人がどう評価するかわからない。でも精いっぱいやった。僕の力が足りなかったのだろうか――。8月に急逝した翁長(おなが)雄志(たけし)・沖縄県知事は亡くなる数日前、政府と対峙(たいじ)し続けた苦悩の4年弱をこう語っていたという。妻の樹子(みきこ)さん(62)が朝日新聞の取材に応じた。

 翁長氏は今年4月、膵臓(すいぞう)に腫瘍(しゅよう)が見つかった。この時「(任期の)12月まではもたないかもしれない」と樹子さんに告げた。5月15日に退院し、抗がん剤治療などに取り組んだ。

 この頃、数百冊の本や資料を処分し始めた。「『やめて』って言うのに聞かない。『君たちは保管しておこうとするだろう。僕がやる』って。残りは短いと思っていたようでした」

 7月27日には会見し、前任の知事による名護市辺野古の埋め立て承認を撤回すると表明した。

 その日の朝食時、ふいに樹子さんに言った。「体調は本当にぼろぼろだし、こんな状況で記者の質問に答えられるだろうか」。口の中は口内炎がいくつもできて腫れ上がり、小さな薬の粒を飲むのに20分ほどかかっていた。樹子さんは「水を飲むのも苦しい状況だった」と振り返る。

 だが会見では、手ぶりも交えて発言し続けた。「傍若無人な工事だ」「日本国民がまったく違和感なく『(基地を)沖縄に造るのは当たり前だ』というようなものがあるのではないかと、大変憤りを持っている」。約30分間に及んだ。

 帰宅すると、玄関のいすに数分間座り込んだ。それから立ち上がっては廊下で休み、リビングで休み、また廊下で休み……。15メートルほど先の寝室まで20分ほどかかった。「集中して頑張ったんだな、もう全精力を傾けて言いたいことを言ったんだな、と感じた。私としてはつらかったが」。この会見が、公の場に姿を見せた最後となった。

 翁長氏は「自分で撤回をする」と言い続けていたという。「国が県の一般職員にも損害賠償を求めるという情報があり、職員をそんな目に遭わせることが耐えられなかったのでしょう」

 7月31日に再入院し、8月8日に67歳で息を引き取った。葬儀には党派を超えた政財界関係者や市民ら約4500人が参列した。

 知事になってからの4年近く、樹子さんは翁長氏の笑顔を見た記憶がない。「難しい本を読んだり新聞を読んだりで。本当は明るくてよく笑う人だったけどね」

 「精いっぱいやった」と言った翁長氏に「ウチナーンチュ(沖縄の人)はわかっているよ」と応じると一瞬、笑顔になったという。

 「(病気のせいで)自分をコントロールできず、子どもたちに当たってしまうかもしれない。でもそれは本当のお父さんじゃないよ、と子どもたちに伝えてほしい」。これが樹子さんへの最後のメッセージだった。

 30日には知事選が投開票される。樹子さんは、翁長氏が家族によく「自分の考えと違うからって恨むなよ。同じウチナーンチュ、心はみんなわかっている」と語っていたと話し、続けた。「県民一人一人に、静かに考えてもらいたい」(伊藤和行)