10月1日夕、民進党本部の役員室。代表代行の枝野幸男が、代表の前原誠司に迫った。「言っていた通りに進んでいない。別の道を考えざるを得ない」

小池百合子率いる希望の党への合流を望まない議員を民進として公認するよう求めたが、前原に拒まれた。「(道が)決まったら連絡する」と言って枝野は部屋を出た。

ログイン前の続き選択肢は、新党結党か無所属での立候補しかなくなった。

枝野らが批判してきた安全保障法制について、前原が「憲法違反の法律はだめでしょう」と語ったうえで、希望への合流を提案したのは3日前。9月28日の両院議員総会だった。

「これだったら、みんな(希望に)行けるんじゃない」。提案を終えて隣に座った前原に、枝野が言った。安保法反対の姿勢を前原が明確にしたことで、小池とも話がついていると錯覚した。

ところが、約2時間後。小池は記者会見で、「安保法制に賛成しない方は、そもそも(希望に)アプライ(申請)してこない」と発言。翌29日には、「全員を受け入れることはさらさらない」「排除いたします」と踏み込んだ。

「リベラルつぶし」「前原のクーデターだ」。福山哲郎辻元清美ら、民進代表選で枝野を支えたメンバーが30日夜、都内のホテルの一室で枝野を囲んだ。「討ち死にするのなら、派手に戦った方がいい」。元厚生労働相の長妻昭が新党の立ち上げを主張した。

衆院選の公示が10日後に迫っていた。だが、カネも組織もない。「野党結集の足並みを乱す」と批判される恐れもあった。会合で確認したのは、前原に民進の公認を求めることだった。

党本部での会談で公認を拒まれた後の1日夜に始まった枝野と福山、長妻らの話し合いは、深夜に及んだ。前原からは「新党を立ち上げなければ、(希望は)対立候補を立てない」と説得の電話が入った。

自分の選挙だけなら、無所属の選択はあり得る。だが、新顔の立候補予定者たちから、受け皿を求める声が出ていた。元首相の菅直人らも、「脱原発」を旗印にした新党結成の準備に入っていた。ネットでは、「枝野立て」のメッセージが流れ始めていた。

2日朝、枝野は立憲民主党の結党を決断。前原の携帯電話を鳴らした。民進の分裂が確定的になった。

対政権、3党連携見えず

「20年間気づかなかったけれど、国民は政権交代のための合従連衡を望んでない。より良い政治をしてほしいというのが国民の考えだ」

党代表に就いた枝野は衆院選で全国を回って、初めて「1996年体制の終わり」に気づいたという。

96年は小選挙区制が導入されて最初の衆院選があった年。旧民主党もこの年に結党された。以来、旧民主は合従連衡をして、政権交代をめざしてきた。だが、有権者からは、数合わせとしてしか見られていなかったのではないか――。

枝野がいま、思い描くのは、野党各党が独自の色を発揮しつつ、対政権で協力できるのなら、選挙戦ですみ分けを図る姿だ。

今月19日投開票の名古屋市議補選では、立憲の新顔が当選し、結党後初めて地方で議席を得た。「全国各地で立憲に入りたいという声を受け止めている」。枝野は20日、民進系の地方議員を年内にも入党させ、地方選に擁立していく考えを記者団に語った。

希望の代表に就任した玉木雄一郎も、「まずは自分たちの基盤を固めて、政策的立ち位置を明確にする」。憲法や安保政策で保守的な小池路線を継承し、立憲とは違うポジションを築く考えだ。党幹部からは、自民党日本維新の会との連携に前向きな声も出る。

一方、民進は、党籍を残したまま衆院選に立候補した衆院議員や党に残った参院議員らが立憲、希望との連携を呼びかける。元代表の岡田克也は15日、自身のブログで、2019年参院選を「比例はひと塊になって戦う」と記し、統一名簿方式を提案した。だが、立憲、希望とも応じる気配はなく、独自色を打ち出せないでいる。

野党はどういう枠組みで政権と対峙(たいじ)していくのか、その形は見えていない。

民進最大の支援団体だった連合は16日の中央執行委員会で、参院選に向けた運動方針を示せなかった。会長の神津里季生(りきお)は「衆院選が終わったばかりで再編はあり得ない」と述べ、静観の構えを強調するしかなかった。=敬称略

(南彰)