幣原「そこで僕はマッカーサーに進言し、命令として出して貰うよう決心した」

幣原「そこで僕はマッカーサーに進言し、命令として出して貰うよう決心した」

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1946年1月24日のこと、幣原はGHQ本部のマッカーサーの元を訪ねます。外交官出身で
英語が堪能だった幣原は、この日、三時間にわたってマッカーサーと二人きりで会談し
たのです、、、
マッカーサー:「占領するにあたり、一発の銃声もなく、一滴の血も流さず進駐できた
のは天皇の力によることが大きいと深く感じているので、私は天皇制を維持させること
に協力し、努力したいと考えています」、、、
幣原:「戦争を世界中がしなくなるようになるには、戦争を放棄するということ以外に
ないと考えます」
マッカーサー:「そのとおりです」
幣原:「世界から信用をなくしてしまった日本にとって、戦争を放棄するというような
ことを、はっきりと世界に声明すること。それだけが日本を信用してもらえる唯一の誇
りとなることではないでしょうか」 
幣原から戦争放棄の提案を聞いたマッカーサーは、急に立ち上がって両手を握り、涙を
目にいっぱいためていた、と書かれています。
http://vergil.hateblo.jp/entry/2016/07/19/215422 

、、、この情勢の中で、天皇の人間化と戦争放棄を同時に提案することを僕は考えた訳
である。 
濠洲その他の国々は日本の再軍備を恐れるのであって、天皇制そのものを問題にしてい
る訳ではない。故に戦争が放棄された上で、単に名目的に天皇が存続するだけなら、戦
争の権化としての天皇は消滅するから、彼らの対象とする天皇制は廃止されたと同然で
ある、、、
国体に触れることだから、仮りにも日本側からこんなことを口にすることは出来なかっ
た。憲法は押しつけられたという形をとった訳であるが、当時の実情としてそういう形
でなかったら実際に出来ることではなかった。 
そこで僕はマッカーサーに進言し、命令として出して貰うよう決心したのだが、これは
実に重大なことであって、一歩誤れば首相自らが国体と祖国の命運を売り渡す国賊行為
の汚名を覚悟しなければならぬ、、、誰にも気づかれないようにマッカーサーに会わね
ばならぬ。幸い僕の風邪は肺炎ということで元帥からペニシリンというアメリカの新薬
を貰いそれによって全快した。そのお礼ということで僕が元帥を訪問したのである。そ
れは昭和二一(1946)年の一月二四日である。その日、僕は元帥と二人切りで長い時間話
し込んだ。すべてはそこで決まった訳だ。
http://vergil.hateblo.jp/entry/2016/07/19/215422   

MLホームページ: https://www.freeml.com/uniting-peace

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