有識者懇前に「平成」準備 3時間早く政令案作成 「当初から本命」裏付け

改元

有識者懇前に「平成」準備 3時間早く政令案作成 「当初から本命」裏付け

「昭和」から「平成」へ。元号を改める政令の書類に署名される天皇陛下=宮殿・鳳凰の間で1989年1月7日(代表撮影)

 1989年1月7日の昭和天皇逝去に伴う改元の際に、「平成」など三つの元号案が同日午後の有識者懇談会に示される3時間以上前の段階で、元号を平成に改める政令案が政府内で作成され、内閣法制局による審査が行われていた。当時の手続きに携わった複数の関係者が明らかにした。この改元の際は、当初から「平成」が本命だったとの証言や見方が出ているが、手続きの面でも「本命」として扱われていたことが明らかになった。

 関係者の証言によると、同日午前6時33分に昭和天皇が逝去した直後、竹下内閣は「平成」の2文字を入れた政令案の作成に着手。内閣法制局の審査終了後、小渕恵三官房長官(当時)が午後の臨時閣議の議題とするよう指示した。これらの作業は、同日午前10時1分から皇居で行われた皇位継承の儀式「剣璽(けんじ)等承継の儀」に小渕氏が出席する前には終了していたという。

 これまでは、この日午後0時半ごろに小渕氏と味村治内閣法制局長官(同)が協議し、元号案を「平成」「正化(せいか)」「修文(しゅうぶん)」の3案に絞ったとされる。その後、午後1時3分からの有識者による「元号に関する懇談会」、20分後に始まった衆参正副議長への意見聴取で元号案を提示し、1時49分から2時2分までの全閣僚会議を経て、同10分からの臨時閣議で元号を平成に改める政令が閣議決定された。

 この時の有識者懇談会では、元号担当の的場順三内政審議室長(当時)が3案を説明する中で、「正化」と「修文」は英語の頭文字が「S」となり、「昭和」と重なると注意喚起していた。この注意喚起が「平成への誘導だった」との指摘や、竹下登首相の指南役ともされる在野の陽明学者・安岡正篤氏が「平成を考案した」との情報が流れるなど、平成が本命だったとの見方は多い。

 一方、当時の関係者たちは毎日新聞の取材に対し、政府内の手続きを手順通りに行った上で国民に速やかに新元号を示すことや、皇位継承後ただちに新元号を定める明治以降の前例踏襲を意識していたと明かす。

 ある関係者は「有識者懇談会を待っていると、(その後の)臨時閣議までに準備を完了できないと判断した。小渕氏が皇居に行っている間は指示を仰げなくなるため、儀式の開始前に政令案を作っておく必要があった」と述べた。別の関係者は「前例を踏まえ、即位の儀式が始まる前に新元号を用意すべきだと考えていた」と証言する。改元の政令は、懇談会への提示の前に既に準備ができていた。

 改元を巡っては、88年9月19日に昭和天皇が重篤な状態となった翌20日の首相官邸で、竹下、小渕両氏ら首相官邸中枢が、的場氏から三つの元号案の説明を受け、元号についての認識を共有していた。【青木純】

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