同日選に反対する=与良正男
安倍晋三首相が経団連総会で、強まる一方の衆院解散風に触れて「風というのは気まぐれで、誰かがコントロールできるものではない」と軽口をたたいたそうだ。
首相自らの判断でどうにでもなる衆院の解散を冗談めかして語り、会場の笑いを取ろうとする姿勢にうんざりするが、私たちマスコミの政治報道も近ごろは、ほぼ「衆参同日選はあるのか」一色で風をあおっているようなものだ。あまり大きな顔はできない。
私が首相の軽さ以上に疑問を抱くのは、そもそも同日選の当否について与野党からほとんど議論が聞こえないことだ。
参院は衆院の足りない点を補い、行き過ぎを防ぐ役割が求められているはずだ。2院の役割分担という観点から見て別々に選挙をするのが本来の姿だ。
同日選は過去2度例がある。ただし当時衆院は中選挙区制の時代で、衆院の投票は1票で済んだ。衆院に小選挙区比例代表並立制が導入された現在は衆院も2票。仮に同日選となれば、似ているようで微妙に違う複雑な計4票の投票を有権者に強いることになる。
そんな異例の同日選まで行って国民の信を問う緊急性があるのか--。先週、毎日新聞の社説で指摘した通りだ。実際にはこの先、景気の後退等々、いいことはなさそうだから、今解散するのが政権には得だという以外に解散する理由は見つからないのだ。
イタリアは上下院とも解散できて同日選が基本だ。日本でもかつてあったように、別の時期に選挙をして両院の与野党構成がねじれると物事が決まらなくなるというのが理由の一つという。だが、その結果「ならばいっそ1院制にした方がいい」「上院の権限を減らせ」との議論が再三起きていることも知っておいた方がいい。
自民党の参院側に「衆院選との相乗効果で自分に有利になりそうだから」を理由に同日選を待望する声が出ているのが私には信じられない。同日選は参院不要論につながる自殺行為に等しいことになぜ気づかないのだろう。
衆院選は有権者が政権を選択する選挙であり、参院選は次の衆院選前に政権の現状を有権者が評価する中間選挙だとも言われ始めている。参院選は単独で行い、安倍政権の実績を冷静に評価すると同時に、参院のあり方を各党が議論する選挙とした方が、国民にはよほど有益だ。(専門編集委員)