政・官界の「ダークサイド」 180分独占インタビュー(下)
▼出会い系報道の真相
▼安倍首相の答弁の疑惑
▼福岡6区補選と加計認可
加計学園の獣医学部認可に抗議して、前川喜平前文科次官がこの問題のすべてを語る180分インタビューの後編。認可に至る政治的・行政的背景を丹念に辿(たど)り、加計問題が起こった構造を厳しく検証、自身を襲ったスキャンダル攻撃についても言及した。倉重篤郎が迫る。
前川喜平・前文科事務次官への「安倍晋三首相による行政の私物化」インタビュー。前号で、2015年4月2日、加計(かけ)学園、今治市、愛媛県の三者の首相官邸訪問時が、加計学園獣医学部認可の大きな転換点になったのではないか、というところまでは展開した。
つまり、07年から15回も構造改革特区で申請していたのを改め、国家戦略特区の申請に切り替えたのが、この時以降であった。なぜならば、国家戦略特区は、国際競争力の強化、国際拠点形成という制度の目的にかなうとの「作文」さえうまくできれば、認可される公算の強い仕組みであったからという。
4月の官邸訪問は、安倍氏周辺が加計・今治市側にその知恵をつけ、国家戦略特区の枠組みに180度変更したキックオフ会合だったのではないか、というのが前川氏の推論であった。実際に、今治市が国家戦略特区の申請をしたのが、2カ月後の15年6月だった。
今号では、その後の動きを追う。前川氏によると、ただそこからもすんなりとは進まなかった。
「というのも、その時点の安倍政権の閣内では、まだ獣医学部新設推進派と反対派の綱引きがあったのです。安倍さんと下村さん(博文・文科相)が推進派で、麻生さん(太郎・副総理兼蔵相)が反対派。そのバックには獣医師会がいた。担当大臣の石破さん(茂・地方創生担当相兼国家戦略特区担当)は慎重派だった。閣内での勢力が均衡しており、その妥協策として4条件が出てきたのではないか」
新設には獣医師の需給バランスに影響を与えない、などとした石破4条件?
「そうです。日本再興戦略の改訂2015(15年6月30日閣議決定)に、『獣医師養成系大学・学部の新設に関する検討』という言葉を新たに盛り込んだ。と同時に、石破4条件も閣議決定した。つまり、獣医学部の新設に向けて一歩進め、門戸を開いた。と同時に、4条件という高いハードルを作った。青信号とも赤信号とも見える妥協の産物だ。推進派は、ハードルは何とでもなる、作文さえできればクリアできると踏んでいたでしょうし、反対派は、このハードルで実質的には阻止できると思っていた」
「実際に、この閣議決定があってから1年以上は何も動いていない。石破さんが特区担当相だったからだ。それが16年8月の内閣改造で石破さんが下野、山本幸三氏が担当相になって急に動き始めた。石破さんという関所がはずれた」
16年10月ごろに安倍氏周辺から3ルートで「平成30年4月開設」を至上命題とする指示がおりてきた、というのは前号でお聞きした。極めて政治色の強い案件だったということか。
「獣医師会が猛反対していた。だから、最後は政治的な判断しかないだろうと。松野博一文科相も萩生田光一官房副長官もそう思っていた。お二方がそういう見方をしていた、という証拠が文書に残っている」
その白黒をつけたのが、16年10月23日の衆院福岡6区補選だった。鳩山邦夫衆院議員の急死に伴う補選で、藏内勇夫(くらうちいさお)獣医師会会長の息子が鳩山氏の息子と対決、ダブルスコアで惨敗した。
「麻生氏が盟友・藏内氏側を応援し、鳩山氏側を官邸側が支援したので、麻生さんと安倍さんの代理戦争という形になった。結果的に獣医師会が負けた。会長の息子が出ても落選する。獣医師会の政治力はそこまでということで、麻生さんに遠慮する必要はないでしょうということになる」
この選挙の決着が加計認可の政治的流れを作った。
「福岡6区の有権者にそういう意識があったとは全く思えないが、結果的にその投票結果が、今治市で加計学園獣医学部を新設する流れを作ったともいえる」
逆の結果だったら?
「そう簡単に(認可とは)いかなかったと思う。獣医師会が勢いづき、麻生さんもそれを背景に閣内で発言したと思う」
農水省は今でも逃げています
それが加計認可を進めた政治的背景だとすると、行政的な背景は? 構造改革特区では説明がつかないものが、国家戦略特区であれば、国際拠点などという大義名分がありさえすればOKとのことだったが。
「前例があった。17年4月、千葉県成田市に新設された国際医療福祉大学の医学部だ。国際医療人材を育成する拠点という説明で、入学定員140人のうち20人を留学生としたことなどが評価された。加計学園もこれを踏襲し、20人を韓国留学生枠にしている」
「ただ、この2ケースには明確な違いがあった。国際医療福祉大の高木邦格(くにのり)理事長は政界に幅広い交友、人脈を持っている。安倍さんのお友達だから、という加計のようなあからさまな行政の私物化には見えなかった。石破4条件のようなハードルもなかった。一方で加計さん(孝太郎理事長)が頼りにするのは安倍さんしかいなかった。それが目立ってしまった」
「もう一つは、人材需要についての所管官庁のデータ協力の差です。国際医療福祉大は医師免許管轄の厚労省が新たに国際医療人材が必要だという人材需要を示した。医師会が納得したんでしょう。しかし、獣医師免許を管轄する農水省は、その手の人材需要を示さなかった。農水省は獣医師会と官邸との間で板挟みになるのを避けた。逃げまくった。今でも逃げています」
民泊(一般民家を宿泊施設にすること)を国家戦略特区として認めた時と同じトップダウン方式が出てくる。
「文科省OBで加計学園理事の木曽功内閣官房参与が、16年8月に文科省事務次官室に私を訪ねてきた時にその話が出た。彼は農水省が人材需要を示さないからOKを出せないという文科省の立場を理解していた。ならばその方式はあきらめて『民泊特区方式』を使ったらどうか、と。これは、積み上げのデータなしに国家戦略特区の諮問会議でトップダウンで決定された。文科省が責任を負うことがない、という話だった。民泊特区方式でやれという示唆は、浅野敦行専門教育課長に対し、内閣府の藤原豊審議官からも来ていた」
国家戦略特区とか民泊特区とか、首相周辺で一連の知恵を出したのは?
「和泉洋人総理補佐官以外にいないと思う。彼は特区制度を熟知している。総理補佐官になる前は、内閣官房参与、地域活性化統合事務局長だった。ずっと特区制度を担当している」
「週刊誌が記事にする、と言ってる」
今年1月20日まで、加計学園による国家戦略特区の獣医学部新設計画を知らなかった、という安倍氏の7月の国会答弁はどうか。
「私はこれはウソだと思う。15年4月(2日、加計学園、今治市、愛媛県の関係者が集った)官邸会合の段階で、加計獣医学部については、国家戦略特区を使って認めていこうという意思が安倍さんにあったと思う。それがなければ、柳瀬唯夫首相秘書官が会うことはない。柳瀬さんは事務秘書官。自分のボスに対して勝手に動いたりすることはない。あくまでもボスの名代で会うのであって、安倍氏から事前了解を得、事後報告もしているはずだ」
なぜ1月20日?
「加計学園が正式に事業者として認められたのは1月20日(国家戦略特区諮問会議で加計学園の申請を認めることを決定)であり、それまでは今治市の提案ということになっていた。そういう建前ストーリーとの整合性を取ったという可能性。もう一つは、閣僚在任中のモラルを定めた大臣規範(01年1月閣議決定)に抵触するのを嫌った可能性。首相は国家戦略特区の所管大臣だ。特区で規制緩和の対象になる学校法人の長と『おごったりおごられたりしていた』関係が問題化する、と判断したのかもしれない」
朝日新聞のコラム「社説余滴」(9月22日付)によると、安倍氏は7月の国会答弁で「彼(加計氏)はチャレンジ精神を持った人物であり、時代のニーズに合わせて、新しい学部や学科の新設に挑戦していきたいという趣旨のお話は聞いた」とまでは語っている。
「その文脈からいっても、獣医学部新設の話を知らなかったとは到底思えない。『1月20日』答弁は失敗だったと思う。今後も繰り返しそこを突かれるだろう」
読売報道についても聞きたい。「前川前次官 出会い系バー通い 文科省在職中、平日夜」という5月22日付朝刊報道だ。前川さんは、報道の背景に官邸とメディアの癒着があったのではないか、と指摘した。
「私がバーに出入りしていることを官邸がつかんでおり、昨年の9月か10月に杉田和博官房副長官に呼び出された。『そんなところに出入りするのは君の立場上良くない』と言われ、『わかりました』と答えた」
その時、加計問題との連動は感じなかったのか?
「加計との関係は全く感じなかった。どうしてこんなことを知っているのか、というぐらいの印象だった」
どうして知った、と?
「杉田さんは週刊誌から聞いた、と言っていたが、週刊誌からの取材はなかった。今は警察の情報網ではないかなと思っている。それにしても、どうして個人的な行動を知っているのか、とても不思議に思った」
前川さんは文科省の就職斡旋(あっせん)問題で1月20日に次官職を引責辞任している。だが、また杉田さんから2度目の警告を受ける。
「2月ごろ、携帯に杉田さんから電話がかかってきた。突然だった。何かと思いきや、例のバーの話だ、週刊誌が記事にすると言っているんだよ、と。そうですか、教えていただきありがとうございます、と。その時も加計がらみとは思わなかった。どこが書くのかなと見ていたが、週刊誌からのアプローチはなかった」
5月の連休後に読売からの取材があった。
「最初は5月19日だ。文科省の記者クラブ所属の知り合いの記者を通じて、読売の別の記者が私に取材したいと言ってきた。翌20日もそういうメールが来た。21日はもっと詳細なメールだった。『出会った女性と性交渉があったのか』という設問もあった。私は返事もしなかった。まさか読売がそういう記事を掲載するとは思っていなかった」
「同じ21日に和泉補佐官からのアプローチもあった。文科省の藤原誠初等中等教育局長(現官房長)からのショートメールだった。(自分の携帯から着信記録を示して)これです。『和泉さんから話を聞きたいと言われたら、対応される意向はありますか?』。それに対しては、『ちょっと考えさせて』と返信した」
謎のメールだ。どういう意図があったと?
「和泉さんが私の口を封じたかったのではないか、と思っている。ちょうど私が加計関係の文科省内部文書について、メディアの取材を受け始めた時だ。前川がしゃべっているとの情報が伝わったのではないか」
和泉、藤原両氏は?
「親しい間柄。タイプも似ている」
これで官邸への忖度はいらないな
22日付新聞が出た。
「さすがに書かないと思っていたので本当にびっくりした。逆に言うと吹っ切れた。これでもう官邸に対する忖度(そんたく)はいらないなと」
「それまでは世話になった人たちは裏切りたくないと思っていた。文科省の就職斡旋問題で国会答弁した時も、国家公務員という尻尾(しっぽ)は残っており、ある意味、虚偽答弁をしていた。他の役所でも違法な天下りがあるのか、と聞かれ、承知していません、と答えたが、実は文科省を介して他省庁の人を斡旋したという事例があった。杉田副長官からは文科省だけの問題に限れ、他省庁への飛び火は阻止せよと言われていた」
「記事が出たことで、もう杉田副長官ら官邸の面々にも義理立てする必要がなくなった。これまでは一部のメディアの取材要請に受動的に応じてきたが、この際、自分から出て行って話そうと思った。それで25日の記者会見になった」
読売に対して抗議は?
「何も言ってません。ウソを書いたとまでは言えない。私がその店に行ったこと、そこが売春の温床になっていたと書いてあるだけ。そういうことをしていた人もいたかもしれない」
ただ、あなたもそういうことをしているのではないかというイメージ操作は?
「それはあった」
「官邸の権力者と読売新聞との間に何らかの癒着があったのだろうと思っている。政権にとって都合の悪い情報を出させないとか、その情報の信用性を落とすとか、権力とメディアの関係としてあるまじきことだと思う。業界の中で追及し、詳(つまび)らかにしてほしい」
残念ながらここで紙幅が尽きた。最後は前川氏の以下の言葉で締めたい。
「加計問題は大学行政の汚点だが、言ってみれば民主主義の汚点でもあると思う。明治14年に北海道開拓使の官有物払い下げ事件があった。薩摩藩閥の黒田清隆開拓使長官が同じ薩摩閥の事業家に安く払い下げ、友達のために便宜を図った事件だが、それに近いものがある。ただ、あの時はまだ立憲政治はなかった。国民が権力をコントロールする仕組みはなかった。今こそ立憲主義の根幹が問われている。おかしなことが起きたらきちんと国民の眼(め)の前でたださなければならない」
この国会がそういう場になるかどうか。
まえかわ・きへい
1955年生まれ。前文科省事務次官。文科省官房長、初等中等教育局局長、文部科学審議官などを歴任。加計問題を巡り「総理のご意向」を示す文書の存在を明言した
くらしげ・あつろう
1953年、東京都生まれ。78年東京大教育学部卒、毎日新聞入社、水戸、青森支局、整理、政治、経済部。2004年政治部長、11年論説委員長、13年専門編集委員
(サンデー毎日12月10日号から)
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