年頭記者会見に臨む安倍首相 Photo:首相官邸HP

昨年12月8日の臨時閣議で、「人づくり革命」と「生産性革命」の二つを柱とする新しい「経済政策パッケージ」が決まった。

安倍首相はオリンピックが開催される2020年に向けてパッケージを実行することによって、「日本が大きく生まれ変わる」契機にしたいと表明した。しかし、このパッケージは方向性の違う政策を無理やり詰め込んだ観が強く、ちぐはぐという指摘がされている。

どうちぐはぐなのか、「人づくり革命」の中核と位置付けられた「教育無償化」に即して考えてみよう。

誰を、何のために支えるのか
目的や方向性がちぐはぐ

ちぐはぐが目立つのが、政策目的だ。

誰のために、何を実現しようとするのかはっきりしないのが、今回の無償化論議の特徴だろう。

例えば、幼児教育を無償化した場合、直接の利益を受けるのは、幼稚園や保育所に子どもを預けている両親である。だが子どもがいない人は一方的に税負担を強いられることになるし、全面的に無償にすれば、高額所得者や、“お受験”中心の幼稚園に通わせている親にも恩恵が与えられる。

また待機児童問題が解決しない現状で導入すれば、たまたま保育所に子どもを入所させることができた運のいい親だけが恩恵を受けることになる。

政府は、一定の条件を満たした未認可の保育施設も無償化の対象にすることを検討しているようだが、それだけでは全てのニーズをカバーし切れないだろうし、対象となる施設の選定をめぐって混乱が起こるだろう。

恣意的な基準で選抜すれば、「森友・加計問題」の再来になりかねない。機会均等や再分配という目的からすれば、むしろマイナスだし、教育の質の確保という点からも疑問が残る。

経済面で子育てしやすくし、少子化対策にするという目的から見れば、一応プラスだが、待機児童問題が解決しないと、子育て中の女性の社会進出を促すことにはならず、少子化対策の効果はあまりないかもしれない。

一方で、子どもの利益を考えると、また話は違ってくる。

人材育成あるいは教育の機会均等という目的から幼児教育を充実させたいのであれば、幼稚園や保育所に子どもを通わせることを準義務化し、各施設の教育の質を確保することを最優先すべきである。

高校や大学の無償化についても、経済的再分配や誰もが高等教育を受けられる“機会均等”のためか、優秀な“人材育成”のためかを考える必要がある。

後者が目的であれば、一定の才能や努力を示していることを無償化の条件にしたうえで、貧しい家庭に育っても高度な教育を受けられる環境の整備に力を入れるべきだろう。中卒、高卒で就職して所得税を払っている人とのバランスも考える必要がある。

財政健全化計画との
整合性もはっきりせず

財源をどうするのかや、財政健全化計画などの他の政策とのちぐはぐも目立つ。

消費税増税分の使途を突然、変更し、教育無償化に充てることを打ち出したことで、従来の財政健全化計画や「税と社会保障の一体改革」との齟齬が生まれた。

政府・与党はこれまで消費税率を10%にした時の増収分を、高齢化のため毎年、自然に増え続ける福祉関係予算に充て、プライマリーバランス(基礎的財政収支)の回復を目指すと説明していた。

それが、「子育て世代への投資」に集中的に割り当てる、という方針に変わり、幼児教育無償化、待機児童解消、所得の低い家庭の子どもたちに限っての高等教育の無償化などが具体的項目として挙げられた。

政府は、2%の増税による増収分は5兆円強と試算している。

従来は、このうちの4兆円を国の借金返済に充て、1兆円強を福祉予算に充てるとしていた。

だが今回の閣議決定では、財政再建に充てるのは半分程度とし、残りのうちの1.7兆円程度を、幼児教育無償化や、低所得者に限定した高等教育の負担軽減など教育関連と介護人材の確保に充てるとしている。

当然、財政健全化計画で掲げられているプライマリーバランスの黒字化の目標は遠のき、年金生活者などの福祉は、数千億円分は割を食うことになる。

教育全体の無償化には5兆円が必要とされており、政府がこの政策を追求し続ければ、財政の健全化はさらに混沌とすることになろう。

無論、プライマリーバランスより成長戦略が重要だという考え方や、福祉の重点を高齢者から子育て世代や子どもに移すべきだという考え方もある。財政的な観点のみで無償化政策を否定すべきではなかろう。

問題は、「教育無償化」が、何を目指した政策なのか、政府や与党自身が分かっているのか、ということである。

「保育園落ちた」の投稿が引き金
教育政策が“アキレス腱”に

政府が「教育無償化」に前のめりになっていく最初のきっかけになったのは、恐らく、2016年2月に、はてな匿名ダイアリーに投稿された「保育園落ちた日本死ね!!!」というブログ記事だ。

この記事は山尾志桜里議員(当時、民主党)によって衆議院予算委員会で取り上げられた。

この記事のことを首相が知っているかという質問に対して、首相が承知していないと答えたため、同議員は、それを待機児童問題に対する安倍首相の“関心の低さ”と見なして攻撃した。

このやり取りは、「働く母親の立場を代表する山尾氏vs働く女性の気持ちに鈍感な首相」、という構図を印象付けることには成功した。

野党やマスコミ、ネット世論で安倍内閣が掲げる「女性が輝く社会」や少子化対策は単なるかけ声ではないのか、との論調が広がり、女性の内閣支持率は10%前後低下した。

この問題がその年7月の参議院選挙に与えた影響は――TPP等他の争点もあったため――限定的だったが、12月に発表されたユーキャン新語・流行語大賞のトップ10に「日本死ね」が選ばれ、再び「待機児童問題」に関心が集まった。

この直後に発表された民進党の次期総選挙向け公約原案では、幼稚園から大学までの授業料や、小中学校の給食費の免除、無利子奨学金の拡充など、「教育無償化」が盛り込まれた。日本維新の会も既に参議院選挙の時から教育無償化を掲げていた。

政府・自民党は愛国心教育に力を入れる一方で、子育て支援、教育への投資に消極的ではないか、との印象が徐々に強まっていった。

もう少し遡ると、2015年前半のピケティブームの際に、教育格差を通しての格差の世代間継承が改めて話題になった頃から、教育政策が自民党の“弱点”になり始めていたのかもしれない。

さらに2017年2月に森友学園問題、5月に加計学園問題が浮上したことで、現政権の教育政策の杜撰さが余計に際立つことになった。

前者では愛国心教育、後者では国家戦略特区制度を利用しての大学の規制改革がクローズアップされた。いずれも安倍政権が売りにしていたはずの政策だ。

2008年年末から09年年初にかけての「年越し派遣村」に象徴される格差問題が、崩れかかっていた自民党政権を崩壊させ、民主党政権を誕生させるきっかけになったように、「日本死ね」に始まる一連の教育政策での対応の不手際が、安倍政権のアキレス腱になりそうな様相を呈した。

唐突だった「憲法改正で無償化」
総選挙前に再び目玉政策に

昨年5月の憲法記念日、安倍首相がかなり唐突に、憲法改正の目玉として九条と並んで「教育無償化」を掲げたのは、教育への熱意をアピールする狙いがあったのだろう。

しかし、自民党結党以来の目標である「九条改正」と、野党が先行する形で急浮上した「教育無償化」を並べるのは、いかにも不自然だった。

さらに無償化に伴う財政支出の大幅な増加、しかもその増加分を憲法によって恒久化することは、小泉内閣以来進めてきた財政改革に逆行するように思われる。

教育無償化を憲法改正の眼目にするのなら、憲法とはそもそも何を規定し、何を目指すものなのか、そして、自民党は現行憲法をどういう性質のものと認識し、どう変えたいのか、憲法の本質をめぐる議論が必要だ。

異質な論点を持ち込む以上、安倍首相自身がどうして改正に拘るのか改めて説明すべきだろう。

野党や憲法学者だけでなく、党内からも批判が出たため、この案自体はうやむやになった感がある。

しかし、野党側の足並みの乱れを見越して急遽、決めた10月の解散・総選挙に向けて、首相は再び「教育無償化」を打ち出し、自民党も公約に掲げた。

そのため今度は、政府・与党は何のために増税するのかが疑問に付されることになった。

政府・与党はこれまで増税分を財政再建に充てると言っていたはずだ。この財政健全化目標は諦めるのか。諦めるのであれば、増税は一旦白紙に戻すべきだった。

だが自民党の総選挙公約では、「財政健全化の旗は明確に掲げつつ、不断の歳入・歳出改革努力を徹底」することと、「『全世代型社会保障』へと大きく舵を切」ることも謳われており、素朴に考えると、教育無償化の費用を主として高齢者福祉関係の予算の削減で賄おうとしていることになる。

だとすると、「自然増加分+教育無償化対策費」を毎年、削減しなければならない。これはかなり非現実的な想定である。

世論受けを狙う
税金の無駄使いに終わる恐れ

結局、「教育無償化」は、自民党と野党の間の“教育”におけるイニシアティヴ争いの中で浮上してきたため、長期的政策として十分に練られていないまま、政府の目玉政策に位置付けられ続けているのが実情だ。

財政政策、特に教育関係の政策には様々な当事者や利害が関わってくるし、人の成長という予測しにくい要素が関わってくるので、焦点がぶれやすいのはある意味で仕方がない。

しかし、だからこそ教育政策を決定するに際して、成り行き任せにならないよう、何を目的とした政策なのかその都度、十分に審議し、優先順位や実現手段(PDCA)を確認する必要がある。

政府は他にも、生産性革命のために、政府の設定した「3%賃上げ」目標を達成した企業を減税し、賃上げに熱心でない企業には「ペナルティ」として租税特別措置の優遇を止めることを決めたが、企業ごと、業種ごとの事情の違いを無視して、政府が数字だけを見てコントロールするのは、規制改革の趣旨に反するのではないか。

AI、ICT、IoTなどの先端技術を積極的に導入する企業を優遇する方針も出しているが、企業が必要としている技術について、政府が口出しするのもおかしい。

各企業がそれぞれの事情に合わせてIoTの導入や適材適所の人材配置による生産性の向上を図れば、平均賃金はむしろ下がるかもしれない。賃上げと生産性向上は別の問題であり、一つのカテゴリーに入れることには無理がある。

その時々の世論に一番受けそうなキーワードに従って、予算配分したり税制をいじったりして、とりあえず“やる気”を見せるのは、単なるポピュリズムであり、税金を無駄遣いするだけに終わる可能性が高い。

(金沢大学法学類教授 仲正昌樹)