市民のための自由なラジオ(2018/3/17) 原きよの教えて!小出先生 第3回 原発(核)と戦争は繋がっている、原発と戦争をなくさなければ世界は破綻する!憲法は守るのではなく実態化させないといけない!

永岡です、市民のための自由なラジオLight UP! 第103回、1月以来の一人の母親、一人の生活者、一人の朗読家の原きよさんによる教えて!小出先生の3回目です。今週は市川うららFMを聴きました。

自由なラジオは、今月末で放送は一旦終わりです、夏より、別の番組が始まります。また、木内みどりさんが別のラジオ番組も始められます。

原さん、小出先生の元に昨年末行かれて3時間のロングインタビューの最後です。

 

毎日放送ラジオの、しあわせの五・七・五、毎日新聞特任編集委員、近藤勝重さんのラジオエッセイ、しあわせの風景、川柳も俳句も短詩のジャンル、大きく言って詩、短歌、和歌も入り、日本は山桜が自生して、古今和歌集でも桜が詠まれて、江戸時代に幕府が桜を見ることを吉宗から推奨して、桜は、大阪でも通り抜けがあり、江戸時代の俳句、世の中は 三日見ぬまの 桜かな、今日あたり開花宣言、こんなところでも桜の花か、桜で有名なものは芭蕉の 様々なことを思い出す桜かな 何を思い出すと書かずとも思い出し、心の中に桜が開くもので、ラジオネーム、リコピンさん、中之島にも来られた、近藤さんの同僚、がんになり、明日は散る でも今日生きている桜、桜は良寛の句、いずれ散る無常観はあるが、自分の生と死の世界で、水野さんも桜の季節で思い出す、水野さんも中之島で朗読されて、川柳に思いを込めて生きられた方で、明日は散る でも今日生きている桜の意味、俳句、川柳があり、桜の詩を近藤さん紹介されて、桜の言葉でほめてあげたいの世界ではあり、桜の言葉で桜をほめてあげたい、水野さんの川柳な人々、来年も 咲くよと桜に 励まされ、桜が我々に声をかけてくれているもので、私たちの目線で、廃校の 庭に忘れず 桜咲く、小学校移転時に、なぜ桜を連れてこなかったかと思うもの、桜には様々な見方ができて、うっすらと 眺める顔も 桜色、などあり、桜を擬人化して詠むもので、擬人化と言うと、一年を 桜はほめて くれている、擬人的に詠み、桜は咲いている時だけでなく、川柳は人間っぽく、桜にしゃべらせる、桜から、出た言葉を五・七・五にしてもOKであるのです。リスナーも桜と対話する春にしてほしいと、水野さん締めくくられました。

 

小出先生は核の世界に身を置きながら、3・11の前から核の危険性を訴えて、しかしそれは福島第一原発事故で悲しくも現実になり、核はたくさんの人々の生活を奪い、小出先生から学ぶものを知るものです。小出先生、アルプスの麓で薪ストーブをたいて、小出先生のお話を原さんの視点から問われました。

福島の収束はまだ先も見えず、被曝された方のこれからの健康被害について、たくさん出るもので、チェルノブイリ原発事故が86年に起きて、ソ連は収束のために石棺で原子炉を封じ込める作業、1年で60~80年人の退役軍人、労働者、一部は囚人も駆り立てて、彼らに被害が出たとウクライナの報告があり、周辺の住民も被害、福島事故は7年経っても収束せず、何年かかるか分からず、政府は30~40年かかるというものの、これから30年も40年も被曝作業が続くことになり、小出先生は100年かかると思われて、どれだけの健康被害が出るか暗澹たる思い、原発の敷地も大変で、福島には原子力緊急事態であり、原爆の被害者も差別されて、住民も作業員も被曝したことを隠さずを得ず、福島の子供たちは結婚できないと語り、学校でもいじめられて、被害者を助けるべきなのに、日本は差別を背負わされる方がどんどん出てしまい、なぜ原発を東京に作らなかったか、電気は使う場所で作るべきで、東電の火力発電所は東京湾にあるのに、東電の原発は福島に二カ所と、柏崎刈羽(新潟)、東電は関東平野に電気を供給するのに、原発はその管轄外にあり、都会だと原発は危険なので作らず、管轄外に作り長い送電線でやり、東電はもう一つ、東通村、下北半島に原発を計画しており、もちろん言語道断、電気が欲しいなら危険も受け入れるべき、危険だから過疎地に押し付けるのは言語道断なのに、日本だとこれをやってしまった。

チェルノブイリでも差別はあり、作業員は底辺の労働者が危険なことを押し付けられて、日本政府は作業員の被曝を管理しているというものの、公表値で、作業員の96%は下請け、電力会社の作業員はたった4%、福島で放射能と闘っているのは下請けの労働者、7次、8次とかピンハネされて、弱い人たちに被曝が押し付けられて、福島の作業員の方、被曝を測る線量計の上に鉛のカバーを付けさせられて、それも雇用者にさせられて、小出先生はその際に、労働者も、そうしないと被曝線量が限界を超えて働けなくなり、被曝労働者は被曝するところまでの被曝能力を売っている、限界になると働けない=首を切られる、限度に達しないようにそうするしかなく、そうしないと食べられない、気の毒であり、東電の社員ではない、被曝限度になったら別の部署で働けるが、労働者はそうはいかない。

小出先生は、原発と戦争はつながっていると語られて、日本だと原発は電気のためと思うが、違うもので、原爆材料のプルトニウムを作るためのもの、日本で原発を開始したのが1954年、中曾根氏がいきなり、国会に原子炉建造予算、2億3500万=核分裂するウランの質量数、審査されずそれは通り、中曾根氏はアメリカが原子炉→プルトニウムを作ったことを熟知してこれをやり、原子炉の位置付けは一貫して核兵器材料のプルトニウムを得るためであり、国会答弁でも言って、数年前に内閣法制局長官が、核兵器の所有と、使用すらいいと嘯き、核兵器を憲法で禁じていない、政策的に禁じているだけ、いつでも核兵器を作れるように、が日本政府の方針で、福島の事故後、石破氏、安倍氏は大噓つき、石破氏は正直?でも、福島事故で核に反対する声が大きくなったが、日本の周囲は、中国にしても朝鮮民主主義人民共和国、ロシアも、同盟国のアメリカも核兵器を持ち、それらに囲まれて核兵器を持たなくていいのかというもので、核兵器を持つ力を維持するために原発をやめてはいけないと堂々といい、日本人は核を平和利用と思っているが、核兵器を持つ能力を維持するために、原発を全廃せず、日本も核兵器を持つ力があると誇示したい。

ノーベル平和賞のICANの団体が、核兵器を廃絶するには根本的な考えを変えるものと原さん言われて、小出先生、電気という意味なら核なしでも電気は足りない、核なしで停電というのは嘘だと政府の統計で分かり、福島事故で原発はほとんど止まっても電気は足りて、当時計画停電と国と東電は脅したが、電気は足りて、核兵器開発のために原発を維持して、小出先生は核兵器ももちん反対している。

伊方原発の差し止め判決も出て、小出先生は2度原発の裁判に関わり、東北電力の女川原発の建設に反対した仲間が逮捕されて、微罪なものを、正式裁判をして、有罪になったものの、裁判官は訴訟費用は免除ではあった物で、そして伊方原発の設置許可取り消しの裁判、世界でも類を見ない核を巡る裁判で、小出先生も証人として出廷、原子力マフィアは東大教授らが出て、訴訟は経過だと圧勝したのに敗訴、最高裁まで行っても敗訴で、小出先生は、日本の三権分立は嘘、核に関して住民の訴えは通らず、それ以降小出先生は核に対する裁判には関わらず、しかし広島地裁が伊方原発の差し止めをしても、状況を変えたのは福島事故で、あまりに大きな代償の後であり、大飯3,4号炉の差し止めをしたのは樋口英明裁判官、名古屋家裁に左遷されて、広島高裁も定年前の裁判官が差し止め、裁判官のようなエリートが国に抵抗するのは大変で、しかし、我々が声をあげて、裁判官を応援しないといけない。

核兵器をなくすのは難しいかと原さん問われて、小出先生、途轍もなく難しいが、「戦争そのものをなくさないといけない」、日本人は73年前まで太平洋戦争して、無数の人たちを犠牲にして、その代償で日本国憲法で戦争放棄であり、憲法を守れではない、も憲法は破壊されて、自衛隊の存在、沖縄の米軍基地もあり「憲法を実態化させないといけない」であり、安倍政権の憲法改悪はとんでもないことで、小出先生も太平洋戦争は体験しておらず、しかし戦後世代と呼ぶのは間違い、安倍氏は秘密隠蔽法、戦争準備法案、いずもを空母にして、共謀罪も作られて、戦争にまっしぐらであり、小出先生も戦前の世代になりかねず、日本がかつて戦争に突入したのは騙されたというが、そんな言い訳は通じず、戦争を防ぐためにやるべきことがあり、安倍氏の存在そのものが国難であり、やるべきことは、小出先生も歳を取りできることは少なくなり、しかし、核の場にいたものとして、福島事故の責任はあり、小出先生のやるべきことはあり、そして小出先生も戦前世代にならないように、毎月3日にアベ政治を許さないと松本駅前でポスターを持ち、微々たるものだが、一人一人が自分でやるべきことを考えるべきと締めくくられて、原さん、。戦前の人間にならないように、がショックで、戦後73年、今危ないことに危機感を持たれて、自分の立場を考えてものを言えない人もあり、それを素直に言える場に置き換えるべきで、3時間のインタビューの中で、原さんも、核の本来の目的を知り、小出先生は核の専門家として責任を感じて、ていねいに質問に答えて下さったことに感謝して、原さんもも一人の人間として、朗読家として立ち上がるものです。

 

後半は原きよさんが、貝原浩さんの画文集「風しもの村~チェルノブイリ・スケッチ」を、朗読を交えながら紹介されます。画家、イラスト無料、1947年生まれ、東京藝術大学で絵を学び、チェルノブイリの6年後にベラルーシを訪れて、国境から16km、事故に南風、風下の村がベラルーシ、医療支援に貝原さん同行されて、92/2に行かれて、その時の思いを絵にして、全部で14枚、貝原さんは2005年にがんで亡くなられて、しかし貝原さんの絵は全国の美術館にあるのです。

随想、たくさんの方の姿があり、サマショウロと呼ばれている、行政の指導に従わず立ち入り禁止区域に入り暮らす人で、老いの残り少ない時間をそこで暮らしたい、汚染された土地の収穫も得て、わがままな人という意味のサマショウロは、どちらから見てわがままなのか、日本で3・11の後、生まれ故郷を追われた方もたくさんいて、サマショウロの生き方は原さん当たり前と問われて、わがままなのは行政、土地のものを一生食べたいと思い、3・11の後、酪農の牛を殺さざるを得ない人たちもたくさんいた。

チェルノブイリの事故を起こした4号炉、オリンピックという文字を見つけて、2010年に発刊されたもの、98年の長野オリンピックに喜ぶものを批判して、5月、澄み切った風景を、石棺、中で高濃度の放射性物質はあり、石棺に、さらに大きなふたをすることになり、石棺は自らの重みで潰れかけて、ありとあらゆる知恵で対処しないと、今の文明生活はどうか、核事故は、私たちの共通の悲劇、何にもならないオリンピックより、こういうところを手当てすべきと貝原さん言われて、チェルノブイリの石棺の破綻を貝原さんの絵から原さん見られて、2020年の東京オリンピック、アスリートは頑張っているというものの、やらなければならないものがたくさんあり、これを地球上に持ち込んだら終わり、廃炉など無限の時間が必要で、事故の後始末に途方に暮れるもので、小出先生、自分のやらないといけないことは自分で考えて欲しいというもの、これを受け止めて、考えてないとならず、太平洋戦争敗戦から73年、人間として考えないといけない。

おいしそうな食べ物の絵の横の文書、おいしい食べ物など、町で手に入りにくいものと、自家製のウォッカでもてなしてくれて、ごちそうさまでした、また来ます、そして、馬が荷を運び、女性の乗っている絵、馬は農作業に不可欠であり、農民の命を守り、生きている人間が生きている馬と対峙して、人も、土も守られて、馬も生きて、この世界の続くことを願われて、貝原さんはチェルノブイリの現地を毎年訪れて、原発事故で立ち入り禁止のところを知らず読むとおいしいと見えるが、しかしこの方々は覚悟して生活されていて、互いに生きているものとして、人間と馬のこと、多くの酪農家が追われたことに心痛むものなのです。

東日本大震災7年、報道は減り、被災地のことは情報として知ることが難しくなり、しかし、福島の高校生が7年前のことを語り、支援者のイベントもあり、そういう情報を個人個人が知る努力を続けるべきと原さん指摘されました。

ここで音楽、番組で流れたのは、拝郷(はいごう)メイコさんのヒカリです。

https://www.youtube.com/watch?v=SrMknv0ibEc

 

今回の内容、原きよさんと小出先生のお話、3回小出先生のお話を伝えて、原さん、突っ込んで色々な話を聞けて知ることができて、大事なことを知らないといけないと思い、原さん、これからも未来を生きる子供たちのために行動したいと締めくくられました。以上、今週の自由なラジオでした。

 

 

 

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拝郷メイコ ヒカリ

 

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