突きまくり…内地ではヘビ一匹殺すのもためらわれたが、手を合わせて拝む敗残兵を虐殺して…戦友の仇を打ったと、人殺しの後で食事がうまい…大した悪者になった…こんなことは、内地に帰っても話せないというものであり、これは南京陥落直前、敏雄さん、優しい父の行動とは信じられず、捕虜の殺害の話は武さんから聞いても、武さんが手をかけたとは思わず、なぜ手をかけたのかと問い、武さんは殺してきたと認めて、戦争反対になり、しかし捕虜を管理するのは、捕虜に食べさせるものもなく、当時の中国戦線では捕虜は殺せであり、今の部分、手帳に記されても、武さんはこれについて敏雄さんたちに話さず、しかしこれは大変なショック、各地での公演で敏雄さん嗚咽、父がこれほど変わるのかと、想像できない世界であり、敏雄さんの頭の中で整理できず、農民として殺生できない人が、戦友の仇として殺戮するものであり、少年兵で2年軍人教育で洗脳されて、中国の兵士は殺していいという軍人の魂を叩きこまれて、武さんの回顧でも、温厚な農民が、2年軍人の教育で、おかしいと思いつつ、そのような人殺しになってしまうものなのです。

武さんは従軍手帳を元に、原稿用紙に向かい、振り返ることのできたのは、戦場での凄惨な体験を書いたのは晩年、戦後何十年経ってから、そして書かれたものに、手帳に書いていても、原稿用紙に書かなかったものもあり、あえて割愛した部分もあり、手帳に克明に書かれた、途中集落に火を放ち、拠点を破壊、女も子供も片っ端から殺す、1度に50人、60人、女子供も殺すなというものを殺して、こんなことは過去なく、ああ戦争は嫌だ、と書いてあり、武さんの手が震えての字であり、これを割愛した理由、晩年になり、戦争体験を伝えたい思いでも、これだけは人間として許されず、いくら上官の命令でも、三光作戦で赤ちゃんも殺しており、焼き尽くせ、奪い尽くせ、復讐心とは意味が異なり、この手帳を武さんは隠されて、敏雄さんが子供、武さんの孫を見て、敏雄さんも結婚して子供3人、真ん中の娘を武さんはかわいがり毎日おんぶして、敏雄さんは会社勤め、ある日も朝早くに、支度していたら、武さんが孫を抱いて、敏雄さんを見て、こんな子供たちを殺してしまったとつぶやき、敏雄さんも驚いて、目がうつろであり、敏雄さんに聞かせたくつぶやいたのではなく、こぼさずにいられない言葉ではあり、戦場で加害者としての行為に苛まれたのです。

武さんは70歳で亡くなられて、その後本になり、これからは南京大虐殺のこと、12/13に南京入城、武さんは南京城に直接行ったのではなく、大砲を撃つ後方支援であり、1937年12月19日、この日の朝、揚子江に集まった数万の兵士を機銃、戦車などで大虐殺、降伏したものも皆殺し、大将が皇軍にあるまじきと、死体の焼却、始末に大変な、惨憺たる状況であったというもの、南京大虐殺について武さんの証言は、慰安婦問題もあっても、南京大虐殺は武さんから聞いて、直接投入したのではなく、南京の町はきれいになっていたというものの、本当の事を知っており、しかしこれを直接書けず、風聞として、しかし克明に書いて、敏雄さん、武さんが直接虐殺に関わっていなくても、南京の城の外では大量に捕虜を殺しており、城の中だけではなく、武さんの親戚に、南京陥落時に視察して、虐殺のあったことを証言して、敏雄さんは直接聞いて、捕虜を皆殺し、揚子江に死体が溢れたことであり、ラジオで伝えるのがいいのか悪いのか、南京大虐殺の確証はないものの、証言はあり、しかしこれを武さんに聞くと困った顔になり、武さんの原稿を自費出版したら、とんでもないことを書いたと様々な方面から批判されても、公開した意味はあったのです。

慰安所、多数の兵士が待ち望んでいたものが開設されて、なかなか繫盛して、これが軍の作戦遂行、ノイローゼ防止になるかは分からないものの、主要な町には慰安所が開設されたものの証言、敏雄さん、当然話題になり、武さんはこれを恥じて、軍でどういうことがあったか、関心ある人は知っていたが、命がけで戦う兵士を慰安所に行くのを止められず、しかし貞節は守るべきであり、武さんは許嫁がいて、恥として許せず、世間でいう、女性へのレイプは、自分の部下にはさせない、子供たちにも、結婚するにあたって、男として女をいたわれと言われていたのです。

敏雄さん、武さんの思い、慰安婦問題、全てについて、たくさんの思いがあり、家族の絆は夫婦であり、将来の日本への思い、人としての生き様にも言及されたのです。

武さんの、これだけの思いの証言をどう伝えていくか、敏雄さん、一人一人のことで、戦争だからと許されるものではないと言われて、水野さんもこれを受け止められました。以上、山本敏雄さんのお話でした。

 

今週の特集、戦争の記憶と記録、父の戦争を語り継ぐ、リスナーの感想があり、父母から戦争体験を聞けたが、子供には伝えにくいとあり、武さんは生きていたら104歳、また、心優しい人が殺人をするのに衝撃、人が人で亡くなることに衝撃、教育の大切さも水野さん強調されました。この内容、例によりいくらでも拡散してください、戦争はこんなムチャクチャなものであり、戦争を志向する安倍政権を放置したら、日本も世界も破滅です!

 

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