「他に選択肢はない」VS「もう一つの世界は可能だ」Another World Is Possible 

「他に選択肢はない」VS「もう一つの世界は可能だ」 Another World Is Possible

第6章 わが家を探していた一つの運動ーー反緊縮財政 2015年夏から秋

「英国だけではない。
同じような運動はヨーロッパ各国、米国などにもある。
もう長いあいだ、ふつふつと沸いている。
私たちを緊縮財政と予算削減に陥れた経済正当教義への異議だ。
同時にそれは、もっと共同体的な、みなが参加できる何かに対する渇望でもある」
ーージェレミー・コービン
・・・

コービンのコメントが示すように、反緊縮運動は、実はマーガレット・サッチャー
とロナルド・レーガンが導入した自由市場、金融を基盤にする攻撃的な形の資本主義
ーー今や新自由主義(ネオリベラリズム)という、たちの悪い名前で知られている
ものーーに反対する広範な闘いの継続にほかならなかった。
1980年代に労働運動が牽引したこの闘いは初戦で負けた。
1991年に冷戦が終結したとき、新自由主義の唱導者は完全勝利を宣言できた。
どうやら「歴史の終わり」らしかった。
それはグローバリゼーションの時代だった。
英国では1994年、労働党が、サッチャー主義の基本教義を覆すことはできない
と譲歩し、ニューレイバーになった。
本当に「他に選択肢はない」(There Is No Alternative TINA)ように見えた。

しかし、「もう一つの世界は可能だ」と主張する人々が一部にいた。
世紀の変わり目の頃、国際的なオルター・グローバリゼーション運動が誕生した。
この運動は非序列的かつ「水平」に構築されており、組織化された労働者の運動
とはまったく異なるスタイルをもっていたーーアナキスト的雰囲気で、 DIY的美学
をもち、そして快楽主義的傾向があった。
運動が盛んだった数年間、国際機関の大規模な会合で、何万人、ときには
何十万人にも上るデモの大規模動員を免れたものはほとんどなかった。
しかし、隆盛を極めていた新自由主義に立ち向かうのは至難の業だった。
エネルギーに満ち溢れていたにもかかわらず、オルター・グローバリゼーション
運動は主流政治には最小限の影響しか及ぼさず、米同時多発テロ以降、
対テロ戦争への抵抗にエネルギーが向けられるようになるにつれて後退した。

2008年の金融危機で状況は一変した。
金融危機後の時期は、左派にとって、その正しさが証明され、勢力を拡大する
時期になるはずだった。
しかし、左派にはこの機会をつかむ準備ができていなかった。
組織的なパワーも、知的な自信も欠いていた。
敗北に慣れっこになっていたのだ。
右派のほうはそうした懐疑に苛まれてはいなかった。
「右派は、2008年金融危機を、世界の金融システムと金融エリートの破綻から、
社会保障制度と福祉国家の破綻へと、ナラティブをすり替える用意ができていた」
とクライブ・ルイス議員は説明する。
束の間、パニックの中でケインズ派型の財政出動(公共投資を用いた成長の生成)
が行われた後、新自由主義のイデオロギーが、国際機関やユーロ圏、そして特に
2010年の総選挙後に保守党主導の連立政権が発足した英国政府において
再び姿を現した。
ヨーロッパ大陸は、緊縮財政の暗いトンネルの中に入り込んで行った。

オルター・グローバリゼーション運動が開発した精神と手法は、
反緊縮運動にすぐに転じられた。
2011年、非序列的左派は、新たな戦術ーー占拠ーーによって、
突然、再び注目を集めるようになった。
スペインで膨大な数の人が都市の広場を占拠した[15M運動]のを皮切りに、
この現象はギリシャへ、そしてニューヨークへと広がった。
ニューヨークでは「オキュパイ」の名称と「私たちは99%だ」
というスローガンを採用したーー人口の大部分と、
全てのリソースを抱え込むごくわずかの最上層とを区別したのだ。

この運動は若く、主に、金融崩壊への対処として採用された政策の下で最も苦しんだ
世代から成り立っていた。
政党政治制度に敵意を持っており、労働組合には無関心だった。
占拠者たちは土地を占拠することはできたが、守り続けることはできなかった
ーー文字どおり、物理的な意味でも比喩的な意味でも。
広場から物理的に排除されると、結束力の大部分は失われた。
しかし、その持続的な成果として、政治的な可能性を切り開いていた。

2012年晩春、コービンは、当時野蛮な経済実験のさなかにあった
ギリシャを訪れた。
そこで目にしたのは困窮であり、絶望であり、アテネの路上の物乞いだった。
しかし、何か新しいものが、催涙ガス以外の何かがあたりに漂っていたーー希望だ。
反緊縮運動は、一連の巨大デモーーギリシャ左派の言葉を借りれば、それぞれが
「デモ以上、革命未満」だったーーを通して方向転換させられなかった後、
自らの意志を通す方法を必死で探していた。
閉塞感の中、動き続ける運動は選挙政治に道を求めた。
運動が支援した政党シリザ[急進左派連合]ーーギリシャ・マルクス主義の伝統の
反抗的な申し子ーーは、2009年の議員選挙では得票率わずか4・6%だった。
しかし、2012年6月、得票率は27%に跳ね上がり、僅差の2位になった。
衝撃波がヨーロッパ全土に広がった。
・・・

社会民主主義が最も隆盛だったのは第二次世界大戦後の約30年間で、
ケインズ派の経済コンセンサスと密接に結びついていた時期だった。
産業界は成長を支援される一方で、その分、労働者の力の増大を受け入れなければ
ならないという暗黙の取引が成り立っていた。
労働者は自らの強い立場を活かし、社会民主主義の政府を通して、
皆保険医療制度や社会保障制度などの住民福祉を実現する。
この取り決めは、1980年代の新自由主義の勝利によって、致命的な傷を負った
ーーこれ以降、経済基盤は、産業から金融とサービスへと移行した。
労働組合は撃退され、社会民主主義を担う機関や法令がーー
なによりも福祉国家体制がーー次第に弱体化した。
これに応じて、社会民主主義政党は、より新自由主義的になった。
英国のニューレーバーはその顕著な例だが、新自由主義経済は
異議申し立てのできない事実であるという信念[”他に選択肢はない”]
は、至るところで、主だった社会民主主義政党の世界観に入り込んでいた。
・・・

緊縮財政の制約を受け入れれば、社会民主主義の最も控えめな約束
ーー中心的な公共サービスへの投資ーーを守ることさえ不可能だった。
コービンの顧問の一人が言うように、
「社会民主主義は挫折したのではなく、ただ単に存在しなくなった」
のだ。
中道左派の政治家は、支持者に対してよりも現状を維持することに忠実な、
よそよそしい技術官僚(テクノクラート)エリートにますます似てきた。
だが、従来中道左派に投票してきた人々は、緊縮財政で最大の打撃を受けた
人々の一部でもあった。
イデオロギー的に取り残された社会民主主義政党は、オルタナティブの希望を
まったく提供しなかった。
それまで投票してきた人の多くが支持を止めたのはもっともなことだった。

大半の社会民主主義政党が破綻したシステムを頑なに守る中、
反緊縮運動は、社民より左の政党に流入したり、社民の左に新党を結成したりした。
どのような形をとったかは、その国の政治的伝統に従い、違いがあった。
マルクス主義左派が第二次世界大戦およびギリシャ内戦以来の正当性をもち、
歴史的に強力なギリシャでは、反緊縮運動はシリザに本拠を見出した。
スペインは独自色の強い運動の政党ポデモスをゼロから作った。
ポデモスは2015年12月、結成から2年足らずで20%の得票を獲得した。
選挙をめぐる現象で最も驚くべきことが起きたのは米国で、
2015年から16年にかけてのバーニー・サンダースの大統領選立候補だった。
サンダーズの選挙キャンペーンは、米国の進歩的左派を復活させていた
オキュパイ運動に大きく依存していた。
・・・

英国経済の特徴はヨーロッパより米国に似ている。
大きな格差、企業トップの法外な報酬、停滞する賃金、不十分な労働者保護、
責任を逃れる金融産業、誰も手が出せない大企業などがそれだ。
・・・

わが家(ホーム)を探し求めていた反緊縮財政運動にとって、労働党は、
最後までノックしなかったドアだった。
驚いたことに、このドアには鍵がかかっていなかったばかりか、大きく開かれていた。
単純小選挙区制といえども、欧米世界を席巻していた歴史的潮流から
英国を完全に遮断することはできなかった。
・・・

労働党は昔から二つの政党が溶接されていると言われていたーー
社会民主主義政党と社会主義政党だ。
しかし1994年以来、労働党は実際には三つの政党だったーー
新自由主義政党(ブレア派とブラウン派)、社会民主主義政党、そして社会主義政党。
ニューレイバーとしてあれほど長きにわたって君臨した新自由主義派は、
2008年の金融危機によって致命的な打撃を受け、2015年には、
ヨーロッパ大陸の中道左派政党と同様、崩壊していた。
しかし、この傾向は、労働党という殻の中での動きに留まっていたため、
誰も知らなかった。
党首選を行なって初めてそれがわかった。
・・・

「・・・おそらく、総体的に反緊縮で、総体的に反戦で、総体的に人権問題への
取り組みに賛成する人々だったのだろう」とコービンのチームの一人は言う。
こうした人々が数を増すにつれて、選挙キャンペーンは独自の政治運動へと
変身していったーー「コービン運動」である。

訳者あとがき

本書は2018年1月に出版された第二版の訳である。
2016年に出版された同書初版は、万年ヒラ議員のジェレミー・コービン
が労働党党首選に挑戦し、圧倒的多数の支持を得て2015年9月に党首になる
までと、翌年6月に発生したクーデター及び再挑戦を退け、
二度目の党首選に勝利するまでがまとめられていた。

しかし、その後、2017年6月に実施された期日前総選挙で、コービン労働党は
英国の全有権者(と言っても過言ではない)の予測を覆す善戦を繰り広げて得票率
40%を達成、地滑り勝利が確実視されていたメイ保守党を過半数割れに追い込んだ。
この選挙戦の報告を追加し、全編を改訂して出版されたのが本書の原本
(第二版)である。
・・・

英国政界は明日のこともわからないほど流動的である。
しかし緊縮財政の悪影響は文字どおり人の生命を脅かすところまで来ており、
平均余命が下降し始めている。
英国には抜本的な社会改革が必要であり、労働党の綱領がきっと指針になるだろう。
コービン労働党に対する攻撃が弱まる気配はないが、視線を外に向けると
確実に変化が起きている。
英語圏では、若いソーシャリストを首相に選んだニュージーランドに続き、
今年はオーストラリアにも労働党政権が戻って来ると予測されている。
米国でも若いソーシャリストたちが議会を席巻している。
こうした政治の声は、マスメディアのフィルターを通すことなく、
ソーシャルメディアのプラットフォームを介して時差なく英国の有権者に伝わる。
左から追い風が吹いている。
・・・
     2019年3月初旬  訳者を代表して 藤澤みどり

(候補者ジェレミー・コービン「反貧困」から首相への道 岩波書店、2019)

MLホームページ: https://www.freeml.com/uniting-peace

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