まとめ
ほとんどの人々にとって、賃金は最も重要な収入源だ。
結果として高い失業率をもたらすマクロ経済学と通貨政策は、
現在のアメリカ社会における不平等の主な源だ。
過去四半世紀のあいだ、マクロ経済学と通貨政策は安定を生み出してこなかった。
維持可能な成長を生み出さなかったし、最も重要なことに、アメリカ社会の
ほとんどの成員に恩恵をもたらす成長を生み出さなかった。
この劇的な失敗の数々を見せつけられれば、誰もが当然、マクロ経済と通貨
に替わる仕組みが探し求められることを期待したくなるだろう。
しかし、銀行という利益集団は、どんなシステムも不慮の災難にそなえることは
できないと言い張り、自分たちは100年に1度の大洪水の犠牲者だと言い張り、
目下の大不況は、現行のシステムを変更する理由にはなりえないと言い張っている。
そうした勢力がこれまでみごとに規制に抵抗してきたのとまったく同様、
マクロ経済学について誤った信念を持ち、欠陥だらけの通貨政策に携わってきた者
の多くは、あくまで頑迷で、悔い改めようとはしなかった。
自分たちの理論は正しく、
ただ実践上のわずかな手ちがいがあっただけだと言い張った。
真相を言えば、マクロ経済学の諸モデルは、不平等と配分政策のもたらす
帰結にあまりにも不注意だった。
これら欠陥のあるモデルにもとづく政策は、危機の発生を助長する一方で、
危機に対処する能力を欠いていることが証明された。
たとえ経済が回復しても、それが雇用なき回復になるという絶望的な展開にも、
これらの政策が寄与していたものと思われる。
本書の目的から言って最も重要なのは、マクロ経済政策はアメリカや
ほかの国々に高いレベルの不平等をもたらす一因だったということだ。
これらの政策を支持する者たちは、すべての人にとってこれが ”最善の” 策だと
主張するかもしれないが、それは事実ではない。
唯一最善の策というものは存在しない。
本書で強調してきたように、政策は富の配分に影響を与えるから、債権者と債務者、
若者と高齢者、金融部門とほかの部門などの兼ね合いが必要となる。
しかし、これも強調してきたことだが、もし実施されていたら経済全体の実績が
改善されただろうと思われる政策は、別に存在するーー特に、経済実績を
大多数の国民の福利という物差しで測るなら、そう言える。
ただし、それら別の選択肢を実施するためには、決定を下す方法についての
制度的取り決めが変わらなくてはならない。
銀行家たちに牛耳られた思考回路を持つ人々が運営する通貨システム、
実質的に最上層の利益のために運営される通貨システムを、この先も堅持して
いてはいけないのだ。
第10章 ゆがみのない世界への指針
真実を偽っても無駄だ。
アメリカ人の社会的流動性がヨーロッパ諸国よりも高いという根強い確信
とは裏腹に、アメリカという国はもはや機会均等の地ではない。
これまで起こってきた事態を最も鮮明に物語るのは、今日、20代の若者
たちが直面している苦境だ。
彼らの多くは、熱意と希望をいだいて生き生きと新しい生活を始めるかわりに、
不安と恐怖に満ちた世界と向かい合わなくてはならない。
自己破産時にも免責されない学資ローンを背負った若者層は、
将来の返済に苦労することを自覚しつつ、荒涼とした労働市場で良い働き口を
探し求める。
運よく働き口が見つかっても、期待どおりの報酬は手にできず、多くの場合、
あまりにも低い賃金水準のせいで、親との同居を続けざるをえなくなるだろう。
50代の親は、わが子を心配する一方、自分自身の将来についても心配
しなければならない。
自宅を失うことになるのでは?
早期退職を迫られるのでは?
世界大不況で大きく目減りした蓄えは、老後を最後まで支えてくれるのか?
自分が苦難に直面したとき、わが子に余裕がないかもしれないことを、
親は知っている。
・・・
いまとちがう世界は実現可能だ。
わたしたちはもっと根本的価値観と調和している社会をつくり上げられる。
より多くの機会と、より大きな国民所得と、より強固な民主主義と、
より高い生活水準を、大多数の人々が享受できる社会をつくり上げられる。
それはたやすいことではない。
わたしたちを別の方向へ導こうとする市場の力も存在する。
それらの市場の力を形成するのは、政治と、社会によって導入された
ルールおよび規制と、国家の諸機関(たとえばFRBをはじめとする規制官庁)
のふるまいだ。
わたしたちがつくり出してしまった経済と社会では、レントシーキング
を通じて巨大な富が蓄積されている。
公共セクターから富裕層へ直接資金が流れ込む場合もあるが、もっと
よく見られるのは、独占力などの搾取形態がルールによって認められ、
富裕層が残りの社会から、”レント”を回収するという手法だ。
本書は”ねたみの政治”についての本ではない。
おしなべて言うと、下位99パーセントの人々は、上位1パーセントに
属する人々の一部が社会貢献を行なっても、その社会貢献に見合う報酬が
支払われても、ねたみを感じたりはしないのだ。
本書は”ねたみの政治”ではなく、”効率的かつ公正な政治”についての本である。
たとえ上流層が大きな社会貢献をしているとしても、上層の所得決定の
仕組みを最もうまく説明してくれるモデルは、個人の社会貢献の度合いを
基盤とはしていない。
実際のところ上層の所得の大半は、いわゆる”レント”から生じている。
レントは中下層から上層へ金を移動させ、一部の人々が有利に、
残りの人々が不利になるよう市場をゆがめてきた。
より効率的な経済とより公正な社会は、市場が市場らしい働きをするように
ーー競争が高まり、搾取が少なくなるようにーーすること、そして
市場の行き過ぎを調整することによっても達成される。
アメリカ社会への投資を増加させ、一般市民に対する保護を手厚くすれば、
経済の効率性と活力は向上するだろう。
そして、わたしたちが目指す理想に一歩近づいた経済は、より幅広い社会の
層に、より多くの機会を与えるだろう。
上位1パーセントの人々でさえも、貧困層に属する多くの人々の才能が
浪費されなければ、その恩恵にあずかる可能性がある。
将来的には、上位1パーセント入りを狙う人々が増えていくだろう。
ミクロ経済政策とマクロ経済政策を左右する支配的イデオロギーは、
社会における平等性の向上から影響を受ける可能性が高い。
このイデオロギーが拠りどころにしているおとぎ話を、
本書はいくつか暴き出してきた。
つまり、上流層による政治的支配がかたよった信念と政策を生み、
このような偏向が経済的不平等と政治的支配を強化する、という悪循環
からわたしたちは脱出することができるのだ。
アメリカの労働者は3分の1世紀のあいだに、自分たちの生活水準が最初は停滞し、
それから徐々に低下するのを目撃してきた。
世界大恐慌のどん底で、やがて市場の力が優勢となって経済を完全雇用
状態まで回復させるだろうと主張する人々に対し、ケインズはこう反論した。
長い目で見れば市場はうまく働くかもしれないが、長い目で見ているうちに
われわれは死滅するだろう、と。
しかし、労働者がこれほど長いあいだ生活水準のじりじりとした低下に
さらされるとは、かのケインズでさえ考えていなかったにちがいない。
本章では、”いまとちがう世界”の創出に必要なこと
ーーアメリカの経済と政治に必要な改革ーーを再検証していく。
残念ながら、わたしたちは”まちがった”道を進んでおり、政治的・経済的変化
は状況のさらなる悪化を招く危険性がある。
本書の最後は、進路変更の必要条件についての概説
ーー楽観につながる注意書きーーで締めくくりたい。
経済改革の7つの基本方針
経済改革の基本方針が真正なものであれば、経済効率性と公平性と機会均等性
は同時に高まり、大多数の人々が恩恵にあずかるだろう。
唯一の敗者は、上位1パーセントの一部
ーーたとえば所得をレントシーキングに依存している人々や、
そのような人々との結びつきがあまりにも強すぎる人々ーー
かもしれない。
アメリカは上層、中層、下層それぞれに問題をかかえており、
これから提示する改革案は、わたしたちの診断結果に即している。
単純な方策では解決は望めない。
すでに本書は、今日のアメリカがかかえる高水準の不平等と低水準の機会均等
について、複数の促進要因を特定してきた。
しばしば経済学者たちは各要因の相対的重要性を論じるが、問題の解決が
ほぼ不可能な理由は、やはり本書で指摘してきたとおりである。
さらに言うと、アメリカにおける機会の不平等は、もはや一線を越えてしまって
おり、打てる手をすべて打たなければならない段階に入っている。
不平等の原因の中には、わたしたちではとうてい制御できないものもあるし、
長い時間をかけて徐々に変えていくしかないものもあるが、ただちに
取り組めるものもある。
改革は包括的に行なわなければならない。
以下に挙げる7つの改革が経済のゆがみに大きな変化をもたらしてくれるだろう。
(1)金融部門の抑制。
不平等拡大のかなりの部分は、金融セクターの行き過ぎと関連しているため、
改革プログラムに着手する際、金融界から始めるのは自然な流れと言える。
ドッド・フランク法は第一歩だが、あくまでも第一歩にすぎない。
ここで、6つの緊急課題を述べる。
(a)
行きすぎたリスクテイクと、”大きすぎて潰せない”もしくは
”相互のつながりが強すぎて潰せない”金融機関を制限する。
この2つの組み合わせは破滅的な結果を招きかねず、じっさい、過去30年間
にわたって金融機関の救済が繰り返されてきた。
鍵となる対策は、レバレッジと流動性の制限。
なぜなら銀行界はどういうわけか、レバレッジという魔法で無から資源を
つくり出せると信じているからだ。
そんなことができるはずはない。
現実に銀行が生み出すのは、リスクと激しい変動だ。
(b)
銀行の透明性を高める。
とりわけデリバティブの店頭取引はもっときびしく制限すべきであり、
政府保証のもとにある金融機関がデリバティブを引き受けるべきではない。
高リスクの金融商品を保険とみなそうと、ギャンブルとみなそうと、
ウォーレン・バフェットのように”金融の大量破壊兵器”とみなそうと、
損失補填に納税者を巻き込むべきではない。
(c)
銀行業界とクレジットカード業界の競争性を高め、各企業が競争的な”行動”
を取るように仕向ける。
アメリカの技術力をもってすれば、21世紀にふさわしい効率的な
電子決済システムは実現が可能だ。
しかし、既存の決済システムは、クレジットカードとデビットカードの
維持に固執し、消費者を搾取するだけでなく、取引ひとつごとに
小売商から多額の手数料を徴収している。
(d)
高利貸し(行き過ぎた高金利での貸付)に対するきびしい制限をふくめ、
銀行が略奪的貸付と濫用的クレジットカード業務に従事することを難しくする。
(e)
過度のリスクテイクと近視眼的な行動をうながす役員ボーナスを抑制する。
(f)
オフショア・バンキングの拠点(と、それに相当する国内拠点)を閉鎖する。
これらの拠点は、規制回避と脱税・節税の両面で大いに役立ってきた。
ケイマン諸島でこれほど金融業が栄えることは、合理的に説明できない。
ケイマン諸島そのものにも、ケイマン諸島の気候にも、金融をひきつける
要素はなく、ひとつだけ考えられる理由は租税回避だ。
以上の課題の多くは相互に関連している。
たとえば、銀行業界の競争性を高めれば、濫用的業務が行われる可能性も、
レントシーキングが成功する確率も低くなる。
銀行は規制逃れを大の得意にしているため、金融セクターを抑え込むことは
難しいだろう。
銀行の規模に上限を設定ーーそれだけでも厄介な作業だーーしたとしても、
銀行同士は(デリバティブのような)契約を結び、
”相互のつながりが強すぎて潰せない”状態を確実につくり出すはずだ。
(2)競争法とその取り締まりの強化。
法体系と規制体系はあらゆる側面において、効率性と平等性に影響を与えているが、
競争と企業統治(コーポレート・ガバナンス)と破産にかんする法律はとりわけ
影響が大きい。
独占と不完全な競争市場は、レントの主要供給源だ。
本来より競争性が低いセクターは、金融界だけではない。
アメリカ経済を見渡してみると、驚くべきことに、2社、3社、4社に
牛耳られている部門が非常に多い。
それでよいと考えられていたときもあった。
技術進歩にもとづく活発な競争が、支配的企業の交代を実現させるはずだ、と。
これは市場内の競争ではなく、市場参加をめぐる競争と言ったほうがいいが、
わたしたちは今日、その考え方が不充分であることを知っている。
支配的企業は競争抑圧のためのツールを持っており、多くの場合、
イノベーションの抑圧さえ可能だ。
彼らが設定する高い価格は、経済をゆがめるだけでなく、
税金のようなふるまいをする。
しかし、集められたこの”税金”は、公共の目的に振り向けられず、
独占者たちの金庫の中に貯め込まれる。
(3)企業統治の改善
ーー特に制限すべきなのは、CEOが莫大な社内資源を私的に流用する能力。
・・・
(4)破産法の包括的改革
ーーデリバティブの扱いから、担保割れの住宅、学資ローンまで。
ゲームの基本ルールが市場の機能を決定づけ、最終的に効率性と所得分配が
大きく左右される、という実例は破産法にも見られる。
ほかの多くの分野と同様に、破産法が上層を利する度合いはどんどん高まっている。
すべてのローンは、自発的な貸し手と自発的な借り手との契約だが、
一方の市場に対する理解は、もう一方よりはるかに深いと考えられている。
要するに、情報と交渉力の面でとてつもない非対称性が存在するわけだ。
それゆえに、あやまちの結果をもっぱら引き受けるべきは、貸し手であって
借り手ではない。
債務者が有利になるよう破産法を改正すれば、銀行にはもっと注意深く貸付
を行なうインセンティブが与えられるだろう。
信用バブルの発生頻度も、多額の負債をかかえる人々も少なくなるはずだ。
前にも述べたとおり、最もたちの悪い融資のひとつは、学資ローン制度である。
学資ローンの場合、悪質な貸付を助長してきたのは、
個人破産をしても債務が免除されないという法律だった。
つまり、バランスを欠く破産法によって、金融セクターの膨張や、経済の不安的化や、
貧しい人々と金融知識に乏しい人々の搾取や、
経済上の不平等が促進されてきたわけだ。
(5)政府の無償供与の打ち切り
ーー公共資産の譲渡においても物資の調達においても。
先述した4つの改革の焦点は、金融関係者をふくむ上層の人々が ”私的” 取引
において、消費者や借り手や株主などを搾取できないようにすることだ。
しかし、レントシーキングの多くは、納税者の搾取という形で行なわれる。
搾取はさまざまな装いを身にまとっており、たんに無償供与と説明するのが
ふさわしいものもあれば、企業助成の項目にあてはまるものもある。
2章で説明したとおり、企業に対する政府の無償供与は莫大な額にのぼる。
・・・
(6)企業助成の打ち切りーー隠れた補助金をふくむ。
これまで説明してきたとおり、政府はほとんどの場合、援助が必要な人々に
手を差しのべず、貴重な資金を企業助成に振りむけている。
補助金の多くは税法の中に埋もれている。
すべての抜け穴と例外と免除と優遇は、累進性を低下させてインセンティブを
ゆがめるが、この傾向は企業助成の領域でとりわけ強くなる。
・・・
(7)法制度の改革ーー司法への門戸を開放し、軍拡競争を緩和する。
・・・
税制改革
前項で述べた7つの改革案はそれぞれ、二重の配当をもたらしてくれる。
経済効率性の上昇と平等性の向上だ。
しかし、7つの改革を成し遂げたとしても、まだまだ大きな不平等が
残っているだろう。
公共投資などの必要な分野に資金を振りむけ、中下層の人々に支援の手を
差しのべ、あらゆる階層に対して機会を確保すべく、わたしたちは
累進課税の徹底を迫られることとなる。
さらに重要なのは、税制の抜け穴をもっとうまくふさぐことだ。
前述のとおり、過去数十年のあいだに、
アメリカは税制の累進性を緩和してきてしまった。
(1)所得税と法人税の累進性を高め。税制の抜け穴を減らす。
・・・
(2)新たな財閥の誕生を阻止するため、現在より実効性の高い相続税制を創設し、
実効性の高い運用体制を構築する。
・・・
富裕層以外の人々を支援する
・・・
(1)教育へのアクセス権の向上。
・・・
(2)一般の人々に貯蓄をうながす。
・・・
(3)万人のための医療。
・・・
(4)医療以外の社会保障制度の強化。
・・・
グローバル化の緩和
グローバル化と技術進歩は労働市場の二極化をうながしているが、
両者は政策によって形作られるものであり、天の高みから降りかかってくる
抽象的な市場の力ではない。
本書が説明してきたように、グローバル化ーーとりわけアメリカの
非対称なグローバル化ーーは労使交渉の舞台を傾け、労働者を不利な立場に
追い込んでいる。
グローバル化は社会全体に恩恵をもたらすかもしれないが、その一方で
多くの人々を置き去りにしてきた。
当然と言えば当然だろう。
グローバル化の舵取りはかなりの程度、企業などの利益集団によって掌握され、
彼らにとって都合よく管理運営されてきたのだから。
ほとんどの場合、グローバル化の脅威にさらされた労働者は、
賃金と社会保護の低下を呑まずをえず、結果として生活水準のさらなる低下を
余儀なくされる。
そのような状況のもとでは、
反グローバル化運動の拡大は至極当然の成り行きと言える。
グローバル化をもっと均衡のとれた状態に戻す方法はいくらでもある。
大量の短期資金(ホットマネー)が国内外を激しく行き来する状況は、
多くの国々に破滅的な結果をもたらしてきた。
具体的に言うと、経済危機と金融危機が大混乱を引き起こしたのだ。
国境を越える資本移動、とりわけ投機的な短期資金の流れには、
規制をかける必要がある。
勝手気ままな資本移動に何らかの制約を課せば、大多数の国々はより安定した
経済をつくり出せるだけでなく、金融市場が社会に及ぼす強圧的な
影響を低減させられるだろう。
アメリカにとっては簡単に導入できる政策ではないかもしれないが、
世界経済において支配的な役割を果たすアメリカは、グローバル化の形成に
携わる機会ーーほかの国々が入手できない機会ーーを与えられているのだ。
グローバル化を再形成するにあたっては、わたしたち全員が”底辺への競争”に
苦しめられてきたことを、理解しておかなければならない。
アメリカはそれを食い止める最適な立場にいる。
アメリカが戦う気になれば、労働者の権利と地位、金融規制、環境条件を向上
させることも可能だ。
また、ほかの国々が共同戦線を張った場合も、底辺への競争に対抗することが
できるだろう。
たとえ擁護派であろうとも、グローバル化の抑制が自分たちの利益につながる
ことを理解しておくべきだ。
本来の姿とはほど遠いグローバル化の現状は、保護貿易主義や近隣窮乏化策へと
退行する真のリスクをかかえている。
アメリカが特定の政策を実行に移せば、均衡を取り戻したグローバル化は、
平等性と効率性を改善させるかもしれない。
たとえば、アメリカの現行の税法は、アメリカ企業が国内に還流させた収益に
のみ課税を行なうため、雇用のアウトソーシングを助長してしまっている。
また、グローバル化時代の国際競争の仕組みは、企業が活動拠点を定める際の
決め手を、世界規模で見た効率性ではなく、たんなる税金の安さにしてしまっている。
税引き後利益をふくらませてくれるのだから、そうした企業の姿勢は理解できるが、
結果として世界経済にはゆがみがもたらされ、資本に対する公正な課税が
不可能となってしまう。
たとえば、アメリカ国内で商業活動をする企業への課税は、商品の生産地に
かかわりなく、国内販売から得た収益すべてをもとにするべきであり、
政府はそれを実行できる立場にある。
完全雇用の回復と維持
(1)完全雇用を平等に維持するための財政政策。
・・・
(2)完全雇用を維持するための通貨政策と通貨制度。
・・・
(3)貿易不均衡の是正。
・・・
為替レートを決定する主要因は資本の流出入だが、金融セクターは資本移動の影響
にほとんど関心を払わない。
資本の安全な逃避先としてアメリカが選ばれると、為替レートの上昇、輸出の減少、
輸入の増加、貿易不均衡の拡大、そして雇用の破壊が起きる。
労働者の暮らしが危機にさらされる一方、金融家の資産は安全度が増すのである。
もちろん、それは市場の力が自律的に作用した結果だが、無制限な資本移動を
ゆるしているのも、ルールと規制によって形作られた市場の力なのだ。
ここでもまた、金融セクターの福祉が一般労働者の利益より優先される、
という実例を見ることができる。
(4)積極的な労働市場政策と社会保護の改善。
アメリカの経済は大きな構造転換を遂げようとしている。
グローバル化と技術進歩からもたらされた変化が、労働者たちに業種間・職種間
の大移動を強いる一方、市場は独力で変化への対応をうまく取り仕切れていない。
だから、変化のプロセスから生まれる勝者をできるだけ多くし、敗者をできるだけ
少なくするためには、政府が積極的な役割を果たさなければならないだろう。
消え去っていく仕事から、新しく生み出される仕事への移動をうながすには、
積極的な支援が不可欠であり、少なくとも転職による労働環境の悪化を防ぎたい
なら、教育と技術に莫大な投資を行なう必要がある。
積極的な労働市場政策が効果をあげうるのは、当然ながら、移動先の雇用が
存在する場合に限られる。
もしも、わたしたちが金融制度の改革に失敗し、金融セクターを本来の基幹機能
へ復帰させられなければ、未来の新ビジネスに対する資金提供という役割も、
政府が積極的に担わざるをえなくなるかもしれない。
新たな社会契約
(1)労働者と市民の集団行動の支援。
ゲームのルールは各参加者の交渉力に影響を与える。
アメリカがつくり出したルールは、資本家に対する労働者の交渉力を弱め、
結果として彼らを苦しめてきた。
雇用の不足とグローバル化の非対称性は、求職競争を引き起こし、
労働者に敗北を、資本家に勝利をもたらしてきた。
それが偶然の進化の産物であれ、意図的な戦略の産物であれ、
いまは事態を認識し、流れを逆転させるべきときなのだ。
万人に尽くす社会や政府ーー正義と公正と機会均等の原則に一致する社会や政府ーー
は、ひとりでに維持されるものではない。
誰かが目を光らせていなければ、アメリカの政府と諸制度は、さまざまな
利益集団によって掌握されてしまうだろう。
最低でも拮抗する勢力の存在は不可欠だが、残念ながらアメリカの社会と政治は、
バランスを欠いたまま発展を続けてきた。
人間がつくったすべての制度は必ずあやまちを犯し、それぞれが独自の弱点を
かかえている。
きわめて多数の大企業が労働者を搾取したり、環境に損害を与えたり、
反競争的行為に手を染めたりしていても、大企業を根絶やしにしろと主張する
者はいない。
代わりにわたしたちは、危険を認識し、規制を課し、企業の行動を変えさせ
ようとする。
なぜなら、100パーセントの成功はありえないとしても、改革が
企業のふるまいを向上させうると知っているからだ。
それと好対照をなすのが、アメリカ人の労働組合に対する態度である。
労組は罵詈雑言を浴びせられ、多くの州では、労組の力を弱める
露骨な試みがなされている。
労働者が変化を受け入れ、新たな経済環境に順応するには、
基本的な社会保護の制度が必要となるが、そのような制度を守り抜き、
利益集団の跳梁を抑え込みたいとき、労働組合がどれほど重要な役目を
果たしうるかという点を認識しているものは、皆無と言っていい。
(2)差別の遺産を払拭するための積極的差別是正措置
(アファーマティブ・アクション)。
最も腹立たしい、そして最も根絶しにくい不平等の源のひとつは差別である。
ここには現在も継続中の差別と、過去の差別の遺産がふくまれる。
国によって差別の形は異なるが、人種差別と性差別はほぼすべての国に存在する。
市場の力に任せておいたら、差別の根絶は望むべくもない。
・・・
幸い、わたしたちはアファーマティブ・アクション制度を通じた事態改善の
方法を学びとってきた。
定員割当制度ほどは厳格ではないものの、アファーマティブ・アクションを
善意で実践していけば、基本的な原理原則と調和する方向に、アメリカ社会の
進化をうながすことができる。
機会均等の鍵は教育にあるため、教育分野におけるアファーマティブ・
アクションは、より大きな重要性を秘めていると言っていいだろう。
持続可能かつ公平な成長を取り戻す
(1)公共投資にもとづく成長政策。
トリクルダウン経済がうまく機能しない理由はすでに説明した。
成長は自動的に万人に恩恵をもたらすわけではないが、貧困によって
引き起こされる事象をふくめ、きわめて扱いが難しい問題の一部に対して、
解決のために必要なリソースを提供してくれる。
いま現在、アメリカとヨーロッパ諸国が直面している最重要問題は、需要の不足だ。
しかし、やがて総需要が回復を遂げ、アメリカの資源をフル活用できる
ようになれば(すなわち、アメリカが本来の機能を取り戻せば)、
今度は供給側(サプライサイド)が新たな制約要因となるだろう。
もちろんこれは、右派の主張するサプライサイド経済学の時代が来ることを
意味しない。
投資を行なわない企業の法人税率を上げ、投資と雇用創出を行なう企業は下げる、
という政策を導入すれば、財界の一部が求める一律の減税策より、高い確率で
経済成長を実現することができるはずだ。
右派の主張するサプライサイド経済学は、とりわけ法人税にかんして租税
インセンティブを過大評価する一方、ほかの政策の重要性を過小評価してきた。
政府の公共投資ーーインフラと教育と技術への投資ーーは、前世紀の
成長を下支えしてきており、今世紀においても成長の基盤となる潜在性を秘めている。
将来的に公共投資は経済を拡大させ、
民間投資の魅力をさらに向上させることとなるだろう。
歴史経済学者のアレックス・フィールズが指摘したように、
1930年代と40年代と50年代と60年代は、前後の数十年と比べても、
生産性の伸び率が高いという特徴を持っており、
その成功の大部分は公共投資に由来していたのである。
(2)雇用および環境を維持するための投資とイノベーションの方向転換。
わたしたちは投資とイノベーションの方向性を、労働節約
(現状では雇用喪失の婉曲な言いまわし)から資源節約へ転換させなければならない。
これは簡単な作業ではなく、駆け引きが必要となってくるだろう。
たとえばイノベーションの領域では、政府の資金で基礎・応用研究を振興する
政策と、環境被害の賠償責任を100%企業に負わせる政策を同時に進めればいい。
おそらく企業には資源節約のインセンティブが働き、労働者のリストラ一辺倒
の姿勢を変えられるはずだ。
現在のような一律の低金利政策は、低熟練労働者を機械に置き換える
動きを助長しているため、投資税額控除を通じて投資を奨励する手法に
切り替えたほうがいいだろう。
控除の適用は、投資が資源節約と雇用維持を実現する場合にのみ認め、
それらが破壊される場合は認めてはならない。
わたしが本書を通じて強調してきたとおり、
重要なのは成長そのものではなく、どのような成長がもたらされるかという点だ。
(成長の質と言い換えてもいい)。
大多数の個人の暮らし向きを悪化させ、環境の質を低下させ、人々に不安感と
疎外感を抱かせるような成長は、わたしたちが追い求めるべきものではない。
市場の力をより良く形作ることと、集めてきた税金を成長促進と社会の福祉向上
に使うことが、矛盾しないという事実は、わたしたちにとって朗報と言える。
・・・
政治改革方針
経済の方針は明快で、問題は、政治についてはどうかということだ。
アメリカの政治プロセスに、この方針の最低限の要素だけでも採用される見込み
はあるだろうか?
あるとすれば、大々的な政治改革が先行していなくてはならない。
うまく機能している民主主義と社会からは、すべての人が恩恵を受ける。
しかし、全員が恩恵を受けるので、誰でもただ乗りできる。
その結果、何より重要な公益である民主主義を円滑に機能させるための投資は、
不足がちになる。
わたしたちは実質的に、公益の擁護および維持の大部分を民営化したが、
結果は悲惨なものだった。
民間企業と裕福な個人は資金を費やして、自分たちの推奨する政策や候補者
の利点をわたしたちに”知らせる”ことをゆるされた。
そして、あらゆる面で、提供する情報をゆがめるインセンティブを持っている。
・・・
(「世界の99%を貧困にする経済」2012年、ジョセフ・E・スティグリッツ)
MLホームページ: https://www.freeml.com/uniting-peace