ラジオ関西 時間です!林編集長(2019/8/15) 矢野宏、米倉澄子、敗戦の日、戦争体験、空襲被害訴訟を語る&ゴールデンラジオ 半藤一利 東京大空襲の絵本を語る

ラジオ関西 時間です!林編集長(2019/8/15) 矢野宏、米倉澄子、敗戦の日、戦争体験、空襲被害訴訟を語る&ゴールデンラジオ 半藤一利 東京大空襲の絵本を語る

 

 永岡です、ラジオ関西の、時間です!林編集長、本日のコメンテイターは酒を愛し弱所に寄り添う、新聞うずみ火代表のジャーナリストの矢野宏さんでした。アシスタントは津田明日香さんでした。

 

 大竹まことゴールデンラジオ、大竹メインディッシュは作家の半藤一利さんでした。パートナーは光浦靖子さんでした。木曜日に初登場、テーマはもちろん戦争、日本のいちばん長い日など書かれて、今回は絵本、焼けあとのちかい(http://www.otsukishoten.co.jp/book/b457291.html  )、話せば長いが、活字人間で絵本と縁なし、30年前に女子大で非常勤講師、授業の終わりにアンケートを取り、太平洋戦争で日本と戦争しなかった国のもので、アメリカを指した学生は50人中13人!おちょくりではない、本気であり、どちらが勝ったというのが30年前!これは由々しきことと思い、しかしヒットラーに質問したら、50人中48人は独裁者、アウシュビッツを知る、日本の太平洋戦争を知らずヒットラーを知るのはなぜか?学生は漫画、映画でヒットラーを見た、シンドラーのリスト、手塚治虫さんのアドルフに捧ぐ、アンネの日記であり、ヒットラーは知っていても、太平洋戦争を知らず、活字ではなく映像で歴史を知るとわかり、映像を見直して、日本のいちばん長い日も映画化して、絵本に縁はなく、大月書店の編集者の提案でやり、絵本は絵により異なり、塚本さんがやる、この方の母親は戦争体験者、3/10の東京大空襲の絵本を出して、それを半藤さんご存知でOKを出して、絵本は完成を楽しみにして、大竹さん、あたりが真っ赤になるのに衝撃的、半藤さん、塚本さんはコンピューターではなく手で描いて、空襲の描写も見事で、絵本ができて、絵には色々な人に理解してもらう力がある、空襲の具体的なものを知れて、活字にない意味があり、観た方は東京大空襲の悲惨さを知る。 

 大竹さん、近代史を光浦さんも併せて試験に出ないので学ばないと説かれて、半藤さん、先生が習っていないので教えられない、半藤さん自身で教壇には立てず、大竹さん、出版社の提案でも74年たち、理由を問われて、半藤さん、世の中がきな臭い、戦争はスマホやゲームで見るものではない、たくさんの人が死んだと言っても響かず、しかし今でも遅くない。

 大竹さん、絵につけた注文を問われて、たみちゃんのスカートを上げて、半藤さん、ピカピカのものではなく、悪ガキの着るようなもの、当時はモンペ、模様は任せて、いくつか注文はあり、防空壕は悲惨で、30cm掘ると水が出るゼロメートル地帯で、土を埋めて柱を立てて、単なるカモフラージュ、役に立たず、かまくらのようないいものではない、防空壕は命令で作っただけ、誰も入らない、空襲で防空壕に入り一家全滅も少なくない。B29も大きい、半藤さんの最高傑作、大竹さん、子供たちに読みやすい、半藤さん、読んで涙の出た人もいる、たみちゃんはおもちゃの戦車を半藤さんに届けて、向島の生まれの小学生は出たら勤労、上の学校に行くのはクラスで数人、働きに出た人も、東京大空襲、戦後、たみちゃんは死んだと知り、3/10には知ることができず、同級生、享年14歳。

 伊東四朗さんも対談、伊東さんも同級生がなくなり、3/10の空襲以前に亡くなり、大竹さん、兵士ではない庶民が殺された、最初は兵器工場が攻撃→無差別爆撃、半藤さんも民家はやられないと思い、しかし3/10に下町が大空襲で焼き殺されて、半藤さん起きた時は一面火の海、浅草などが焼けて、小松川などはやられず、半藤さんのところは北、そこもやられて逃げ場なし、焼夷弾で焼き殺されて、無差別爆撃は、アメリカでは民家で軍事物資を作っているというものの、もちろん国際法違反。

 半藤さん、父親と二人だけ、何も持って逃げるな、手ぶらで逃げろであり、半藤さんそれを聞いても、周りの人は火を消していて、彼らを見殺しにできず、半藤さんも火を消して、そして避難は荒川の土手に行く力はなく、2年上の女学生が助けてくれて、当時とっていた面子、相撲のものは離すまいとして、くだらないが切ない、しかしそれも無くした、背中に火がついて、かちかち山のたぬき、全部脱がないと助からず、当時は寒く、しかし脱いで、全部無くした…最後は中川、隅田川とどちらに行くか、中川だと泳ぐのに有利で、隅田川に行った人たちは亡くなり、背中に火がつかなかったら、荷物を捨てずに川に落ちた可能性があり、川は1.5mの深さでも立てず溺れる、川は大変で、長靴も脱げて、死に物狂い。半藤さんは何度も死にそうになり、単に運がよく助かり、夜でも見えるくらい空襲の火の勢いは大変。

 絵本、最後のページ、戦争だけは絶対にやってはいけない、半藤さんは絶対にいう言葉は使わない、絶対に日本は正しい、絶対に神風が吹く、絶対に焼夷弾は消せるetcで310万人犬死、しかし編集者はここだけは使ってほしい、この本は、この言葉で戦争は絶対にやってはいけない、「戦争は天から降ってくるものではなく、人間の始めるもので人間の手により止められる」と締めくくられました、以上、半藤さんのお話でした。明日はこの番組、ラジオジャーナリズム界の首位打者、青木理さんが出られます。

 

 そして、ラジオ関西、台風、15時現在神戸はそれほどの被害はないですが、淡路町は大雨、JRの計画運休のことをご存知ない観光客もいて、書き起こしは敗戦の日についてやります。神戸地方気象台の方のお話で、台風はこれから長時間要注意、雨のピークは神戸だと夜遅く~明け方であり、土砂災害には要注意です。

 敗戦の日、神戸の戦争体験者、米倉澄子さんが出られました。矢野さんとは旧知の仲で、戦争で神戸市内→淡路島に避難されて、生まれは神戸市灘区、1935年生まれ、敗戦時に9歳、戦争の始まる前はそれほどひどくなく、豊かで、真珠湾攻撃の際にバンザイ、しかし日本は中国と戦争中、それもBORO負け、しかし米倉さん国民学校に入ると、一億火の玉、欲しがりません勝つまでは、の軍国教育、小国民の教育、君たちはこの国を背負う国民=お国のために死ね、それを受け入れて、世の中はみんなそうであり、勝つはずが疎開であり、周りで子供たちは疎開の空気、米倉さん、小さい子供だから疎開、しかし、いずれこの国を背負う子供たちを守るため、空襲はまだ、疎開は1944/9、それまで何度か防空壕に入り、空襲警報のサイレンは聞いて、神戸大空襲はまだ。

 疎開はまず、淡路島の佐野、洲本の手前、海の向こうに神戸が見えて、すぐ近いと思うのに帰れず、淡路では、学童疎開は飢えとしらみとの闘い、しかし銭湯があり週に2,3回いけて、しらみは淡路島ではなく、しかし食べ物なし、海のワカメを食べて、当時塩分欠乏、家に塩を送ってくれと手紙を書いて、雑炊に入れて食べて、それで体は暖かくなり、1945/5に淡路島→出石に行く、当時の神戸市内はB29がしょっちゅう飛んできて、防空壕に入ることになり、六甲道→三ノ宮駅から疎開、荏原からトラックでお寺、女性18人、男性25人くらい、国民学校の生徒、周りは山、米倉さん神戸で海と山を見て、出石は山ばかり、女の子は泣くしかなく先生に怒られて、高い山があり、それが六甲山に似て、あの山を越えたら神戸だという感覚があり、男の子がそれで山を越えようとして、もちろん失敗、米倉さんも悲しい。

 出石は食べるものなし、女の子は畑で菜っ葉を取り、すると大根が出てきて、黙って食べて、農家には大変、イナゴを蛋白質、男の子はそれを生で食べて、豆があり、中に白い汁、それを牛乳と思い飲み、農家の納屋から男の子か種芋を奪い、それはさすがに抗議されて、先生は生徒3人くらい連れて謝ったものの、誰がとったか言わず、一晩中誰がやったか言うまで眠れず、男の子は脱走して、荏原の駅に行き、線路をたどり神戸に帰ろうとして、全員還された悲しい出来事、先生と生徒の絆ができても大変。

 出石で敗戦、8/15はいつもそれを思い出す、先生は学校でラジオにて玉音放送を聞いて、米倉さん、神風が吹いて勝つと信じて、しかしこれで神戸に帰れるとバンザイ、神戸に帰れたのは10月、その間さらに食べ物がなく、戦後の方が食べ物がなく、敗戦74年、戦争体験を米倉さん、今の時代と重ね合わせて、今は食べ物もあるものの、戦争当時のことを思い、感謝して食べている、子供は大きくなっても、子供にはいつも疎開、食べ物のことを話していた、戦争は人と人の殺し合い、絶対にあってはならない、自分の命を守るために人を殺さないといけない、米倉さんの叔父はボルネオで戦死、命はつながり、人の命を殺める、自分の命を絶つのはダメ、これを子供たちに伝えたい、生きたくても生きられない命がある、矢野さんは戦争体験を直接聞ける最後の世代と説かれました、以上、米倉さんのお話でした。

 今日の神戸新聞、特攻機の護衛を務めたパイロットの方の証言がありました、https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/201908/0012608989.shtml また、敗戦の日について、神戸新聞の社説にいいものもありました、https://www.kobe-np.co.jp/column/shasetsu/201908/0012608349.shtml 

 戦没者追悼式には、神戸からも子供の世代が参加、神戸新聞に記事がありました、妹さんは私の中学の後輩です、https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/201908/0012610033.shtml 正平調(朝日新聞の天声人語に当たるもの)も戦争です、https://www.kobe-np.co.jp/column/seihei/201908/0012608355.shtml 

 

 矢野さん、今日のトピックス、敗戦の日で、矢野さんのライフワークの取材、民間の空襲被害者の補償問題のことを語られました。

 空襲で肉親を失い孤児になった人たち、障害を負った人たちに補償はなく、国の始めた戦争であり、民間人でも空襲被害者は戦争中は補償するとしていたのに、戦後なくなり、軍人軍属には救済法がサンフランシスコ講和条約でできて、2兆円補償、広島・長崎の被爆者、残留孤児には不十分でも補償して、なぜ民間の空襲被害者は救済しないか、国は受忍論、戦争は我慢しろであり、しかし軍人は救済して、これは差別であり、憲法14条の、法の下の平等があり、空襲被害者が2008年に訴訟を大阪で始めて、声を上げても国会で廃案にされて、しかし戦争は我慢しろ=また国は戦争をすると、当時5歳の方も立ち上がり、敗訴したが、裁判の意味はあり、判決の中で国策の誤り、防空法、空襲で逃げるな火を消せ、大変な刑事罰のある法律で無数の人たちが犬死させられて、そして司法ではなく国会で救済しろになり、空襲被害者の救済法案、超党派でできて、しかし問題はこの案だと障害を持った人に一律50万渡す+国の謝罪なしは空襲被害者は納得せず、空襲で親を亡くした、家をなくした、今空襲被害者80歳の人たちが街頭に立ち、しかしビラをもらう人も少ない、これは大問題と矢野さん説かれて、林さん、74年前に日本でも殺し合いがあった、今も世界で戦争のあることと説かれました。

 敗戦記念日、天皇が戦争の惨禍を繰り返さないように、しかしでんでん総理はアジア諸国への加害責任を述べず、矢野さん、戦争には加害と被害、日本人は310万殺されて、しかしアジアで2000万人殺した面があると説かれて、遺族の高齢化、遺族代表は77歳、英霊の遺骨帰還と言い、矢野さん、310万の犠牲者のうち320万人は兵士、しかし6割は餓死or病死、このことを忘れてはいけない、林さん、もはや戦後ではないと言った政治家がいたが、戦争のない時代をどこまで続けられるか、それは我々の世代の責任、矢野さん、戦争体験者は戦前に向かっていると語り、日本を戦争のできる国にしてはいけない、林さん、8月は戦争の展示があり、戦災記念資料室、JR兵庫駅の南側、図書館に神戸空襲を記録する会の提供した写真などがあり、空襲で焼けた木、召集令状、戦時中の道具、器、当時のおもちゃなどあり、つらいが死亡届け、家が燃えた罹災証明もあり、小さいところに神戸空襲の記録品があり、林さん、そこに生活があった、配給手帳、食料だけでなく衣服もそうで、あまり注目されず、身近なところに目を向けてほしい、矢野さん、文字で読むものと、物の訴える力の強さを説かれました、また、韓国の文大統領の発言があり、矢野さん、輸出禁輸で報復合戦でも文大統領は抑制が聞いてこれはいい、安倍政権はいつまで被害を言うかとするが、足を踏まれた方は忘れない、加害者としての日本の立場を知れと説かれました、以上、矢野さんのお話でした。

 

 

 

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