スパイ事件捏造を謝罪 文大統領、在日韓国人に初めて

スパイ事件捏造を謝罪 文大統領、在日韓国人に初めて

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★共同通信 6/27(木) 21:28配信
スパイ事件捏造を謝罪 文大統領、在日韓国人に初めて
 韓国の文在寅大統領は27日、大阪市内で在日韓国人らと懇談し、韓国の軍事独裁政権時代に多数の在日韓国人が公安機関の拷問捜査で「北朝鮮のスパイ」にでっち上げられた被害に言及し「独裁権力の暴力に深く傷ついた被害者たちと家族に、大統領として国家を代表して心から謝罪する」と述べた。韓国大統領が在日韓国人の事件捏造被害で謝罪するのは初めて。
  韓国では1987年の民主化まで独裁政権期に公安機関が留学や商用で韓国へ渡った在日韓国人をスパイとして摘発する事件が頻発した。当時救援運動を行った市民団体の集計では少なくとも160人が摘発された。
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「韓国では~公安機関が留学や商用で韓国へ渡った在日韓国人をスパイとして摘発する事件が頻発した」
・・・・韓国の公安機関がケシカラン、というレベルで終わっていますね。
当時、日本の公安(外事課)が民主化を求める在日韓国人をつけ回し(監視し)、KCIAにせっせと情報を与えていたのは常識でした。
さらに、情報を与えるだけでなく、日本でのKCIAの活動に加担していました。
「証拠」を提示はできませんが、金大中氏の拉致事件でも、日本の公安(外事課)が手を貸したのは間違いありません。
日本の公安というのがどんなものか、という観点でここにも投稿したいと思いました。
1970年代に、間接も間接、遠くからしかないけど、「在日」社会に接点をもっていた私としては、そして今も公安の監視対象になっている(ことが明確になった)私としては、ひと言言わないではいられない。
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近藤 ゆり子 k-yuriko@octn.jp
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ゆりこさん、
このように、一見些細なように見えることについて、
正確につたえてくださって、ありがとう。
日本国のジャーナリズムではこの種の報道は、たぶん、なされないでしょう。
文大頭領に関しては、人気がおちているといった報道だけがとくとくとなされています。
韓国という名の土地全体がどこかアヤシゲな風土ででもあるかのような空気がかもしだされています。
わたしは、日本のジャーナリズムの動向を注視しているわけではないので、
正確に判断できるとはかぎたないけれど、
国外=他国内でくらしている同胞にかつて加えられた自国の公安警察権力の暴虐行為について、
一国の大統領が真摯にその事実を認め謝罪するといった行為が、
この日本国のような国家体制のもとで、ありえるのか、とおもったら、
文大頭領のこの行為には、感嘆しないわけにいかない、と同時に、
このような政治家がいるということ、その政治家を大頭領に選びうるピープル(ひとびと)が
存在しえているということ、そのこと自体に、羨望にちかいおもいをいだきます。
日本国にくらしているひとびとは、韓国という名の国家にくらしているひとびとを、
どこかで、軽んじている、いえ、蔑視しているようですが、
「民度」というのが、民衆の政治的高さをあらわす語であるなら、
韓国民衆の「民度」は日本国にくらす、とりわけ民族的に日本人である民衆の民度より、
はるかに高い、と感じないわけにはいきません。
日本国にくらす「日本人」のピープル(ひとびと)には、自力で、それも非暴力的な民衆運動によって、
政権をたおした、といった経験が、いまだに、ない。
韓国にくらすピープル(ひとびと)には、ある。
このちがいは大きい。
 ひこ
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ひこ様
5月の終わり、3泊4日で「三・一独立運動100年スタディツァー」に参加しました。
在日で、日本で積極的に朝鮮半島の統一と韓国の民主化の運動をされてきたHさんが詳細に企画されたツァーで、普通のスタディツァーの3回分くらいの濃密さでした。
それでなくてもびっしりと予定が入っている中での3泊4日で、いまだに撮った写真をちゃんと見たり、持ち帰った資料に目を通す時間もない有様です。
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日本国にくらす「日本人」のピープル(ひとびと)には、自力で、それも非暴力的な
民衆運動によって、政権をたおした、といった経験が、いまだに、ない。
韓国にくらすピープル(ひとびと)には、ある。
このちがいは大きい。
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当然のことながら、韓国の方々は「安重根の義挙~三・一独立運動~1945年に分断されて以後の独裁政権との闘い・民主化闘争」を一連のものとして捉えています。
日本の市民運動の中には「キャンドル革命は非暴力だから素晴らしい」と、激しい衝突がなく怪我人が出なかったことを強調して評価する向きもありますが、民主化運動を続けてきた韓国の当事者は(特に何も言わないけど)その見方には冷淡です。
朴正煕時代以前のことをおくとしても、「光州事件があり、その後の闘いがあって、今度のキャンドル革命がある」と一続きに考えています。
光州抗争件では、最後には覚悟した市民が武器庫から銃を奪って市庁舎に籠もりました。
その光州の闘いを「あれは非暴力ではなかったから云々」と低く評価する(韓国の)民主化闘争の担い手には、私はお目にかかったことがありません。
安重根は間違いなく(朝鮮半島北部を含めて)「朝鮮民族の英雄」です-「伊藤博文暗殺実行犯・テロリスト」という日本の評価とはまるで違います。
「人は必ず間違いを犯す、人によって成り立つ組織は必ず間違いを犯す、国家もまた(国家は一層、というべきかも)必ず間違いを犯す。ゆえに『殺すな』はもちろん『殺さしめるな』。どんな場合でも絶対に『人を殺せ』と命令してはならない」と私は考えています。
軍隊は(自衛隊という名であろうと)否定します、死刑制度も否定します。
「武装闘争で権力を転覆する」ことも否定します。
その上で、歴史的に人々がなしてきた「流血の抵抗」をどうみるべきか、常に考えてしまっています。
(2017年にベトナムに行ったときも考えさせられました)
添付の写真、1177、1227は「西大門刑務所跡」です。
日帝時代に日本が作り、独立運動を徹底的に弾圧する装置として機能した。
その後は、韓国軍事独裁政権が民主化闘争を抑圧する装置として使った。
1227のポプラの木は「嘆きのポプラ」と呼ばれているそうです-死刑囚として長く投獄され、最近になってようやく再審無罪を勝ち取った在日の方がおっしゃっていました。
木の左下に見える塀の中が死刑執行場です。
この「西大門刑務所跡」は、今は人々が見学できるように整備され、建物の中は歴史博物館のようになっています。
私(たち)が訪れたのは日曜日で、たくさんの家族連れ、カップル、中学生や高校生のグループが来ていました(1カ所の写真をとるために、かなり待たねばならないほどにたくさん)。
むごたらしい記憶に目を背けることなく、子どものときから見続けて大人になっていく・・・・いろいろな意味で日本とは「かなり違う」市民が育っていくでしょう。
1281、1293は、元「南営洞・対共分室」です。
1987抗争の直接のきっかけとなった朴鐘哲さんの拷問死の現場です。
映画『1987、ある闘いの真実』で有名になりました。
私はその前に「南営洞 1985」という映画で、この建物のことや”拷問技術者”のことを知りました。
この「南営洞 1985」の日本での上映会を開催したのは
在日韓国良心囚同友会
です。
多くの場合、沈黙を強いられてきた捏造事件被害者に働きかけて,再審請求を重ねてきています。
ほとんどは”在日韓国良心囚”の方々とそれを支える”同胞”の方々の力で成し遂げて来られましたが、ずっとカゲで支え続けている日本人も幾らかはおられることは、わずかながら救いです。

4 Attachments

IMG_1281.JPG
IMG_1177.JPG
IMG_1227.JPG
IMG_1293.JPG
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ゆりこさん、みなさん、
ゆりこさん、
《日本の市民運動の中には「キャンドル革命は非暴力だから素晴らしい」と、激しい衝突がなく怪我人が出なかったことを強調して評価する向きもありますが、民主化運動を続けてきた韓国の当事者は(特に何も言わないけど)その見方には冷淡です。》
わたしの言いかたが、もし、そういうふうにきこえたなら、言いなおさなければなりません。
暴力行使がなかった=非暴力だったから、すばらしいのでは、けっしてなく、
あのデモが、治安当局の弾圧を無効にするほどのもりあがりをみせたから、
政権をたおしえたのだ、と、わたしは考えています。
しかし、ゆりこさんがしてきされているように、この列島の市民運動のなかに、
「非暴力」という表面(あついは結果)だけで判断するかたむきがあることは事実ですね。
ゆりこさんにはいまさら言うまでもないことですが、みなさんのなかで、もしも、
暴力行使か非暴力かなどと区別して考えるひとがいたとしたら、
とんでもない理解のしかたであるのだということを、もういちど考えてほしい。
カンジンカナメのことは、この日本列島にくらしてきた、民族的にヤマト民族に属する「日本人」の
民衆には、抵抗運動の民族的経験がなかったとはけっして言えないのだけれど、
とりわけ、この150年におよぶ近過去の歴史にあっては、
ついに一度も、暴力行使によてであれ非暴力的運動の結果としてであれ、
自分たちの力で権力を打倒したという民族的経験をもちえていないという事実の重みです。
この150年のあいだに、アフリカや南北アメリカ、アフリカなどにおける民衆の動きには触れずに、
東アジアでという地域だけに眼をむけてみても、ロシアの民衆、中国の民衆、台湾の民衆、朝鮮の民衆、
ベトナムやラオスやカンボジアやインドネシア、マレーシア、フィリピンの民衆、などなど、
アジアの諸地域における民衆のいずれもが、ながい、つらい、挫折の連続をのりこえて、
あるたしかな結果を手に入れたという民族的経験をもっています。
ひとりヤマト民族だけが、そういった民族的経験をもちえないでいる。
(琉球民族だけは、しかし、いま、まさにこの民族的経験をかちろろうとしているが。)
わたし自身も、いまでは、革命における暴力行使は否定しています。
しかし、これまでのこの地球上でなしとげられた根本的政治変革=革命を、
暴力行使のゆえに否定してしまったなら、
わたし自身も人類の貴重な精神的遺産を喪ってしますでしょう。
それに、そのとき、そのところでのピープルが暴力を行使したことを非難しうる資格が、このわたしにはあるだろうか?
そう、みずから、みずからに問うてみよう。
韓国のピープルが「安重根の義挙~三・一独立運動~1945年に分断されて以後の独裁政権との闘い・
民主化闘争」を一連のものとして捉えてい」るこにとは、歴史的にも精神的にも完璧な正当性があります。
わたし自身は、もっとさかのぼって「東学党の乱」と言われている農民蜂起をもくわえたい(「乱」とは
権力側の立場からの名づけです、つねに)。
《光州抗争件では、最後には覚悟した市民が武器庫から銃を奪って市庁舎に籠もりました。
その光州の闘いを「あれは非暴力ではなかったから云々」と低く評価する(韓国の)民主化闘争の担い手には、
私はお目にかかったことがありません。》
そうでなかったら、民衆の抵抗運動とはなにかを真摯に考えているとは言えない。
「済州島4.3事件」(1947.3.1~1959.9.11)について、
「なぜ書きつづけてきたか」と「なぜ沈黙してきたか」を46年後に語りあった
金時鐘(キム・シジョン)と金石範(キム・ソッポム)との対談を
もしお読みになる機会がえられたら、読んでみていただきたい
(『なぜ、書きつづけてきたか、なぜ沈黙してきたか――済州島四・三事件の記憶と文学』、平凡社、2001.11/15)。
カンジンカナメのことを、もし、亡失しておられるようだったら、ここで、あらてめて、おもいおこしてほしい。
ピープルが権力に対する抵抗運動・反権力闘争をおこなうばあいには、つねに、かならず、
いのちをかけているのだってことです。
暴力を行使して、ひとびと(ピーピル)のねがいを圧殺するのは、まぎれもなく、権力の側です。
ひとびと(ピープル)の側が、それにしかたよれなくなったときに、やむをえずもちいるのが「反対暴力」です。
暴力行使か非暴力かは、そのときその場での状況によってどうにでもかわりうる。
その覚悟があってこそ、はじめて、非暴力の闘争をなしうるのだってこと。
ただし、このいま、わたしをふくめて、暴力をつかってでも革命をなしとげようと志向するひとがいないのは、
ゆりこさんがつぎのように語っておられることと無縁ではありません。
《「人は必ず間違いを犯す、人によって成り立つ組織は必ず間違いを犯す、国家もまた(国家は一層、というべきかも)必ず間違いを犯す。ゆえに『殺すな』はもちろん『殺さしめるな』。どんな場合でも絶対に『人を殺せ』と命令してはならない」と私は考えています。
軍隊は(自衛隊という名であろうと)否定します、死刑制度も否定します。
「武装闘争で権力を転覆する」ことも否定します。
その上で、歴史的に人々がなしてきた「流血の抵抗」をどうみるべきか、常に考えてしまっています。》
わたし自身は、レーニンの党が主導した革命も、毛沢東の軍がなしとげた革命も、
そののち、どのようにみじめな変貌をとげるにいたってしまったか、
その原因はどこ胚胎されていたのかを、
痛切なおもいで考えようとしています。
いまのところ、わたしだけの主観的なおもいにすぎないのですが、
その原因を、わたしは「国家」を建設したところに求めています。
「国家」と言ったとき想定しているのは、フランス革命以後の「近代国家」です。
ブルジョアジーの支配をくつがえしてプロレタリアートが国家の支配者となったとしても、
その「国家」のありよう・しくみは革新しえていない。
だから、「官僚主義」を克服することは、ついに、できなかった。
一党独裁や個人崇拝は、その結果であって、原因ではない。
「近代国家」の命運は、もはや、つきていると、わたしは考えています。
「国家」にかわりうる、ほんとうにひとびと(ピープル)の感じかたや考えかたが、
じかに、「政治」に力をおよぼすことができるような、
そういう、言葉本来の意味での民主主義的な政治の形態を、もし実現しえたなら、つまり、
各個人が、各個人なりに、自分のあたまとからだで考えて、
決定し、そのれを、各個人のからだで実践しうる、
そういう条件を、社会的に実現しうるときが、もしきたら……
いまのところ夢想にすぎませんが。
政治とは、もともと全人間的行為であるはずであり、あるべきです。
このことばくらい、いま、へどろにまみれて、かがやきをうしなっている概念はない。
ひこ
国家によって創設され、国家目的にしたがって、ひとを殺すことを目的とした組織です。
いかに効率よく「敵=的」を殺せるか、その方法手段に特化された組織です。
死刑制度は国家による殺人です。
(2017年にベトナムに行ったときも考えさせられました)
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ひこ様
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暴力行使がなかった=非暴力だったから、すばらしいのでは、けっしてなく、
あのデモが、治安当局の弾圧を無効にするほどのもりあがりをみせたから、
政権をたおしえたのだ、と、わたしは考えています。
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ひこ様が言いたかったのはそういうことだ(圧倒的な民衆の力は権力側の暴力を無効化する)とはわかっていましたが、ひこ様の文章を読まれる方は¥の中には「誤解」される方もおられるかもしれないと思い、書きました。
今回の三・一独立運動100年スタディツァーでは、東学農民革命記念館にも行きました。
朝鮮半島の方々は「一続き」として考えておられます。
私がそこに言及し損ねたのは、やはり私も直接的な「日本」との関わり(東学農民革命が直接的に「対日本への蜂起」かどうか)の眼鏡でみてしまう、という意味で、コロニアリズムの残滓から逃れられていないようです。
おっしゃる通り、
《「近代国家」の命運は、もはや、つきている》
と私も感じます。
でも私の残る寿命では、「近代国家」の次にあるべきものは見えてこないだろうと予感します。
そうはいっても、次世代の人が「次にあるべきもの」の萌芽を掴むなにかしらを残したいという希望は捨てていません。
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