ワシントン・ポスト紙ファクトチェック責任者のグレン・ケスラーさん

 私たちは、政治家が正しく発言しているか、データや過去の発言と照合して検証する「ファクトチェック」を続けています。トランプ大統領は、事実と異なる発信の数、内容の異質さで例をみない政治家です。就任から2年間で発した虚偽の回数は、8158。2年目は1年目の3倍の頻度でした。中間選挙遊説が押し上げました。

1959年生まれ。ホワイトハウスや米外交・経済政策を長く取材。98年にポスト紙入り。2011年から「ザ・ファクトチェッカー」の肩書で活動。

 代表的なパターンが自らの業績の美化で、「米経済は史上、最も好調だ」が典型です。次が政敵攻撃。「民主党は犯罪の政党だ」などです。三つ目のパターンが「事実の捏造(ねつぞう)」。例えば「USスチール社は新たに6プラントを立ち上げた」といった主張です。全く根も葉もありません。専門家はもちろんトランプ氏に近い人にも、どこから出てきた話か謎です。

 トランプ氏の場合、最も特徴的なのが同じ虚偽発言を延々と繰り返すことです。ふつう政治家は虚偽を指摘されると、主張を取り下げるか、訂正するものです。トランプ氏は確信犯で、プロパガンダ(宣伝)とみなすべきでしょう。

 私たちは、ファクトチェックの結果を数字で格付けし、その数のピノキオのマークを記事に添えています。事実のつまみ食いが1ピノキオで、重大な誇張や事実の欠落は2ピノキオ、重大な事実誤認は3ピノキオ、大うそは4ピノキオ、という基準です。

 ただ、トランプ氏のために昨年12月に新しい基準を設けました。20回以上繰り返した虚偽を「ボトムレス(底なし)ピノキオ」と認定します。「米史上最大の減税を成し遂げた」など16の「底なしピノキオ」が与えられています。

 この傾向は、実はトランプ氏が実業家だった時代から変わっていません。要するに「真実」と「自らが信じること」の間に明確な線引きがない。昨日と今日の発言が食い違っていても気にしないのです。記者から指摘されると、イライラして反論します。「これが私がいま信じている真実だ」と。

 もっとも、どんな政治家も自分の業績を大げさに話す傾向があります。クリントン大統領は誇張した自慢話が好きでした。オバマ大統領にも何度か「4ピノキオ」を進呈しました。重大な虚偽がなかったのは、カーター大統領とブッシュ(父)大統領でした。

 なぜトランプ氏は、ウソを発信し続けられるのでしょうか。

 皆がテレビを囲んで(米国の著名キャスターの)ウォルター・クロンカイトの話に耳を傾け、新聞を毎日読んだ1960~70年代と時代が変わりました。ソーシャルメディア全盛時代、人々がそれぞれ情報の袋小路に閉じ込められ、異論と出会う機会も減りました。

 実はトランプ氏は、すでに人々の心の中にある「虚偽の情報」を上書きして発言しているのです。人は自らの先入観をだれかが「確認」してくれると、すんなり受け入れてしまいがちです。支持者は「やっぱりそうだったのか。本当のことを話してくれる政治家がようやく現れた」と受け止めます。

 トランプ氏は、事実を基盤に機能してきた司法やメディア、さらに大統領制に対する市民の敬意を傷つけています。しかし、私はそれほど悲観はしていません。

 トランプ氏の虚偽は、米国人の意識の深くまでは浸透していません。昨年、トランプ氏のそうした発言を示し、信じるかどうかを尋ねる調査をしました。「信じる」と答えたのは10人に3人でした。

 ファクトチェックが普及した効果も出ています。私たちは政治家の振る舞いを正そうとしているわけではありません。政治家は往々にして数字を操作し、事実をゆがめることを知らせ、政治家の発信の真偽を判断する材料を提供しているのです。十分な知識がなかったり、何か先入観があったりする場合に政治家につけ込まれないように。まず市民に真実が伝わることが何より大切なのです。(聞き手・沢村亙

哲学者、ボストン大学リサーチフェローのリー・マッキンタイアさん

 真実は大切だと、だれもが考えるでしょう。しかし、その真実がいま、軽んじられています。

 地球温暖化ワクチンを否定する人たちは真実をまともにとりあいません。自分が聞きたいことだけに耳を傾ける。真実より意見や感覚に重きを置くのです。困ったことに、科学の否定と同様の空気が米国政治に及んでいます。

 かつての政治家は虚偽やウソが露呈するとそれを恥じ、謝罪、訂正したものです。しかし昨今は「ウソをついても許される」という感覚、それを社会が容認する空気が広がっています。

 真実よりもイデオロギーや政治信条が重視されることを「ポスト・トゥルース(ポスト真実)」といいます。オックスフォード英語辞典は2016年11月、その年を象徴する言葉に選びました。英国が欧州連合(EU)離脱を決め、米国で大統領選があった年です。

 トランプ大統領は誤りを指摘されても訂正も取り消しもせず繰り返します。これは意図的なウソです。わざと真実と違うことを言うことで、真実を政治に従わせ、自分が現実を支配しているかのように見せつけるためです。「私はウソをつくことができる。あなたには止められない。それほどの力が私にはある」。つまり、だれがボスかを示しているのです。

 なぜウソが容認されるのでしょうか。

 「敵が話す真実」より「味方のウソ」を好む人は一定の比率でいます。明らかなウソでも、ほぼ3人に1人は周りに同調して判断します。その時に重視される基準は「真実かどうか」ではなく、アイデンティティーだったり、自分の家族や気にかけている人と別々でいたくないという感情だったりします。誰しも帰属する集団から離れるのを恐れるからです。

 米国の大統領がウソをつき続けると、人々は「それでは何が真実なのか」と疑い始め、(事実に対して)冷笑的になります。科学だって間違えば、理論が書き換えられることもあります。でも「真実が大切かどうか」と「いま信じられている真実は絶対的か」は別の話です。米国政治の右派に徐々に広がっているのは「あなたにとっての真実は、私にとっては真実ではない」という相対主義です。

 日本で公文書の改ざんが大騒ぎになったそうですが、米国でも環境保護局が気候変動に関する文章を書き換えるという問題が起きました。政府が勝手に事実を変えてしまうというのはスキャンダルです。いったいだれがそれを止められるでしょうか。「真実をコントロールすること」は独裁へのステップだと私は思います。

 「ポスト真実」の政治は今や世界的現象です。ポーランド、ロシア、ベネズエラ。かつての民主主義国でも真実が封じられ、独裁色が強まった国もあります。米国の大統領が「フェイクニュース」とメディアを攻撃することで、「彼がそう言っているのなら、私も言ってやろう」とお墨付きを与える結果にもなっています。

 どうすれば「ポスト真実」に対抗できるのでしょうか。

 私は昨年、地球は球形でなく平らだと信じている人たちの集会に参加しました。哲学者として「なぜあなた方はそう信じるのか。どんな証拠を示せば、間違っていると信じてくれるか」と問いたかったのです。参加者を夕食に誘い、2時間話しました。最後にはお互いに好感を持ち、尊敬し合うようになりました。また会話ができるような関係になったのです。

 大切なのはウソの言説を放置せず、向き合うことです。彼らがどこで情報を得て、なぜ信じているのか尋ねて下さい。厳しい対話から逃げてはなりません。ウソを信じる相手を「ばかげている」と決めつけてもいけません。「事実」を示しても人はなかなか変わりませんが、人間的な絆を結べば変わりうるのです。(香取啓介)

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 1962年、米国生まれ。専門は科学哲学。一般向け著作が多く、昨年2月に「Post-Truth」(未邦訳)を出版。講演で全米を回る。