「日本に貧乏人はいるが貧困は存在しない」

「日本に貧乏人はいるが貧困は存在しない」
朝日新聞 2013年8月22日
(インタビュー)生きづらい世を生きる

近代化の意味を問う評論家・渡辺京二さん

幕末維新のころ日本に滞在した外国人の訪日録を集め、近代化以前
の社会の実相を明らかにした「逝(ゆ)きし世の面影」が12万部
を超すロングセラーになっている。異邦人の目に映ったのは、幸福
と満足にあふれる当時の日本人の姿だった。その後、私たちは何を
失ったのか。なぜ生きづらい世になったのか。著者の渡辺京二さん
に聞いた。

――「日本に貧乏人はいるが貧困は存在しない」という外国人の
言葉が強く印象に残りました。

「明治初期に東大に招かれた米国の動物学者モースの言葉ですね
。彼の念頭にあったのは、19世紀末の当時、欧米の大都会でみら
れた労働者の打ちひしがれた表情です。すでに資本主義が始まって
いました。貧困によって人間の尊厳まで否定される絶望。『人生の
敗者』を思わせる不幸。そういったものが刻み込まれた貧困の表情
が日本の貧乏人には見られない、と驚いたのです」
「江戸には膨大な数の貧乏人がいたんですよ。でも彼らは、それ
ぞれ居場所をもっていた。たとえば、煙管(きせる)にヤニが詰ま
りますね。それを掃除する仕事が職業になる。それで食べていける
。そのかわり粗末な長屋暮らしですよ。家具もほとんどない。しか
し、そんな貧乏人が食事になると美しい食器を使う。その美意識に

も外国人は驚いたんです。しかも親はしつけで子をたたかない。『

子どもの楽園である』と」
――日本も日本人も、大きく変わってしまったんですね。
「維新後に司法省顧問に呼ばれたフランス人のブスケは、日本の
労働者はちょっと働いたらすぐタバコ休みにする、これでは近代産
業を移植するのは無理だと考えた。当時の日本人はまだ、自分が時
間の主人公だったんですよ。地固め工事のヨイトマケをみたモース
も、日本の労働者はまず歌い、それから滑車の綱を引くと。なんで
労働の手を休めて歌うのか、不思議に思うんです。要するに労働は
資本主義の賃労働と違って、遊びと分離されておらず、楽しみが含
まれていた。そういう非効率なものを排除していったのが近代化だ
ったわけです」

――まるでメルヘンの世界ですが、そんな時代を取り戻そう、と
いう趣旨で本を書かれたのですか。

「違います。一度失った文明は取り戻せるはずもない。それに、
こういう特質は資本主義が始まる前の中世の欧州にもありました。
欧米の観察者が日本で見いだしたのは、古き良き欧州も持っていた
前近代社会の良さだったのです」
「私たちは彼らの観察を通して、近代化で失ったものの大きさ、
豊かさを初めて実感できます。いま私たちが生きている近代文明の
本質も見えてくる。たとえば、いくら江戸時代がいいといっても当
時の平均寿命は今の半分以下だったんだぞ、という批判があります
。でも、その前提にある『寿命は長ければ長いほどいい』という価
値観が、すでに近代の発想なんです。人は時代に考えを左右される
。その思考枠に揺さぶりをかけ、いまの社会のありようを相対視し
たかったのです」

■     ■

――では現代はどう見えますか。
「あらゆる意味づけが解体され、人が生きる意味、根拠まで見失
って、ニヒリズムに直面しているのではありませんか。だから合理
的に働き、合理的に稼ぎ、合理的にモノを買って遊ぶ。グルメや温
泉巡り、ゲームがはやるわけです。稼いで遊び、遊ぶために稼ぐ。
それが人生だと。それで済む人もいるでしょう。でも人間はいつま
でもは満足できない。そのうち空しくなる」

――生きづらい世の中になってしまったのは、なぜでしょう。
「根本には、高度資本主義の止めどもない深化があると思います
。基礎的な共同社会を、資本主義は根っこから破壊してしまうんで
すよ。たとえば江戸の長屋だったら、お隣さんに『悪いわね』とい
って子を預けて外出できた。ところが今は、お金を払ってベビーシ
ッターを呼ぶ。つまり共同社会では無償で支え合ってきたものを、
資本主義社会は商品化してしまうわけです」
「お金を払えば済むわけですから便利ではあるんですよ。だけど
人間はバラバラになってしまう。資本主義は一人一人を徹底的に切
り離して消費者にする。その方が人はお金を使いますから。生きる
上でのあらゆる必要を商品化し、依存させ、巨大なシステムに成長
してきたのです」

――でも、私たちはそれによって経済的繁栄を手に入れたはずで
す。

「その通りです。何よりも貧しさを克服した。人類は長い間、衣
食住の面で基本的な生存を確保できず、初めて手に入れたのが近代
ですから。しかし、近代は人間を幸せにすることには失敗しました
。人間に敵対的な文明になってしまった」
「昔は想像もつかなかったほどの生産能力を、私たちはすでに持
っているんですよ。高度消費社会を支える科学技術、合理的な社会
設計、商品の自由な流通。すべてが実現し、生活水準は十分に上が
って、近代はその行程をほぼ歩み終えたと言っていい。まだ経済成
長が必要ですか。経済にとらわれていることが、私たちの苦しみの
根源なのではありませんか。人は何を求めて生きるのか、何を幸せ
として生きる生き物なのか、考え直す時期なのです」

■     ■

――人が生きていくうえで、大事なことは何だとお考えですか。
「どんな女に出会ったか、どんな友に出会ったか、どんな仲間と
メシを食ってきたか。これが一番です。そこでどんな関係を構築で
きるか。自分が何を得て、どんな人間になっていけるか。そこに人
間の一生の意味、生の実質がある。本来、生きていることが喜びで
あるべきなのです。日本がGDPで世界2位か20位かは関係ない
んです」
「どんな社会を構築していくべきか。そのヒントが江戸時代にあ
ります。皆が1日5時間働いて、ほどほどの暮らしができないかと
か、労働自体の中に楽しみがあり、仲間との絆が生まれる働き方が
できないかとか。もちろん直接の応用はできませんよ。経済も社会
も大きく変わっていますから。でも、社会に幸福感を広げるにはど
こを目指せばいいのか、その手がかりはある」

――しかし現実には、低賃金の長時間労働、非正規雇用が増え、
独身率も高まって若い人は大変です。

「就職難で『僕は社会から必要とされていない』と感じる若者が
いるらしいねえ。でも、人は社会から認められ、許されて生きるも
のではない。そもそも社会なんて矛盾だらけで、そんな立派なもの
じゃない。社会がどうあろうと、自分は生きたいし生きてみせる、
という意地を持ってほしいなあ」
「『自己実現』という言葉に振り回されている気もしますね。そ
れは、ただの出世の話でしょ。社会規範にうまく適合し、基準を上
手にマスターし、高度資本主義に認められたステータスに到達した
というだけのこと。自分の個性に従って生きれば誰しも自己は実現
されるんです。あんなものには惑わされない、しっかりとした倫理
観と堅実な生活感覚をもった民衆像が日本にはあるんです。藤沢周
平の小説にみられるような豊かな庶民生活の伝統が」

■     ■

――ご自身はずっと熊本ですか。

僕は小学4年から今の高校1年まで旧満州の大連で育ったの。
戦後、着の身着のままで熊本に引き揚げてきて、バラックの六畳間
に7人暮らし。17歳で共産党に入り、結核にもかかって、まとも
な就職なんかできなかった。それでも僕は生き延びてみせると思っ
たし、生き延びてきた。ソ連の戦車がハンガリーの街頭で民衆に砲
口を向けた時点で、党とはさっぱりと切れましたが」
「人は何のために生きるのかと考えると、何か大きな存在、意義
あるものにつながりたくなります。ただ、それは下手するとナチズ
ムや共産主義のように、ある大義のために人間を犠牲にしてしまう
危険がある。人間の命を燃料にして前に進むものはいけません。そ
の失敗は、歴史がすでに証明しています」

――若い世代にアドバイスを。

「人と人の間で何かを作り出すことですよ。自分を超えた国家の
力はどうしても働いてくるんだけど、なるべくそれに左右されず、
依存もしない。自分がキープできる範囲の世界で、自分の仲間と豊
かで楽しい世界を作っていく。みんなで集まって芝居を作ってもい
い。ささやかに食っていける会社を10人ぐらいで立ち上げてもい
い。僕も熊本でずっと、仲間と文学雑誌をつくっては壊し、つくっ
ては壊ししてきたんです」
「ただ、基礎的な社会にだけ生きて国家のことは俺は知らないよ
、ということはできない。国民国家のなかに僕らは仮住まいしてい
て、大家には義理がありますから。だけど、それはあくまでも義理
。義理は果たさねばならないが、本心は別のところに置いておきた
いものです」

MLホームページ: http://www.freeml.com/uniting-peace

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