NHKスペシャル「スクープドキュメント 沖縄と核」[字] 2017.09.10
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【Mediacrit】2017年9月10日
沖縄の美しい海に面した高台に建つ奇妙な形の建物。
ここはかつてアメリカ軍の核ミサイルの発射基地でした。
今回初めて建物の中にテレビカメラが入りました。
コンクリートの廊下が迷路のように奥へと続きます。
沖縄がアメリカの統治下にあった1960年代。
ここは共産圏に対峙するアメリカ軍の最前線基地でした。
当時ここで撮影された写真です。
広島に落とされた原爆のおよそ70倍の威力を持つ核ミサイルが配備されていたので
す。
この基地で任務に就いていた…当時の事を初めて証言しました。
本土復帰前の沖縄に置かれていた核兵器。
その詳細は軍事機密とされ明らかにされてきませんでした。
今回私たちは未公開映像や機密文書などおよそ1,500点を入手しました。
そこから明らかになったのは世界最大級の核拠点となっていた沖縄の危機的な実態でし
た。
那覇の基地では核弾頭を搭載したミサイルが誤って発射される事故が発生。
元兵士が初めてその詳細を明かしました。
更に沖縄が核戦争による破滅の瀬戸際に立たされていた事も浮かび上がってきました
。
米ソの対立が頂点に達した…その時沖縄の核ミサイルの状態を示す表示は「HOT」
。
共産圏に向けて発射寸前になっていたのです。
東西冷戦が激しさを増す中沖縄は核の島となっていきます。
配備された核兵器は最大で1,300発に上ったのです。
これまでほとんど光が当てられる事のなかった沖縄と核の深いつながり。
機密資料と新証言から明らかになった核の島沖縄の真実です。
沖縄に核兵器が配備される事になったのは…その影響を直接受ける事になった島伊江
島です。
戦後置かれてきたアメリカ軍の基地がこの年突如拡大される事になったのです。
アメリカ軍は目的も明らかにしないまま僅かな補償金で住民の立ち退きを要求。
拒否した住民の家をブルドーザーで破壊し畑はガソリンで焼き払いました。
今回私たちはこの土地接収が核戦争を想定した訓練のために行われた事を初めて突き
止めました。
アメリカ・アラバマ州にある…2か月に及ぶ交渉の末沖縄における空軍の活動を記録し
た資料が開示されました。
伊江島で行われていた爆撃訓練についての内部文書です。
ここで…空軍が内部向けに制作した映像です。
LABSとは核爆弾を投下する最新の爆撃法でした。
高性能化するソビエトや中国のレーダーをかいくぐるため戦闘機が低空で侵入。
急上昇して核爆弾を投下する方法です。
(爆発音)アメリカ軍が撮影した伊江島の航空写真。
島の北西部。
住民の土地を接収した場所に巨大な標的が出来上がっています。
ここで模擬核爆弾を使ったLABSの訓練を行っていたのです。
伊江島で訓練を繰り返していたという元兵士が見つかりました。
・ハロー!ハロー!ナイストゥミートユー。
LABSの訓練は常に実戦を想定したものだったといいます。
背景にあったのはアメリカの核戦略の転換でした。
元軍人で大統領に就任したアイゼンハワー。
核兵器を積極的に活用する方針を打ち出し沖縄に着目しました。
このころ米ソの熾烈な核開発競争が始まっていました。
1953年ソビエトは初めて水爆実験に成功したと発表。
アメリカはソビエトの影響を受けて台頭する極東の共産主義勢力と対立を深めていまし
た。
南北に分断された朝鮮半島では北朝鮮と戦争状態にありました。
台湾への圧力を強める中国共産党とも緊張が続いていました。
アメリカは朝鮮半島や台湾に近い沖縄を核戦略の拠点としたのです。
核は今につながる沖縄の原型を形づくりました。
(銃声)1950年代末沖縄に移転してきた海兵隊。
上陸作戦などを任務とし現在沖縄のアメリカ軍基地のおよそ7割を占めています。
今回の取材で海兵隊が沖縄に基地を求めた背景に核兵器の存在があった事が明らかに
なりました。
新たに見つかった海兵隊の内部文書。
司令官が今後の戦略を示していました。
当時海兵隊はほとんどが山梨や岐阜など日本本土に駐留していました。
海兵隊は本土に核ロケット砲オネストジョンを配備する事を計画します。
しかしこの直前アメリカがビキニ環礁で行った水爆実験で日本の漁船員が被爆。
国民の間に強い反核感情が広がっていました。
海兵隊は本土での核兵器配備を諦めざるをえませんでした。
海兵隊はアメリカの統治下にあった沖縄に着目。
1950年代末沖縄本島北部に新たな基地を確保します。
アメリカ軍の基地面積は一気に倍増し本島の3/3を占めるまでになりました。
今回新たに発見した映像。
表題に「オネストジョンオキナワ」と記されています。
本土で配備を諦めたオネストジョンを沖縄に持ち込んだ海兵隊。
沖縄の新たな基地で核弾頭の使用を想定した訓練を繰り返していたのです。
沖縄の人々は何も知らされないうちに核兵器と隣り合わせの暮らしを強いられる事に
なりました。
海兵隊が移転してきた当時住民の代表機関琉球政府でアメリカ軍と基地問題を交渉す
る責任者でした。
米ソが核開発競争にしのぎを削る中ソビエトがいち早く大陸間弾道ミサイルの技術を
獲得します。
今回入手した文書からは沖縄のアメリカ軍がソビエトからの核攻撃に危機感を募らせ
ていた事が明らかになりました。
アメリカが最も恐れたのが核兵器を貯蔵していた弾薬庫への攻撃でした。
最大規模の…東京ドームおよそ600個分の広大な敷地にかつて沖縄に配備された核
兵器の大半が貯蔵されていました。
この弾薬庫を守るために配備された新たな核兵器…敵の攻撃機を打ち落とす迎撃用の核
ミサイルです。
地上のレーダーによって正確に目標へと誘導する事ができました。
嘉手納などの弾薬庫を取り囲むように8か所にナイキを設置。
核によって核を防衛する態勢が整えられまた基地が拡大していったのです。
配備されたばかりのナイキが大惨事につながりかねない事故を起こしていた。
今回その詳細が初めて明らかになりました。
独自に入手したナイキを運用していた部隊の日報です。
一体どんな事故だったのか。
3か月に及ぶ取材の末事故を起こしたナイキの部隊にいた元兵士が見つかりました。
事故について初めて語る事を決断し取材に応じました。
核弾頭の整備に当たっていたというレプキー氏。
事故が起きたのは訓練の最中だったといいます。
レプキー氏の証言から事故の状況を再現しました。
事故は人口が集中する那覇に隣接した基地で起きました。
今の那覇空港がある場所です。
発射に備える訓練の際1人の兵士が操作を誤ったため突然ブースターが点火。
ナイキは水平に発射されそのまま海に突っ込んだのです。
アメリカ軍は核に関する事故を徹底して隠蔽しようとしていました。
今回入手した軍の内部文書です。
軍は海に沈んだナイキをひそかに回収していったといいます。
核兵器に関する事故であった事が知らされる事は一切なく事実は隠されたままとなっ
ていたのです。
当時日本本土では高度経済成長の中平和と繁栄を享受していました。
その陰で核は沖縄に集中し固定化していく事になります。
それを決定づけたのが1960年に締結された日米安全保障条約です。
条約とともに核兵器についての取り決めがなされました。
アメリカが日本国内に核兵器を持ち込もうとする場合事前に協議をする制度。
国民の反核感情に配慮し核の持ち込みに歯止めをかけようとしたのです。
一方で当時の総理大臣岸信介はアメリカの核が抑止力として日本の安全保障に不可欠
だと考えていました。
この矛盾の中で日本が至った結論。
外務省に当時の内部文書が残されていました。
将来的に沖縄返還を見据えていた日本ですが核持ち込みの歯止め事前協議制度には「
沖縄を含まない」としました。
そして「沖縄の米軍施設には我方は干与せざる立場を堅持する」として沖縄に核を置く
事を黙認したのです。
日米安全保障条約成立の結果本土には核を配備せず沖縄のみに核を置きその抑止力に
依存する仕組みが出来上がったのです。
核が沖縄へ集中していく中住民を巻き込む悲劇が起きていた事も分かってきました。
アメリカ軍が土地を接収し爆撃場を作った伊江島です。
このころ低高度で侵入し核爆弾を投下するLABSの訓練が更に激化していました。
今回新たに見つかった当時の伊江島の写真です。
集落のすぐ上を戦闘機がかすめ飛んでいます。
住民がその状況を語った当時の音声も見つかりました。
民家のすぐそばに落ちてくる模擬核爆弾。
しかし住民は何の訓練が行われているのか知る由もありませんでした。
こうした中事故が起きました。
空軍の爆撃訓練の記録です。
MD−6は水爆の投下訓練に使われる模擬核爆弾でした。
亡くなった…模擬弾の爆発に巻き込まれ即死だったといいます。
生後9か月の娘を抱え残された妻ツネ子さんです。
事故直後アメリカ軍に宛てて手紙を書いていました。
事故当時生後9か月だった娘が沖縄本島で暮らしていました。
こんにちは。
こんにちは。
どうぞ。
どうぞどうぞ。
京子さんは父が亡くなった事故の背景に核兵器の訓練があった事を初めて知りました
。
じゃないんだ。
あっそっか。
本当に…本当に…。
1960年代に入るとアメリカは更に強力な核兵器を沖縄に配備していきます。
射程2,400キロ。
広島型原爆のおよそ70倍の威力の核弾頭を搭載した核ミサイルです。
アメリカ軍はメースBが核兵器である事は伏せて配備計画を発表。
基地の建設に乗り出します。
しかし基地建設のために雇われた沖縄の人々の間でメースBが核兵器ではないかとうわ
さが広がります。
やがて沖縄の新聞もアメリカでの取材を基にメースBを核ミサイルとして報じるように
なります。
沖縄に核兵器を置かせない。
琉球政府の議員たちは配備中止を求めて日本政府に協力を要請しました。
沖縄の声を日本政府はどう受け止めたのか。
当時の外務大臣小坂善太郎とアメリカ国務長官ラスクの会談の記録が残されていまし
た。
小坂が懸念していたのは沖縄の世論の高まりでした。
これにアメリカ側は反論します。
バカにしてるね…。
メースBの配備中止を求めていた元琉球政府議員の古堅実吉さんです。
今回初めて日本政府の対応を知りました。
「なぜ止めないかといって日本政府が責められる結果となる」…。
1962年沖縄の人々の要請は無視され4つのメースB発射基地が完成します。
沖縄から敵国を核ミサイルで攻撃する態勢が整えられたのです。
アメリカの核拠点としてますます強化されていく中沖縄が核戦争の瀬戸際に立たされて
いた事が浮かび上がってきました。
1962年に起きたキューバ危機。
ソビエトがひそかにアメリカの喉元キューバに核ミサイルを持ち込んでいたのです。
米ソは一触即発となり核戦争の恐怖が広がりました。
沖縄のメースB発射基地。
緊迫した空気に包まれていました。
当時メースB基地で任務に当たっていたロバート・オハネソン氏74歳です。
基地の跡地を半世紀ぶりに訪れました。
初めてテレビカメラが入った基地の内部。
キューバ危機の際オハネソン氏は司令室で任務に当たっていたといいます。
最高機密だったその室内の写真を入手しました。
攻撃目標を入力する装置。
トップ・シークレットとあります。
メースBがどこを狙っていたのかは発射に関わる一部の兵士だけが知る情報でした。
オハネソン氏はその情報を知る一人でした。
長く友好関係を保ってきたソビエトと中国。
アメリカは一体の敵と見なしていたのです。
ソビエトへの攻撃の際には同時に沖縄から中国を攻撃する。
沖縄の核は世界を巻き込む全面戦争の引き金となる可能性があったのです。
アメリカ軍はこの時史上初めて核戦争への準備を意味するDEFCON2を宣言しまし
た。
メースBの準備状況を伝える表示は「HOT」。
いつでも発射できる態勢が整っていたのです。
沖縄のほかの部隊にも緊急の命令が下されました。
嘉手納の核弾薬庫で任務に当たっていた…当時の指令書を今も保管していました。
この時カーペンター氏は核兵器に搭載するプルトニウムを韓国の空軍基地に輸送したと
いいます。
沖縄は緊急時に日本本土や韓国に核兵器を供給する拠点となっていたのです。
当時カーペンター氏は沖縄で出会った良子さんと結婚し3人の子どもと共に嘉手納基
地で暮らしていました。
危機が迫っている事を家族に知らせる事もできずに任務に当たっていた苦悩を打ち明
けました。
核戦争の危機は土壇場で回避されました。
しかし沖縄はこの時確かに破滅の瀬戸際にあったのです。
キューバ危機のあともなお沖縄の核兵器は増加していきます。
1967年ピークを迎えその数はおよそ1,300発に上ったのです。
このころ沖縄では核兵器の撤去と本土復帰を願う声が高まり日米両政府もそれを無視で
きなくなっていました。
1969年総理大臣佐藤栄作とアメリカ大統領ニクソンは沖縄返還で合意。
核兵器の撤去も約束されました。
このひとつき後アメリカ軍がメースBを撤去している映像です。
沖縄の人々が求めていた核の撤去をアピールしたのです。
しかし沖縄返還と引き換えに佐藤とニクソンの間でいわゆる核密約が結ばれていた事が
明らかになっています。
今回私たちは核密約に深く関わった人物に話を聞く事ができました。
当時の国防長官メルビン・レアード氏です。
レアード氏は去年11月94歳で死去。
その2か月前私たちの電話インタビューに応じていました。
・
(呼び出し音)・グッドアフタヌーン。
・イエス。
レアード氏は核密約の背景をこう語りました。
本土復帰から45年。
沖縄には今もアメリカ軍専用施設の7割が集中したままです。
アメリカ国防総省は取材に対し「沖縄における核兵器の有無については回答しない」と
答えました。
一方外務省はいわゆる核密約について現在無効だとし核兵器の持ち込みに関しては非
核三原則を堅持しいかなる場合にもこれを拒否する方針を示しています。
本土復帰前沖縄の核兵器の大半が貯蔵されていた…今も当時と大きく変わらない規模
を維持しています。
かつて日米の思惑のもと核の島とされていた沖縄。
抑止力の名の下に基地は残され今なお重い負担を背負い続ける現実は変わらぬままで
す。
2017/09/10(日) 21:00〜21:50
NHK総合1・神戸
NHKスペシャル「スクープドキュメント 沖縄と核」[字]
アメリカの統治下にあった沖縄に配備されていた核兵器。機密資料と新証言から明らか
になったのは、世界最大級の核拠点となっていた沖縄の危機的な実態だった。
詳細情報
番組内容
アメリカの統治下にあった沖縄に配備されていた核兵器。機密資料と新証言から明らか
になってきたのは、世界最大級の核拠点となっていた沖縄の実態だった。冷戦下、東西
陣営の緊張が高まるたびに、最前線として危機的な状況に置かれていたこと、さらに、
「核」が沖縄への基地集中をもたらすひとつの要因となっていたという事実。沖縄と「
核」の知られざる歴史に光をあてる。
出演者
【語り】中條誠子
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