「自分の身の丈に合わせて、頑張ってもらえば」。2020年度から始まる大学入学共通テストでの英語民間試験の見送りにもつながった、萩生田光一文部科学相の発言が浮き彫りにしたものとは――。

 ■「教育格差」のデータ無視 松岡亮二さん(早稲田大学准教授)

 「身の丈」発言の後、萩生田さんは国会で「エールのつもりだった」と釈明していました。おそらく、あの発言に悪気はなかったのでしょう。

 発言の背景には、萩生田さんの考える「教育格差」とは、本人の志・能力・努力によって乗り越えられる程度のものだ、という認識があったのではないでしょうか。とすれば、それはデータが示す実態とは異なります。

 身の丈発言に、内心では同意した人もいるでしょう。社会にどれだけ自分の可能性を「諦めた」子どもたちがいるのかを想像せず、「格差はあっても、努力で乗り越えればいい。私はそうしてきた」というように。

 親の学歴を含む出身階層や出身地域によって、子どもが大学に進学しようと考えたり、日頃の学習意欲を持ったりすることに大きな格差があることは、多くの実証研究で明らかになっています。

 例えば、今年発表した私の研究では、中学1年で子どもが大学に進学することを期待する割合は両親が非大卒だと23%、一方の親が大卒だと41%、両親が大卒だと60%と明らかな差があり、親が大卒であるほど、子の学習時間も長いことが分かっています。

 社会経済的に恵まれない家庭の子どもたちは、ある時点で勉強を諦める傾向もあります。社会構造による教育格差があるのに、「勉強には向いていない」と、自身の可能性を低く見積もり、自分から「身の丈」で生きていこうとしているのだと思います。

 大学入学共通テストの導入は、現存する格差の拡大を後押しすると考えられます。テストの仕組みが複雑で選択肢もあまりに多いため、予備校などに相談し、膨大な情報を親と共に消化できる家庭の生徒ほど有利になるでしょう。

 英語民間試験では、一部受験生に金銭的な助成をするとも報じられましたが、親の協力を得て申請書を提出するのであれば、これ自体、見えない障壁です。

 経済的に恵まれない家庭の子は、自分の親にその申請書を渡すことすら躊躇(ちゅうちょ)するかもしれません。まさに自分が思い込んでいる「身の丈」に合わせようとする行動です。個人の選択ということもできますが、一方には、同じ障壁に悩むことなく受験勉強に打ち込める生徒もいるわけです。

 問題の根本は、これまでの「教育改革」が、データの蓄積や分析なしに、「これからはグローバル時代だ」といった理念で進められてきたことです。共通テストの国語と数学の記述式問題も、マークシートでは能力が測れないから導入するとのことですが、それはどの研究に基づくのでしょうか。理念先行で、ドーンと制度変更し、検証しない。そんな「改革のやりっ放し」はもうやめませんか。

 (聞き手・稲垣直人)

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 まつおかりょうじ 教育の実態を様々なデータで計量分析する教育社会学者。近著に新書の「教育格差―階層・地域・学歴」。

 ■近代日本の建前が崩れた 竹内洋さん(関西大学東京センター長)

 明治以降の日本には、誰でも試験でいい点を取れば立身出世できるという「ジャパニーズ・ドリーム」がありました。受験が「身の丈」に左右されないという建前が重視されており、萩生田文科相の発言は、その近代日本の伝統に反するものといえます。

 かつての学習院は上流階級の子弟中心でしたが、中等科を卒業して旧制高校を受験しても、合格率は高くありませんでした。華族の子であっても、優遇されることはなかったわけです。

 それが大正から昭和に入ると裕福な家庭の方が受験に有利という傾向が顕著になります。家庭に本が多い、親が勉強を教えるといったことが子の学力につながるので、必然的にそうなる。明治維新で生まれた機会の均等という建前が徐々に崩れていきました。

 しかし、敗戦で誰もが貧乏になったことで、またリセットが起きます。戦後しばらくの間は、難関大学でも貧しい家庭出身の学生が多くいました。明治維新や敗戦という「ガラガラポン」があったことで、機会の平等が担保されたという側面があるんです。

 明治維新から敗戦までが77年、敗戦から今年で74年ですから、経済的理由で教育格差が広がってきているのは、ある意味、必然ともいえます。

 さらに大きいのは、中央と地方の格差です。旧制高校は一高が東京、二高が仙台、三高が京都、四高が金沢、五高が熊本と各地に分散してつくられました。近代の日本には全国で優秀な人材を育成するという理念がありました。戦後も各都道府県に国立大学が置かれ、広く人材を育てる伝統は受け継がれました。

 しかし今はそれが崩れ、東京と地方では「身の丈」が違う社会になってしまいました。

 右肩上がりの時代は、格差があっても、努力すれば追い越せるという希望が持てました。しかし低成長の時代になるとそれが難しくなる。格差解消の手段として、米国のように、経済的に恵まれない学生らを優遇するアファーマティブ・アクションが言われつつありますが、萩生田文科相の発言はそうした現代の潮流にも逆行しています。

 一方で、格差を容認するような空気も生まれています。昔は、苦学して東大を出て、官庁や大企業に就職すると、裕福な家庭出身の人より高い評価を受けました。いわば「後払いされるアファーマティブ・アクション」です。親が偉いと「七光り」といわれて苦労するくらいでしたが、今は「サラブレッド」として評価されたりします。

 受験で競い合うことで、国が良くなっていく時代は終わりました。でも、その次が見えてこない。萩生田発言を契機に、今後の教育のあり方を議論すべきだと思います。

 (聞き手 シニアエディター・尾沢智史)

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 たけうちよう 1942年生まれ。専門は教育社会学。著書に「立志・苦学・出世 受験生の社会史」「教養派知識人の運命」。

 ■受験にはそぐわない言葉 斎藤孝さん(明治大学教授)

 大学入学共通テストのような公的な入試制度では、「公平性」がもっとも重要です。だから、受験者によって条件が異なることを容認していると受け取られかねない萩生田文科相の「身の丈」発言は、そぐわない使い方でしたね。使う文脈を間違えてしまいました。

 「身の丈に合わせて」という言葉は、自分に使えば、謙虚な姿勢を示したり、現実感覚があると受け取られたりして、好感を持たれる表現になります。ただ他人に使うと、「分相応に生きろ」というニュアンスになって感じが悪い。そもそも選択するのは本人で、その力は他人からは測りがたいわけですから。

 「身の丈」という言葉自体は古くからあります。古事記では字面のままの「身長」という意味で使われ、身分制度が固定化すると「身分」という意味が加わりました。身分制度がなくなった明治以降は、「能力」や「経済力」「立場」という意味で用いられることが多くなりました。

 「身の丈」以外にも、日本語には「分際(ぶんざい)」や「分限(ぶんげん)」「身のほど」など同様の意味の言葉があり、昭和までは日常的に使われてきました。それを多用することで、社会の安定性を維持しようとしていたのだと思います。同時に、「身の丈を合わせろ」「○○の分際で」といった言葉は言わば相手の勢いをそぎ、枠をはみ出るような行動を牽制(けんせい)し合うものでもありました。

 しかし平成になって「ハラスメント」への問題意識が高まりました。いま上司が部下に「身のほどを知れ」と言えば、それはもはやパワハラです。次第にこうした言葉はあまり使われなくなりました。

 それが2011年の東日本大震災を機に状況が変わりました。「いまの暮らしが当たり前じゃない」ということを多くの人が意識するようになり、足元を見つめ、身の回りにあるものや関係性を大切にしようとする雰囲気が社会に広がりました。そして「身の丈に合った暮らし」「背伸びせず無理のない生活」が注目を浴びるようになったのです。

 低成長時代でもある現在、書店には「身の丈に合った○○」というタイトルの本が並んでいます。この言葉は、社会に好意的に受容されるようになったのです。自分の状況に合わせて幸せを模索することはとてもいいと思いますが、大学受験に「身の丈」という考え方を当てはめることについては、少し心配です。

 若い人たちは自分の潜在力にあまり気づいていません。大学受験などを機に背伸びや無理をして、「自分にはこんな力があるんだ」と気づくことも多い。「さとり世代」と呼ばれ「身の丈」に収まりがちな彼らのためにも、日本社会にもっと挑戦を促すような空気があってほしいと思います。

 (聞き手・藤田さつき)

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 さいとうたかし 1960年生まれ。専門は教育学、身体論、コミュニケーション論。著書に「声に出して読みたい日本語」など多数。