隣国との国境をめぐる紛争を終わらせたエチオピアの若き宰相に、100回目という節目のノーベル平和賞が贈られた。だが、問題が完全に解決したわけではなく、同国内に目を転じれば民族間の争いもある。賞をきっかけに融和を後押ししたい、ノーベル委員会の思惑も見え隠れする。

 「授賞は早すぎると考える人もいるだろう。だが、アビー首相の努力はいまこそ表彰に値し、激励が必要だと信じている」

 ノーベル平和賞を選考するノルウェー・ノーベル委員会のライスアンデシェン委員長はこう語った。

 就任1年半という短期間で数々の成果を出したアビー氏は、1901年以来、100回目となる今年の平和賞候補として早くから本命視されていた。

 委員会が特に重視したのが、隣国エリトリアとの長年の紛争に終止符を打ったことだ。委員会は「平和は1人の行動からは生じない」と指摘。アビー氏の求めに応じ、共に和平プロセスを進めたエリトリアのイサイアス・アフェウェルキ大統領もたたえた。

 近隣国の和平に向けたアビー氏の努力も評価。ケニアとソマリアの仲介について「紛争の解決にむけた希望が見える」と評価した。

 内政でも政治犯の解放やメディア検閲の廃止、女性の影響力の向上などを挙げ、「重要な改革に着手し、多くの市民に希望を与えた」としている。

 一方で、委員会が「多くの課題が残る」と指摘する通り、数多くの言語が話されるエチオピアでは、アビー氏の改革に伴い民族対立が再燃、国内避難民は300万人ともいわれる。

 それでも同賞を贈るのは、平和と仲介に向けた努力を後押しするためだ。人口がアフリカで2番目に多く東アフリカ最大の経済規模をもつ同国の平和と安定が「地域にいい副作用をもたらす」と期待を込めた。(オスロ=下司佳代子)

41歳で首相就任、進めた融和政策

 「ノーベル委員会の決定に恐縮している。平和のために尽力し、取り組んでいる全ての人に深く感謝する。この賞は、エチオピアとアフリカ大陸に対するものだ。私たちは平和のもとに繁栄していく」。アビー氏は授賞発表後、ツイッターにそう投稿した。

 アビー氏が和平をもたらしたエリトリアとの紛争は、アビー氏がまだ21歳だった1998年5月、国境のバドメ村で始まった戦闘にさかのぼる。

 エリトリアは93年にエチオピアから武装闘争を経て独立したが、バドメの領有権がどちらの国に属するかは確定していなかった。

 そんななか、小規模の衝突がきっかけで紛争となり、2000年6月の停戦までに推定約10万人が犠牲に。オランダ・ハーグに設置された国境画定委員会が02年、バドメがエリトリアに属すると認めたが、エチオピアが受け入れず、エリトリアとの国境を封鎖し、対立が続いた。

 10代で軍に入ったアビー氏は、紛争が発生した際に派兵されたとされる。軍などで勤めた後、10年に国会議員に選ばれて政界入り。科学技術相を経て18年4月に41歳の若さで首相に就任すると、さっそくエリトリアとの融和を進めた。

 同年7月には、エリトリアの首都アスマラを電撃的に訪問し、同国のイサイアス大統領と歴史的な会談を実現。エチオピアがバドメのエリトリア帰属を認め、国境紛争を終わらせることで合意した。

 会談後、アビー氏は「私たちの間にあった壁を壊すことに同意した。この先、両国の人々にとって戦争は選択肢にはならない。私たちが必要としているのは愛だ」と訴えた。両国にまたがって親族がいる市民が多く、雪解けは多くの人々に歓迎された。

 アビー氏の強みは多様性と清新さだ。父親が最大民族オロモのイスラム教徒で、母親はオロモに次ぐ多数派のアムハラのキリスト教徒。複数の民族の言語を話すことができる。融和を進める指導者としては「適任」と見られてきた。

 首相就任演説では「過去の誤りから学び、すべての不正を償う好機だ」と言及。国内問題でも、少数派民族ティグレが支配してきた過去の政権によるオロモやアムハラなどの反政府派の殺害を謝罪し、数万人ともいわれる政治犯の解放を進めた。さらに、独裁政権が崩壊したスーダンや、政治対立が続く南スーダンの和平協定を推し進めるなど、アフリカ各地の平和構築も推し進めてきた。

不安定な情勢、国内外で続く

 ノーベル平和賞の授賞が決まったとはいえ、エチオピアや周辺諸国の情勢は今も不安定だ。

 エチオピア国内では、アビー氏の改革に反発する勢力の活動が続く。今年6月には、一部の軍兵士がクーデターを試み、軍参謀総長や北部アムハラ州の政府高官らを殺害。政府は国内のインターネット接続を遮断し、治安部隊を展開して兵士らを摘発した。昨年6月には、アビー氏が出席した集会で爆発事件が発生し、同氏は無事だったが、100人以上が負傷した。

 アビー氏は野党政党の存在を認めるといった融和政策を進めてきたが、権力を失ったティグレ人や、もともと支持基盤のはずのオロモ人の一部の勢力は「アビーは他の民族と協力しようとする裏切り者だ」と反発している。来年5月の総選挙前に治安がさらに悪化する恐れもあり、不安定な状況は今後も続きそうだ。

 エリトリアとの国境も、行き来が自由になったのは空路だけで、治安悪化などを理由に陸路での横断は今も制限されている。ただ、アビー氏の側近として民主化政策を担当するテメスゲン・ブルカ氏は「両国の国境に適切な入管施設や警備態勢を整備しており、間もなく往来が可能になる」と説明する。

 国境を接する国々では平和の促進に期待する声が強い。ソマリアではイスラム過激派シャバブ」の襲撃事件が相次ぎ、南スーダンでも数百万人の難民らを抱えていることから、アビー氏が支援や仲介により力を入れることが期待される。

 「国内に反発する勢力がいるのは事実だ。だが、アビー首相は『人間は本質的に善人だ』と考えている。白人と黒人の融和を進め、ノーベル平和賞を受賞した南アフリカネルソン・マンデラ氏のように融和路線を進めていくだろう」(アディスアベバ=石原孝