「大日本帝国時代に戻ったつもりですか」 “浮かれた”メディアの罪 原武史さん
怒っている。カンカンである。放送大教授、原武史さん(56)。令和のスタートを奉祝ムードたっぷりに報じた主要メディアの「令和フィーバー」に、である。「象徴天皇制の課題を検証せず、浮かれるだけでいいのか。あなたがたメディアは大日本帝国時代と同じです」。どういうことか? 叱られつつ、原さんに問うた。【吉井理記/統合デジタル取材センター】
令和スタート、記者は叱られた
取材相手に、叱られることはある。
こちらの勉強不足だったり、的外れな質問をしたり。たいていは、記者の体面を考えてくれてなのか、ソフトな叱責がほとんどだ。
それでも、令和の時代の最初の取材、これほど激しく怒られるとは思っていなかった。
「一体、あなたがたはどうしてしまったのか。『令和改元』の報道、あれは一体何ですか。大日本帝国時代にでも戻ったつもりなのか」
待ち合わせた東京・神保町の薄暗い喫茶店で、原さんは大きな目をさらにぎょろりと光らせながら、記者を待ち構えていた。静かな店内で、原さんの、押し殺した声が重く響く。
平成の終わり、令和の始まり。「令和」とプリントされたそろいのTシャツを着た若者があちこちで「改元カウントダウン」に雄たけびをあげ、動物園ではアシカに筆で「令和」と書かせ、「令和」商戦が過熱し、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)に改元を報じる新聞号外を手にした人々の写真があふれた。
「改元礼賛」あるいは「令和フィーバー」とも言える人々の熱狂のウラには何があるのか? 天皇制に詳しく、3月に象徴天皇制のあり方を考えた「平成の終焉」(岩波新書)を出したばかりの原さんの考えを聞こうとしたら開口一番、記者を激しく叱るのである。
昭和・平成の改元報道を見よ
「なぜ熱狂したかって? あのですね。テレビをはじめとする主要メディアがあおったからに決まっているじゃないですか。特に改元・代替わりの前後、NHKはじめ各テレビ局はひどかった。昭和の終わりと大違いです」
原さんは学究生活に入る前、わずかな間だが日本経済新聞の社会部記者だった過去がある。
「1987年に入社し、その年の9月に昭和天皇の病気が見つかって宮内庁担当になって。1年ほどで辞めたけど、昭和の終えんと平成の始まりはよく覚えています。あの時もメディアは大騒ぎだったが、今と中身が違う。昭和天皇の戦争責任を問うテレビ番組があったし、天皇制について左派の歴史学者、色川大吉さんと右派の評論家、故・江藤淳さんとの討論を放映したり。天皇礼賛以外の評価もある、ということを報道がきちんと示していた。今回はどうか? 礼賛一辺倒ではないですか」
改元と代替わりを前向きに評価するのはいい。ならば、平成の時代から積み残されたままの、天皇を巡る課題も報じることが報道機関の役割ではないか、という問いである。
「美談」だけで良いのか
例えば、上皇、上皇后両陛下が熱心に繰り返してきた地方訪問である。
高齢にもかかわらず、全国津々浦々に足を運び、住民に語りかける。記者も、東日本大震災後、三陸地方の仮設住宅で暮らす被災者が「陛下がウチの前に来られて、こう腰をかがめられて……」と目に涙を浮かべる姿を実際に見てきた。
「政府や国会を介さずに、地方訪問によって、天皇、皇后が国民との直接的なつながりを強めてきたのが平成という時代です。しかし、それは憲法に規定された『国事行為』に含まれない。憲法の枠を越え、こうした『公的行為』を歯止めなく拡大させてきたわけです。地方訪問のたび、厳しい警備が敷かれ、交通は規制され、市民生活に少なからぬ影響が出る。警察関係者も大変な緊張を強いられるでしょう。こうしたことをどう見るか。主要報道機関の検証はなかった、といっていい」
退位についての上皇さまの「おことば」(2016年8月8日)も「憲法を骨抜きにする恐れがある、という視点はどこに行ったのか」と重ねて問うのだ。
「憲法上、天皇に国政の権能がないのはご存じの通りです。なのに『おことば』として天皇が国民に語りかけることによって政治を動かし、退位特例法が成立した。天皇の高齢化という課題を政治が放置してきたという問題はあるが、憲法の国民主権の原則を逸脱した、という認識が、国民にもジャーナリズムにもなさ過ぎます」
海外主要メディアの直球勝負
一方で、原さんには欧米の主要な報道機関の取材が相次いだ。
「どこも、日本のメディアを見ていては分からない疑問を、率直にぶつけてくるんです。『皇室典範で、皇統は男系男子に限られる、とあるが、これは日本社会に見られる女性差別を象徴するものだ。それなのに日本の女性がなぜ黙っているのか』とか。英国の公共放送BBCも、日本のメディアが取り上げない天皇制に反対する人々の運動もきちんと取り上げています。たとえ少数意見でも、異論の存在があることを示すことが民主主義の原則だ、という考え方があるのでしょう」
英国の王室は人気があるが、笑いや風刺の対象にもなるし、メディアも王室の問題をタブーなく論じる。原さんによると、ロンドンでは、エリザベス女王そっくりの人形まで売っているらしい。「英国の王室がこうした商売に口を出すことも考えられません。これだけでも日本では考えられない光景です。日本の宮内庁? さて、どうですかね」
かつて、宮内庁から名指しでその言説を批判されたこともある原さん、すっかり苦り切っている。
皇居周辺で感じた「波風立てるな」の空気
それにしても、だ。なぜ、日本では天皇制のあり方について語ること、問題を考えることが、これほどはばかられるような空気があるのか?
「僕も主要テレビ局の知人がいますが、やはり波風を立てたくない、批判されたくない、という空気があるらしい」
昭和天皇の時代と違い、今は国民の多くが天皇や皇室を支持している。ゆえに批判は無用だと考えているのでは、と問うと原さんはこう続けた。
「それは国民の『空気』を追認するだけの、言論機関に値しない行為です。ただ……」
新天皇即位後、初の一般参賀があった4日。原さんは皇居前広場周辺の人波を見に行った。あたりの道路は通行止め。当然、車は通らない。ならば、と道路を横断しかけた原さんに、近くの警察官が「あっちの横断歩道まで回れ」と怒鳴った。
「車は通らないのに、なぜ遠くの横断歩道なのか。警官は『上にそう言われている』の一点張り。不合理なことでも黙ってろ、秩序を乱すな、波風を立てるな、と。そんな空気を、あの日の『皇居周辺』で感じたのは事実です」
報道機関の本分って
原さんが振り返る。敗戦後、占領期には皇居前広場では昼休みの勤め人が野球に興じた。一時は皇居を開放すべきかどうかも議論され、昭和天皇の時代には天皇の戦争責任も論じられた。
「それなのに、日本の報道機関は本分を忘れたのか、こと天皇や皇室の問題については、批判はもとより、議論しないことが当たり前になって……。国の形や憲法は変わっても、心の奥は今も大日本帝国臣民、と言ったら過ぎるでしょうか。『令和フィーバー』に浮かれるだけなら、報道の存在意義はない。主要メディアこそ、タブーを恐れず、象徴天皇とは一体何なのか、国民的議論を巻き起こすべきではないですか」
怒りの色は少しだけ和らいでいたけれど、今度は憂いが原さんの顔を覆うのであった。我が身を顧みればどうだっただろうか。ムードにひるんだり「空気」を読んだりして、問題を直視しなかったことはなかっただろうか。自問を続けている。