「国家」神話狂信から「生命」真実覚醒へ

韓国大使館に銃弾送付か 警視庁捜査、脅迫文も

NHKニュース  2019年9月3日 12時34分
韓国大使館に銃弾のような金属と脅迫めいた文書届く
共同通信  2019/9/3 14:21 (
韓国大使館に銃弾送付か 警視庁捜査、脅迫文も
政権が煽り、メディアが煽り、ネットで燃えさかって、脅迫(暴力の予告=犯罪)へと向かう・・・
「表現の不自由展・その後」中止に至る過程と構造が同じ。
これからも、あちこちでこの構造での脅迫行為が頻発するような気がしてなりません。
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近藤 ゆり子 k-yuriko@octn.jp
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ゆり子さん、
おしらせ、ありがとう。
みなさん、
この機会に、とくと考え、できることをしませんか?
ついに、ここまできたか。
ショービニズムから戦争へは、かつて歩いた道です、
わたしたちのこの「やまとしまね」にあっては。
まず、政府が、特定の国家(今回は韓国)を、
法もモラルもまもらない「ならずもの国家」だときめつけて、
その国家の「要求」に一歩も譲らないという毅然として態度を「内外に」示す。
現在、安倍政権が実行しているように。
マスコミが、今回のばあいに即して言うと「反韓」「嫌韓」をあおる。
民衆のなかに、政府のやりかたを支持するだけでなく、
「すなおに」「こころのそこから」韓国を憎む感情が醸成される。
(今回、政府の対韓政策への支持は、「世論調査」では60%)
となると、マスコミが、こんどは、その民衆感情にあおられて、
反韓意識をいっそうあおるようになる。
(民衆におもねる、視聴率を気にするテレビがまっさきに、
発行部数の多い週刊誌があとに続く。)
民衆とマスコミがたがいに「あおりあって」、
反韓感情はいやがうえにも高まり、
ヘイトクライムの域に達する。
これを実感した人たちは、いま、おおかた世を去っています。
わかい人たちだけでなく、いま生きている人たちの大部分は、
今回のような「事件」にははじめて出会う。
免疫力がついていない。
まだあやまれというのか、もう十分にあやまっているではないか。
そうおもっている「国民」もたくさんいるでしょう。
日本国政府の立場もまさにそうです。
しかし、加害者が被害者に「謝罪した」と認められるのは、
被害者が、そうだと認め、加害者の罪をゆるしたときです。
加害者の側が、いくら謝罪したといっても、
被害者のがわが、謝罪されたと感じていないかぎり、
謝罪はせいりつしていない。
日本国の前身である「大日本帝国政府」が
韓国をむりやり「大日本帝国」の領土に編入し、
韓国で人びとがむかしからはなしていた言葉の使用を禁じて
韓国人にはなじみのなかった「日本語」の使用を強制し
(母語を奪った!)、
韓国人が先祖代々うけついできた「氏名」を、
日本流の氏名に変えるよう強制した、
韓国農民の土地をたくみにとりあげで日本人のものにした、
などなど、かぞえあげればきりがないほどの、
非人道的行為を積み重ねていった一連の歴史は、
加害者である「大日本帝国」「臣民」の子孫である
現在の「日本国民」の側ではきれいに忘れ去っていても、
被害者として、痛みつけられ、
筆舌につくしがたい苦難を負わされた人たちの
子孫である現在の韓国人にとっては、
そうそうかんたんに忘れさることはできない。
こんなことが理解できないようでは、人間とは言えない。
日本国政府は、韓国が「国際条約」「国際信義」を「蹂躙した」と
声高に宣伝しています。
この条約を締結したことによって、
加害・被害の関係は「精算」された、と。
「国民」の多くも、そうおもっていることでしょう。
しかし、問題は、あの条約が「個人の糾弾権」まで
消滅させたのか、それとも「個人の請求権」の制限にまでは
いたっていないかということ「だけ」ではない。
あの条約が、両方の国家がどういう状況にあったなかで、
具体的には、どういう政府同士のあいだで締結されたか、です。
率直に言って、「日本国民」の一員であるわたしは、
あの条約の正しさも有効性も否定しています。
あれを締結した当時の日本国政府も、
韓国政府も、おなじむじな、つまり、両国の人民の意志を
代表していないばかりか、ま、それぞれの私利私欲のため、
といってわるければ、それぞれが代表している
大企業や富裕階級の利益のために
行動していたにすぎないからです。
「国際条約」「国際信義」とは、そもそも、そういった限界を
はじめから包含しているものです。
一方の国家の主権者である人民が、
そんな政府が「かってに」(民意を問わずに)結んだ条約など
認めないと言い、その人民の声を代弁する政権が成立して、
その政権によって、その条約が否定されたからといって、
「国際信義」を破ったと言い張る「道理」は、
すくなくとも、人民の立場からは、ありえない。
これまで「譲歩」に「譲歩」をかさねてきたのに、
もう「堪忍袋の緒が切れた」?
なにが「譲歩」ですか。
資本の利益、資本の論理によって行動しただけのことじゃないですか。
わたしには、ふしぎでしかたがない。
こういった「国際関係(と、いちおう言っときますが)にかかわることになると、
ふつうに「日本人」(民族的に日本民族に属する人たち)が、
まるで一国の総理にでもなったかのように、
ことごとに、「日本」「日本国民」を連発するさまが、です。
ひこ 
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