新しい日本国憲法のもと、帝国議会から生まれ変わった国会が初めて召集されたのは1947年5月20日のことだ。いま開会中の臨時国会は、それから数えて200回目の節目にあたる。

 第1回国会は、波乱のスタートだった。前月の衆参両院の選挙ではともに社会党が第1党になったが、過半数には達せず。その後の民主党など保守政党との連立交渉は難航した。社会党の片山哲委員長による組閣がようやく終わり、開会式にこぎ着けたのは、召集からひと月あまりが過ぎた6月23日のことだった。

 開会式では松岡駒吉衆院議長が「国会は、この日本国憲法により国権の最高機関となったのであるから、使命はいよいよ重く、大きくなった」と式辞を述べた。旧憲法下で主権者だった昭和天皇は、「わが国今後の発展の基礎は、一に国会の正しい運営に存する」との勅語で応えた。

 翌日の朝日新聞は「『国民による、国民のための国民の政治』がいよいよ国会という精錬場に投げこまれる」と思い入れたっぷりに新生国会への期待を伝えている。

 ただ、片山連立内閣は不安定で、早くも次の第2回国会で総辞職。在任はわずか292日だった。

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 これに対し、安倍晋三内閣が迎える国会は今回で23回目になる。首相としての通算在任2886日の最長記録を今月中に塗り替えるのは確実だ。

 200回の会期を数える間に、国会や政治のありようは様変わりした。最大の要因は、90年代からの政治・行政改革だ。衆院に小選挙区制が導入されたり、首相官邸の機能が強化されたりした。

 これらは「憲法付属法」といわれる公職選挙法内閣法などの改正によることから、憲法学者の間で「憲法改正」ならぬ「憲法改革」と呼ばれている。

 曽我部真裕・京大教授(憲法)は「一連の改革によって、実質的な意味での憲法は変わってきた。諸外国での憲法改正と同じようなインパクトがあり、日本の政治を大きく変えた」と話す。

 安倍首相は改憲論議を進めるべき理由として、「時代の変化に応じ、国のあり方を議論するのは当然のことだ」とよく口にする。まさにそうした議論の積み重ねによる成果として、2009年には衆院選による政権交代が起きたし、首相官邸が各省庁を束ねる力は格段に強くなった。

 ただし、94年の選挙制度改革から20年あまりをへて、いま際立つのは首相の強さと、それに比べた国会の弱さだ。

 予算委員会で首相は野党議員の質問にはまともに答えず、自民議員は日米貿易協定を結んだ首相らを「卓越した外交、交渉能力」と手放しで褒めそやす。法相は公選法に触れる疑惑が発覚すると、国会での説明から逃げるように辞めてしまう。

 これでは国会の本来の役割など、果たしようがない。

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 こうした現状を受け、曽我部教授は次のように問題提起する。

 「憲法改革がもたらした1強政治にはプラスとマイナスの両面がある。首相の指導力を高めて強力な政策が打ち出せるようになったが、それは権力の乱用と裏腹だ。安保関連法など、違憲だと批判される法律が次々に成立し、公文書は多少改ざんしても構わないとの風潮すらある。これに国会や司法がどう歯止めをかけるか。そこが憲法改正も含めた新たな改革の論点だ」

 憲法審査会を開くならば、こうした議論こそすればよいと思うが、数で圧倒する与党側にその気配はない。

 90年代に改革を後押ししたのは、リクルート事件をはじめ政官にまたがる不祥事への国民の激しい怒りと、これに対して政治家が抱いた危機感だった。世論が圧力をかけなければ、政治は動かない。

 (編集委員)