「英帝国主義政策は現在の国際紛争の種をまいた。中東、IS、印パ問題」

知人からの後段記事へのコメント
「英帝国主義政策は現在の国際紛争の種をまいた。中東、IS、印パ問題」

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中東混迷の根源か、先駆的役割か 英バルフォア宣言100年、遠い「2国家共存」
朝日新聞 2017年11月14日

英国が中東パレスチナにユダヤ人国家の建設を支持した「バルフォア宣言」から今月
2日で100年がたった。宣言は、中東混迷の根源になったとの見方があり、評価は割
れる。中東が欧米の大国の思惑にほんろうされる姿は、今も変わっていない。

「国王陛下の政府はユダヤ人のための民族的郷土(ナショナル・ホーム)をパレスチ
ナに樹立することを支持する」。第1次大戦中、当時のバルフォア英外相がしたためた
宣言は、わずか67語の書簡だ。

大英図書館に所蔵されている書簡は、メイ英首相とネタニヤフ・イスラエル首相が出
席し、ロンドンで2日に催された100周年式典でも展示された。

メイ氏はネタニヤフ氏を前に「イスラエル建国における我々の先駆的な役割を誇りに
思う」と語った。

パレスチナは第1次大戦後の1920年、オスマン帝国の崩壊で英国の委任統治領に
なった。ナチス・ドイツのホロコースト(ユダヤ人大虐殺)を経て、ユダヤ人国家イス
ラエルが建国されたのは第2次大戦後の48年。バルフォア宣言はその「先駆的役割」
を果たしたという考え方だ。

だが、英国はこの宣言の前に、「三枚舌外交」と呼ばれる相矛盾する協定を他国と結
んでいた。

元英外交官でエルサレム総領事を務めたリチャード・メイクピース氏(オックスフォ
ードイスラム研究センター教務主任)は「歴史家の多くは、バルフォア宣言が英国の帝
国主義的利益に基づくものだったとみる。対独戦線への支持をユダヤ人社会から取り付
けるための戦術的な手段であり、(ユダヤ人保護など)高い道徳的な観点で出したとは
思えない」と話す。

第2次大戦後、中東の主導権は英国から米国に移った。英国の中東外交は米国との協
調を基軸に、イスラエルとの関係強化を進める一方、イスラエル、パレスチナ双方に「
2国家共存」の実現を促す立場だ。

メイクピース氏は言う。 「宣言は結果的に中東に安定をもたらさなかった。イスラ
エルに対する敵意、イスラエルによる占領の継続など、現状はイスラエル、パレスチナ
双方にとって前向きのものではない。100周年を何か祝うべきものと考えるのは難し
い」(ロンドン=石合力)

■イスラエル「国家に道」 パレスチナ「歴史的不正」

イスラエルの右派政権は2日、「ユダヤ人の独立国家を樹立する道を開いた」(ネタ
ニヤフ首相)と宣言を称賛した。一方、独立国家を樹立できていないパレスチナは「歴
史的不正」と、宣言を非難する。

パレスチナ解放機構(PLO)幹部のハナン・アシュラウィ氏は朝日新聞の取材に「
英国は自国の物ではないパレスチナの地にユダヤ人を移住させ、人工国家を作ろうとし
た。植民地主義の遺物で、民族浄化の始まりとなった」と語った。

パレスチナ自治政府は、英国に謝罪と国家承認を求めてきたが、メイ首相は謝罪を拒
否している。

19世紀末、迫害されたユダヤ人は祖先の地に祖国を建設しようというシオニズム運
動を起こし、パレスチナに移住を開始。バルフォア宣言が出た当時のパレスチナのユダ
ヤ人の人口はアラブ人の1割未満だった。

ヘブライ大のセルジオ・デラ・パーゴラ名誉教授は「宣言はユダヤ人のコミュニティ
ーの発展を可能にし、48年のイスラエル建国につながった。(パレスチナ問題を契機
に)対抗するアラブ諸国が結束を強める結果にもなった」とみる。

イスラエル建国後、アラブ諸国との間で相次いで起きた戦争で、周辺国などに逃れた
パレスチナ難民と子孫は500万人を超す。イスラエルは67年の第3次中東戦争でヨ
ルダン川西岸やガザ地区などを占領した。

93年のオスロ合意で、イスラエルと将来の独立したパレスチナ国家の「2国家共存
」への道が開かれたが、イスラエルは入植地を拡大。ヨルダン川西岸と東エルサレムに
暮らすユダヤ人は約60万人にのぼる。

米国が主導してきたイスラエルとパレスチナの和平交渉は、オバマ前政権下の201
4年に頓挫した。トランプ米大統領はエジプトやサウジアラビアの協力を得て、和平交
渉を再開させる構想を準備中とされる。イスラエルも湾岸諸国との関係改善に関心を示
す。

だが、米国やイスラエルが敵対するイランに対し、包囲網を作ろうとする意図が裏に
あるのではないかとの見方がある。ヨルダン・タイムズ(電子版)はこの点を指摘し、
バルフォア宣言と重なる大国外交の論理に基づくとして、「何も学んでいない」と批判
する記事を載せた。(エルサレム=渡辺丘)

■成功した人道行為、誇りに思う 当時外相の弟のひ孫、バルフォア卿

バルフォア宣言を出した当時のバルフォア外相の弟のひ孫、ロデリック・バルフォア
卿(68)がロンドンで朝日新聞の取材に応じた。要旨は次の通り。

1917年には誰も、宣言の20年後にユダヤ人に恐怖の出来事(ナチスによる大虐
殺)が起こるとは予測できず、アーサー(バルフォア外相)も30年に死亡した。だが
、宣言は歴史上、最も成功した人道行為の一つだ。迫害された民族に歴史的郷土への道
をもたらした。現在の状況に善しあしはあれ、私と私の家族は100周年を誇りに思う

アーサーは(ユダヤ人国家建設をめざす)シオニストに同情的だった。戦争で米国の
支援を得るため渡米し、多くのシオニストに会った。何かしなければと、外交的な書簡
を書いた。

宣言はパレスチナの非ユダヤ人の市民的、宗教的権利が害されないよう求めている。
(バルフォア外相が今のイスラエルを見たら)ユダヤ人入植地には同意できないだろう
。英国では100周年で多数の会議が開かれ、宣言を(イスラエルと将来の独立したパ
レスチナの)「2国家共存」による解決を考え直す機会にすべきだということが強調さ
れた。双方が譲歩することが重要だ。(聞き手・渡辺丘)

◆キーワード

<バルフォア宣言> 第1次世界大戦中の1917年11月2日、英国のアーサー・
バルフォア外相が、富豪ロスチャイルド卿宛ての書簡にしたためた宣言。「パレスチナ
にユダヤ人の民族的郷土を樹立することを支持する」と明言した。英国がアラブ人の独
立国家を支持した15年の「フサイン・マクマホン協定」、オスマン帝国が領有する中
東地域を英仏ロ3国の勢力圏にするとした16年の「サイクス・ピコ協定」と合わせ、
「三枚舌外交」と言われる。

http://www.asahi.com/articles/DA3S13226226.html

MLホームページ: http://www.freeml.com/uniting-peace

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