日本政府は「平和の少女像」のをなぜ恐れているのか

日本政府は「平和の少女像」のをなぜ恐れているのか

転送いしがき

「慰安婦」問題について考える

日本政府要人はどうして「平和の少女像」を

恐れているのでしょうか。

 

一部紹介

  •  山田盟子『慰安婦たちの太平洋戦争』)
  •  作家田村泰次郎の作品に『蝗』
  •  朝日新聞のジャーナリストだった故松井やよりさん

 

埼玉県 生井 弘明

 

 

慰安婦問題ついて考える

 

「いいかね、あんたたち、男を喜ばせるためにあるんで、自分がよろこぶために、あんなことをするんじゃないから、それだけは忘れてしまってはいけないよ。いまはただ苦しくて痛いだけで、ちっともうれしくも楽しくもないだろうけど、そのうちにちょっと楽しい思いが、体のおくの方にでてくる。

このときの楽しさにおぼれてしまって、本気になって男を相手にするようになると、大変だよ。体がつかれて、すぐ病気になってしまうからね。だから、それだけはないように気をつけるんだよ」

兵用備品の5人の朝鮮娘が,京城から北支へ運ばれ、京城で編成された第五独立混成旅団の従軍慰安婦として、将校相手に3日間も交接の特訓をうけ、監視されながら、最後尾の貨車に詰め込まれた時、受けた注意である。

彼女たちは、3日間3,4人の将校たちから入れかわりたちかわりいどまれ、食事と休む以外はひっきりなしにつづけられた。彼女たちの局部は腫れ上がり、熱くなった。洗面所でタオルで冷やしたくらいで、おさまりはつかない彼女たちに、「これが一番いい教育じゃ」と将校が言った。

彼女たちは旅団の共同便所になり、何千の男根に耐えられるように特訓されたのである。(山田盟子『慰安婦たちの太平洋戦争』)

慰安婦.jpg

米軍に保護された沖縄の慰安婦

 

日本軍が占領した東南アジアでも、捕虜になったオランダ人の女性を慰安婦として利用し記録がある。当時の日本人には、白人コンプッレックスがあり、その白人を慰安婦にした日本人の優越感は、並大抵のものではなかったろう。

男性は徴兵制度が適用されて兵士になり、女性は挺身隊と言う名のもとに、日本軍の慰安         婦になったものが多かった。

この文章の中で「兵用備品」という言葉がでてくる。つまり慰安婦は人間でなく「物」「道具」扱いなのだ。だから死亡しても、人間扱いされない。恐らく破損,廃棄という言葉がまかり通ったのではないだろうか。使うだけ使って、壊れれば廃棄処分で、一件落着というのが、戦時日本人の考え方だった。

日本の軍隊は、絶対服従、上命下達の社会である。内務班内の初年兵に対する古年兵の仕打ちは映画『真空地帯』でよく知られているが、その懐柔策として「慰安婦」制度があったということもいわれている。

オランダ人慰安婦.jpg

慰安婦にされたオランダ人女性の提訴[1884,1,24(朝日新聞)

中國にも慰安所が設置された。中国人女性を

強制的に慰安婦として連れて歩き、作家田村泰次郎の作品に『蝗』というのがあるが、日本兵の行軍が非常に疲れるため、先頭に全裸の中国人女性を歩かせ、「この女とやりたかったら、休まず歩け」という指揮官の命令に兵隊たちはただ黙々と歩いて行く。

うろ覚えだが、途中でその娘の母親が娘を取り戻すために走り寄って来たのを見た兵士が、母親を土手の下に突き落とし、上から何個も石をぶつけて、頭を粉々にしたという作品だったと思う。指揮官はだまってそれを見ていた。この話は作家田村泰次郎が実際に見た話として、これを読んだ歴史学者の家永三郎氏が確認している。

慰安婦は、単に慰安所だけでなく、行く先々で農家に押し入り、食料を強奪した挙句、女性を強姦することがしばしば見られた。そのため、中国人の反感を受け、これを回避するため慰安所をもうけたという話もある。

朝鮮人慰安婦がいる所は「朝鮮ピー屋」略して「ピー屋」と呼ばれ、これは軍の管理下に置かれていた。中には管理規則がかかれ、アンペラで仕切られた狭い部屋でせいぜい一人10分か15分位の時間で交代した。料金は日本軍内だけで通用する軍票とよばれる通貨がつかわれ、敗戦と同時に無価値になり、戦後沖縄では軍票をたくさん持っていた慰安婦たちが、紙屑同然の軍票をにぎって、狂ったようにどうしてくれると叫んでいたという話を耳にしたこともある。

又、慰安婦は朝鮮や中国だけでなく、当時破竹の勢いで東南アジアを占領した日本軍がオランダ人女性を慰安婦にして、その人権を踏みにじった記録も残されている。

戦後は、経済進出に伴い、タイなどに類似した施設を作り、日本から商社マンが出張すると、現地駐在の社員の案内でそこに遊びに行くという話が本になったこともある。また、新聞にもこのことが掲載された。朝日新聞のジャーナリストだった故松井やよりさんは仕事でフィリピンのマニラのホテルに滞在中、ロビーに大勢の若い女性が集まり、そこに大型バスが到着、大勢の日本人男性が降りて来ると、すかさず待っていた女性たちと手を組んで部屋に入って行った。それを見た松井さんは大声で「売春観光ですか!」と叫んだという。

買春旅行.jpg

当時の厚生省のエイズ予防ポスター(パスポートで目を隠している;91,12,6)

(朝日新聞)

翌朝は、また大勢の若い女性に見送られて、ひきあげていったと講演で話したのを聞いたことがある。慰安婦問題は、敗戦

によっいぇ終わったのではなく、形を変えて、今でも続いているのであろう。

2019年8月13日            生井 弘明

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