
「ええー」「うそでしょ」
その瞬間、傍聴席にはどよめきとため息が広がった。
19日午後1時すぎ、東京地裁の104号法廷で、福島第1原発の事故をめぐって業務上過失致死傷の罪で強制起訴された東京電力の旧経営陣3人に無罪が言い渡された。
東電の勝俣恒久元会長(79)、原発の安全対策の実質的な責任者だった武藤栄元副社長(69)と、その直属の上司だった武黒一郎元副社長(73)の3人はじっと前を向き、無罪判決を聞くと、静かに一礼。未曽有の被害をもたらした原発事故で、当時の経営トップの刑事責任は認められなかった。
被災者や避難所からも多くの人が地裁に駆けつけ、固唾をのんで判決を見守ったが、永渕健一裁判長が3人を無罪とする主文を告げたことが伝えられると、一斉に落胆や怒りの声が上がった。
起訴状では、大津波を予見できたのに対策を怠り、2011年3月の東日本大震災による津波の浸水で電源が喪失。水素爆発が起き、長期間の避難を余儀なくされた双葉病院(福島県大熊町)の入院患者ら44人を死亡させたなどとして、禁錮5年を求刑していた。
「亡くなった入院患者のみならず、原発事故によって多くの人が土地や生活を奪われた。これほどの甚大な被害をもたらし、被災者に苦しみを与えながら、誰も責任を問われない。こんな理不尽なことがあっていいのでしょうか。日本の司法は死んだも同然です。良心に従い独立して職権を行うべき裁判官が、時の政権に従っている。原発推進にシャカリキな官邸の意向をくんで、政府に不都合な判決は決して出さない。そして、そういう忖度裁判官が出世していくのだから、醜悪極まりありません」(政治評論家・本澤二郎氏)
東日本大震災で実際に襲来した津波は15・5メートルだったとされる。08年に対策を講じていれば、深刻な被害は防げた可能性が高いのだ。勝俣元会長も社内会議で「14メートル級の津波が来る」という幹部の発言を聞いていたという。
「安全より経済性重視が現政権のポリシーですから、東電の側にも、最後は政府が守ってくれるという甘えがあるのでしょう。福島の苛酷な事故を経験して『想定外』という言葉が死語になるかと思ったら、台風15号による千葉の大停電でも、相変わらず『想定外』と言っている。安全は二の次で、コストを重視する東電の姿勢は変わっていない。今回の東京地裁の判決によって、“おんぶにだっこ”で国策を進める構図が、より強化されることになりかねません」(ジャーナリストの横田一氏)
12日付の日経新聞によると、東日本大震災の原発事故で経営が苦しくなった東電は、送電設備のコストをケチるようになったという。送電や配電関連の設備投資に91年は約9000億円を投じていたが、15年は約2000億円にまで減らした。耐久性があると判断した電柱への投資を先延ばしして、やりくりしてきたというのだ。
ここで思い出されるのが、公害の原点ともいわれる水俣病だ。1950年代から疾患が増え、59年には厚生省の食品衛生調査会が、水俣病の原因はチッソの工場排水に含まれる有機水銀化合物だと厚生相に答申したが、通産省は「チッソの操業を止めれば経済成長を止めてしまう」と猛反発。当時の岸信介首相も池田勇人通産相も原因を黙殺し、具体的な対策を取らせなかった。原因不明のまま患者は増え続け、死者が相次ぐ悲劇を生んだのだ。
後の公害訴訟ではチッソの元工場長が有罪判決を受けたが、当時の政府も通産官僚も法的に責任を問われることはなかった。この国では、本物のワルはのうのうと生き延びる。今回の東電元経営陣の無罪判決で、「やはり“上級国民”は罪に問われないのだ」という諦めに似た声が広がっているのも、むべなるかなという感じがする。

稼ぐが勝ちで社会的公共性の責任は問われないこの国
検察官役の指定弁護士は、「大津波の襲来は十分予見できた」「敷地高を超える津波予測を聞いた時点で安全対策を進める義務が生じた」「原発の運転停止リスクや多大な出費を避けるため、対策を先送りした」と指摘したが、裁判長は「長期評価」の信頼性には「合理的な疑いが残る」とし、事故の予見も回避もできなかったと退けた。
また、判決では「事故の回避には原発の運転停止を講じるほかなかった」とした上で、「津波についてあらゆる可能性を想定し、必要な措置を義務づければ、原発の運転はおよそ不可能になる」と指摘していたが、まさに、そこがキモなのだろう。
「津波対策を怠った責任を認めれば、すべての原発を動かせなくなってしまう。なんとしても原発を動かしたい政権の意向を裁判所が忖度したのでしょう。専門家が津波の危険性を訴え、06年にも野党議員が電源喪失の可能性を指摘していたのに、『予見できない』で片づけるのは、国民感情としては納得ができません。政府と経産省と電力会社がつくり上げた原発の『安全神話』の虚構を裁判所が追認し、被災者の苦しみは何十年も続く。加害者には何のおとがめもなしなんてひどすぎますが、今の内閣は大企業と金持ちが救われれば、庶民に痛みを押し付けて当然という態度です。さらには司法まで政府や財閥とグルでは、誰が被災者を救済できるのでしょうか。社会的責任、公共性の責任について、新しい思想を取り入れなければ、被害者は泣き寝入りです」(本澤二郎氏=前出)
福島原発事故での教訓が生かされず、コスト重視で保全を怠った結果、千葉の大規模停電が起きた。そこへ、今回の司法判断だから絶望的なのだ。人の命や安全をないがしろにして利益を追求する姿勢にお墨付きを与えかねない。
今だけカネだけ自分だけ。儲けたもん勝ち。コスト、効率、生産性――。安全を軽視して利潤を追求し、そのせいで事故が起きても、被害者は運が悪かったと諦めさせる。こういう拝金主義のゆがみが、安倍政権の6年半ですっかり日本を覆い尽くしてしまった。
これは電力だけでなく、食の安全、交通の安全など、すべてに通じることだ。国民の安心よりも生産性が優先される世の中。それを是認する司法では、2度あることは3度ある。政権中枢からして腐敗したモラルハザードがはびこるかぎり、人災は何度でも繰り返され、国民は苦しみ続けることになる。