もはや
できあいの宗教には倚りかかりたくない
もはや
できあいの学問には倚りかかりたくない
もはや
いかなる権威にも倚りかかりたくはない
ながく生きて
心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目
じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある
倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ
色平様
ごぶさたしておりますが、いつもWebでご意見を読ませていただいて
おります。茨木のり子さんの詩はよいですね。最近おんなの人の方が頼りに
なるのではないかと思っています、、、
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拝復、先生
佐久病院が誕生するきっかけは、「ふつうのおんなの子」看護婦数名が抗議の声をあげ
たことでした
敗戦後もひきつづき、地域ボスたちが事務長らとして院内を仕切っていました
彼らに「名前を呼び捨てにしないで下さい」「平等にあつかって下さい」と数か条の要
求を
突きつけたことが院内民主化運動につながり、1946年初め(新憲法以前に)従業員
組合が成立
選挙でその代表に若月が選ばれたことで、地域ボスから叩かれ、廃院の危機にも
紆余曲折を乗り越え、現在の「経営参加するユニオンショップ制」につながっています
末尾、佐久の若手医師の感想文です
私は十数年間山の村で暮らし職人たちと出会いましたが、彼らはアーティスト(芸術家
)と異なり、
自分の名前をのこすことより、自分の作品をのこすことにプライドとこだわりをもって
いました
いろひら拝
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アジア学院訪問報告書
「地域の中に埋もれなさい。名声を得ようとせずにサーバントリーダーになりなさい」
アジア学院副校長 大柳由紀子
私は初めてアジア学院を訪問した大学6年生の秋、この言葉になりよりも衝撃を受け
たことを覚えています。人間というのは誰しも潜在的に有名になりたいとか他者から高
く評価を得たいという意思を持っているように思います。しかしながら大柳氏はこの潜
在的な感情を真っ向から否定されたのです。
ある人はおそらく言うでしょう。そんなの
は理想であると。しかしながらアジア学院はキリスト教の奉仕の教えを背景に持ってい
ることは確かながら、そのサーバントリーダーシップを実践し、真のサーバントリーダ
ーを生み出すべく闘っているように思えました。私の研修医になったのち再度アジア学
院を訪問する上での理由はアジア学院がどのようにいかにして地域に奉仕するサーバン
トリーダーを育成するのかその謎を解き明かすことでした。また自分自身が医師になっ
てみて、アジア学院の理念と理想とされうる地域医療には多くの共通項があるように思
えました。添えゆえ、その共通項を改めて発見し、何か自分の普段の生活、診療活動を
違った視点で捉えてみたいという気持ちがありました。
前述の通り、私は大学6年生の時と初期研修医1年目の時合わせて2回アジア学院を
訪問しました。医師になる前と後とで何かアジア学院に対しての大きな印象の違いはあ
るのかと言いますと、そこまで大きな違いはないように思います。しかしながら、自分
が実際に診療をするようになって、アジア学院の生徒たちの祖国のフィールドと自分の
診療を行っている佐久地域を比べることができ始めているように思い、当事者意識は高
まったように思います。
次にアジア学院で実際に学んだ事柄について考えて行きます。アジア学院のスローガ
ンは「共に生きるために」と言うものです。そしてそのスローガンを支えるために3つ
の要素が存在します。1フードライフ、2サーバントリーダーシップ、3地域開発、こ
れら3つの要素をアジア学院の学生たちは9ヶ月に渡って学び、その学びを帰国後彼ら
自身のフィールドに応用させ、真の持続可能的な地域を作ろうと挑戦します。
例えばフードライフについて考えてみると、日本の普通の農家でも発展途上国と言わ
れる国々から多くの農業実習生を受け入れています。しかしながらそこで教えられる農
業の形はアジア学院の学生たちにとってあまりにも発展しすぎているように思われます
。なぜならアジア学院の生徒たちは発展途上国でも最も貧しい地域から来るために十分
な化学肥料や農業機械を有していないのです。日本の現在の農業法と比べてアジア学院
での農業法は全く異なるものです。なぜならアジア学院では化学肥料や農業機械を一切
使わずに、有機肥料や簡素な農業機具を用います。そしてもっとも大事なのはアジア学
院では表面上の農業の仕方を教えるのではなく、農業の理論を教えるのです。これらの
理由のためにアジア学院での農業は真に持続的と言われているのです。生徒たちは帰国
後も母国の環境に合わせて農業のあり方を発展させることができます。
今までに触れたアジア学院で教えられている真に持続可能的な生活のあり方を私はSDGs
の一つの理想形であると考えます。またこのアジア学院でのサーバントリーダーシップ
に根ざした地域開発のあり方はプラマリーヘルスケアが地域での住民の主体的な運動
のあくまでも医療的側面でしかないことをまじまじと考えさせられました。
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