報道するラジオ(2017/8/28) 核廃絶に生涯をささげた森瀧市郎・春子さんの父と娘の生き方、核兵器禁止条約の意味、広岩近広さんのお話

永岡です、報道するラジオ(第259回)、今週も毎日放送アナウンサーの水野晶子さんの司会で放送されました。

7月7日、核兵器禁止条約が締結されて、日本政府、ASS政権は参加しなかったものの、これには皆様ご存知の森瀧市郎さんと、次女の春子さんが尽力されて、核実験のたびに原爆慰霊碑前で座り込み、それも500回以上!であり、父の遺志を継いだ春子さんも、反核平和団体の要職を務めて核兵器禁止条約に大きく貢献されて、森瀧市郎さん、春子さんを取材された毎日新聞客員編集委員の広岩近広さんがお話をされました。8月は報道するラジオ、戦争について考えて、広岩さんは若い頃社会部、戦争体験の証言、原爆被害を取材、毎日新聞の平和を訪ねてを連載されて、核を葬れという本を出されて、核兵器をどうやったら葬れるのか、今日の特集が、森瀧さん父娘のこと、核兵器禁止条約は七夕に締結、6月に多くの国が署名するもので、核兵器を禁止する条約の意味は、開発、所持、専有どころか核を使うという威嚇すら禁止して、これは非常に画期的なものであり、核の抑止力で安全保障はおかしい、アメリカの核の傘で、日米同盟の安全保障と言うものの、核で威嚇すらアウトの条約であり、国際法で核兵器を包括的にアウトに出来て、核兵器は絶対悪、汚名を着せるものであり、核兵器禁止条約がやっとできたのに、日本は交渉すら出ず、会議の最初に出たのみ、アメリカの核政策に依存として、核の傘が理由、アメリカな逆らえなかった→トランプ大統領が核増強、そして威嚇すら示唆して、日本だけでなく、韓国も参加せず、そんな中で、長崎市長はこれに言及して、広岩さん、日本政府に核を持つなと言う意味は、安全保障で核は要ると言う限り、核の脅威はなくならず、核で国を守る政策は止めろ、これは核兵器禁止条約の意味であり、被爆者団体もASSにあなたはどこの国の総理かと問い、広岩さん、核兵器の非人道性を訴えて、122か国の賛成で採択されて、それだけ被爆者の気持ちは強い。

高校生が国連に出て演説するのに、今年は中止、2014年からの軍縮会議に出ていたのに、今年は突然ダメ、害無能省がどこかの国の意向と言うものの、広岩さんは口封じさせられたと見られて、高校生は核兵器禁止条約に賛成する、長崎平和宣言につながり、それは国の方針と異なり、残念だが、高校生、若い人は核兵器禁止条約の大切さをより大きく知ったと言われて、先頭に立って親子2代闘った森瀧さんについて、広岩さんのお話です。

 

ニュースは千葉猛さんの担当でした。

羽田元総理が82歳で死去、旧竹下派の7奉行、ミスター政治改革、小沢一郎氏と自民党を離れて新生党、55年体制を終わらせた立役者、しかし旧社会党の離脱で、64日で総辞職、羽田氏はその後民主党結成、2012年に政界引退です。

北朝鮮情勢、ティラーソン氏は対話に応じろとして、27日のロケット発射をアメリカと同盟国への脅威と言い、アメリカは外交と経済で圧力をかけると言うものの、北朝鮮が何を発射したか、アメリカと韓国で見方が異なり、核実験の準備も広げているとして、これについて広岩さん、なぜ北朝鮮がこんなことをするのか、エスカレートして、しかし良く見ないといけないのは、アメリカを本気で攻撃するのか?むしろ北朝鮮の国内を引き締めて、金正恩体制の基盤固め、軍隊を押さえて、軍を反乱させないためにこんなことをして、北朝鮮国民の目を、危機を外で作り内部を引き締めるものであり、挑発に扇動されたらアウト、国民を、自分の体制維持のため=体制維持が困難になっており、独裁政権にありがち、戦前の日本も危うい→外の脅威、明治政府も兵士の不満、廃藩置県の不満をそらすために台湾に出兵させて、国内の不満を外の脅威で晴らす、圧力では結局軍を増長させて、昔の日本軍と同じ、ちょっとしたことで軍を抑えられなくなったらエライことで、朝鮮戦争の休戦状態、話し合いで解決すべき「圧力に平和はない」、ちょっと心配、北朝鮮は核兵器を作ろうとしているが、内部の引き締めのためと言われました。

オスプレイ墜落事故で、沖縄県議会が日米政府に抗議、社民、共産党+公明党の賛成で可決、オーストリア沖でオスプレイ墜落、日本政府はオスプレイを飛ばすなと要請しても拒否、これをASS政権は受け入れて、防衛省はオスプレイは安全との説明に納得してしまい、広岩さん、考えるべきことは、日本はオスプレイを17機3600億買って、「日本はアメリカの軍事産業のお得意様」、17機購入は決めて、これで逆らえないと言われて、オスプレイは北海道での日米軍事訓練に参加、日本政府は強い態度で毅然とした態度を取れと沖縄は主張します。

岐阜で、運動部のしごきで、特別メニュー、100mを100回走らされて、120回以上走り倒れ、学校は両親に謝罪、コーチを謹慎です。

神戸市議会の政務活動費不正使用の疑いの橋本健市議が明日辞職、政務活動費720万、印刷業者が領収書偽造を依頼されて、口裏合わせのメールも発覚、橋本氏は3日熟慮して辞職、市民オンブズマンは橋本氏を刑事告発の予定です。

徳島でのトラックとバスの衝突事故、トラック会社の勤務先を家宅捜索、トラックにブレーキをかけた跡がなく、居眠り運転の可能性があります。

 

そして、広岩さんによる森瀧さんのお話、核兵器禁止条約の誕生に尽力されたことを、核を葬れ、に書かれて、市郎さんは、広岩さん、一言では語れず、哲学者、京大→広島大学に行き、水野さん、エリートなのに、と言われて、広岩さん、小学校の講演で、原爆に被曝して、2度とこういうことの起きないように、と活動されて、核実験強硬のたびに座り込みして、生涯抗議して、それだけの核実験があったものであり、それだけでなく、世界各国の平和行脚、核の事を勉強して、核兵器禁止のために個人で、団体の会長で、日本、世界で活動されて、広島で被爆された際の事を語ったものがあり、枚方の小学校でのもの、1945年8月6日、当時44歳、学徒動員で学生が兵器工場にいて、学生とともに造船所で爆心地から4km、船で通う際、いつ潜水艦にやられるか、潜水艦の魚雷でやられるか、救命ボートなし!

造船所で、森瀧さんは日記をつけて、8/6の朝、8時15分に原爆、その直前の日記が残り、それを小学生に話した下りが本にあり、原爆投下3分前、竹やり500本作成!のことと書いて、アメリカの落下傘部隊に、一人で兵士を殺す竹やり訓練をして、学生にもその訓練いうので、竹やり500本、恥ずかしい、人類の歴史を二分する原爆投下3分前に竹やりというのが市郎さん恥ずかしいものと言われて!広岩さん、原爆投下の直前であり、そして武器なしでも、竹やりで戦おうとして、原爆投下であり、6日の日記に、特殊船製造命令=人間魚雷!空は特攻、海は人間魚雷…自分が爆弾となる作戦をさせられて、8/5に人間魚雷を作れ、鉄もなくなり、ベニヤ板の魚雷!

そんな状況でも戦争を続けて、広島、長崎、右目にガラス片が刺さり失明!

大変な被害、同僚の先生、長男も亡くなり、附属小学校のクラスで19人中5人しか助からず、森瀧さんはこれを悲しみ、灯籠流しでこれに見えたと言われるほどであり、水野さんの想像力で、被害を受けて、それで誰かのために立ち上がるのは大変なことと言われて、広岩さん、本当に被爆者、ラッセル博士と話して、哲学者としてアインシュタインとともに核はアカンとして、ラッセル氏はアメリカを恨むかと言うと、市郎さんはこんなことが二度とあってはならないと言い、核兵器禁止条約も、二度と使われてはならない、それだけの惨状であり、放射線は一度きりではなく染色体を傷つけて、がんの症状が現れて、5年で白血病、20年後に肺がん、今は多重のがんに被爆者は苦しめられて、生涯苦しめられて、家族関係崩壊、二度と使ってはならない決意であり、座り込み500回、大学に辞職願も出して、であり、市郎さんを一貫しているのは、人の命は尊い、自然の中で育ち、祖父母の元で子供たちを大切に、生命を大切に、であったのです。

命の尊さを子供の頃から知り、水野さん、それと平和が密接と言われて、広岩さん、長女は山間の農家で人が大切にされるために育った、子供はいくら大事にされても尽きない、命は尊い、晩年に奥さんは、親への命を思う気持ちを語られて、それが核の否定になったと言われて「核と人類は共存できない」。

水野さん、市郎さんの悩まれたことを読まれて、座り込みを覚悟して、通りかかった女の子が、座っているだけで止められないと呟き、市郎さんは悩み、広岩さん、平和運動の原点に返り、力によるものは平和行動ではない、「平和運動は非暴力でやるしかない」、核兵器禁止条約の採択もその賜物であり、しかし、広島・長崎から72年、非暴力、力を否定したためで、公共の良心が結んだ、天国で市郎さんは間違っていなかったと思われている。

水野さん、アイゼンハワー氏の、核の平和利用=原発について、市郎さんはこれを手放しでは歓迎せず、しかし、当時核兵器は悪でも、核の力は認めるものもあり、しかし、それならば犠牲と苦難を繰り返してはならず、破壊と苦難の核を人類に貢献できないかと思われて、市郎さんは失明でも平和を求めておられるのです。

市郎さんは核の平和利用のバラ色の夢を見た→プルトニウムは長崎原爆材料、軍事利用を懸念されて、科学者の話を聞いて、原発事故も起きて、原潜が問題を起こして、女性の科学者が核のがん患者の事を調べて、市郎さんは原発をおかしい、緊急炉心冷却装置にアウト、オーストラリアの先住民がウラン鉱山でひどい目に核被害をうけて、先住民を犠牲にした核に「ウランを掘り出すな」と市郎さんは言われて、トイレのないマンション、核廃物の処置なしと知り、20年経って、核と人類は共存できないと言った、こういうまでに20年かかり、バラ色になると思ってもアウト、30年で、しかし当時市郎さんの言葉を受け止める人は少なく、その後スリーマイル、チェルノブイリ原発事故。

市郎さんは92歳で亡くなられて、広岩さん、86歳の際に、市郎さんはニューヨークでの核廃絶大会の際に、原爆による力の文明を否定、慈愛の文化と言われて、これは1985年、被曝45年、しかし核兵器は拡大して、当時軍拡競争は宇宙空間、原発が地球上に建設されて、力の文明=核文明→非核文明にしないと人類は生き残れない。巨大消費の中で使い果たすのが核であり、核エネルギーに頼ったら人類は破滅と、これを30年以上前に言われていた。

森瀧さんが言われての、今であるのです。世界は今も核の脅威にあるのです。

 

今週の特集、報道するラジオ、リスナーより、核を使う=世界の終わり、核の傘は威嚇手段で非現実的との声があり、広岩さんの本について、市郎さんの娘さんの春子さんのこともあり、広岩さん、禁止条約の採択後、春子さんもやってきたプロセスは正しく、必ず非核の未来を若い世代に託せると言われていると紹介されて、核兵器禁止条約は未来への資産だと言われて、アメリカの高校生もアンケートでアメリカの原爆投下は正しかったか、ウォールストリートジャーナルで、正しいは全体の45%、しかし若い人は間違いであるが正しいを上回り、若い人は原爆投下は間違いと考えて、若い世代に核はアカンという方向に行き、市郎さんも未来に託せて、この国は核兵器を持っていいかと多数派が考えるようになったら、世界は変わるのです。

核に未来はありません、この内容、いくらでも拡散してください、森瀧市郎さんに続き、核を否定して未来を開きましょう、以上、今週の報道するラジオでした。

 

 

 

Categories 核廃絶

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