悲願の憲法改正を次に渡すのか 「疲れた」首相が秘める終わり方の真意
安倍政権は19日に歴代最長に並ぶ。安倍政権の第2次発足以降の7年間を検証しつつ、今後を展望する。
首相「分かってます。4選はしません」
10月30日夕、首相官邸の執務室で、ジャーナリストの田原総一朗氏が安倍晋三首相に、こう忠告した。「総裁4選なんてしたら自民党はガタガタになる。駄目ですよ」。首相は「分かってます。4選はしません」と明言した。
今月19日に通算在職日数が歴代最長に並ぶ首相の自民党総裁3期目の任期満了は2021年9月末。残り2年を切ったものの、有力と言える「ポスト安倍」候補は不在だ。1期3年の総裁任期を「連続2期まで」から「連続3期まで」とする党則改正を主導した二階俊博幹事長は、今度は「4選」を唱える。環境整備に努めているように見えるが、二階氏周辺は「首相との関係を維持して主流派でいるために言っているだけ」と解説する。首相もこうした事情を承知しているとみられる。
首相は15日夜、会食した日枝久フジサンケイグループ代表にも、4選について「ないと言ったらない。党則が決めているんだから」と語ったという。総裁3選を果たした1年ほど前、首相は親族との会合でも「疲れた。自由がいい」と漏らしている。
思い浮かべる大叔父・佐藤栄作元首相の厳しい「末期」
首相に近い議員は、首相の念頭にあるのは大叔父・佐藤栄作元首相の政権末期だという。首相が今年8月に抜くまで7年8カ月の戦後最長だったが、4選(当時は任期2年)後に求心力が落ち、後継指名ができなかった。「長ければいいのでなく、終わり方、次の政権に及ぼす影響を首相は気にしていると思う」(近い議員)。参院選大敗と体調不良で07年に第1次内閣が退陣に追い込まれた際、世論の支持も政界での影響力も失い、「終わり方」の重要さを味わっている。
第2次安倍内閣はアベノミクス・第一の矢である金融緩和で始まった。経済は安定したものの、デフレを完全に脱却したとは言えない状況だ。人口減少、社会保障費増大など内政課題が山積し、外交も、北方領土返還や北朝鮮拉致被害者帰国の見通しは立たない。さらに長く首相を続けても解決のめどがつくとは限らない。
レガシーの憲法改正を「意中の人に譲る」のか
そんな首相は最長政権のレガシー(遺産)として、何を目指すのか。「憲法改正で日本の自主独立を目指すという、祖父・岸信介元首相の思いを実現したい」(首相の出身派閥・細田派議員)との見方で周辺は一致する。
立憲民主など野党が「安倍改憲」に反発する中、停滞していた衆参の憲法審査会の議論が再開した。改憲発議に必要な「改憲勢力」で3分の2の議席を7月の参院選で失ったものの、歩みは遅いが、動き始めた。側近議員は首相に「大切なのは憲法審を回すこと。憲法審が進まなければ改憲はできない」と野党に配慮するよう進言した。首相は最近、自民党憲法族議員に「現場に任せる。与野党でしっかり調整してくれ」とだけ指示し、自らは表に出ず、静観している。
とはいえ、残された任期内での改憲発議、そして国民投票という日程は、日を追うごとに厳しさを増す。党幹部は「発議できる状況になれば、意中の人に譲る判断になるだろう」との見方を示す。
だが、そんな首相の「心の声」を許さない事態もあり得る。
トランプ氏次第で変わる首相の運命
「トランプ(米大統領)は再選するかもしれないぞ。誰がトランプとやり合えるのか。安倍しかいないぞ」
麻生太郎副総理兼財務相は周辺にこう言い続けている。トランプ氏の任期は21年1月までだが、再選すれば25年1月まで延びる。日米同盟見直しなどトランプ氏の言動は不透明で、親密な関係を築く首相の「続投」が求められるというのだ。麻生氏側近も「再選したトランプ氏が『晋三に期待する』とつぶやいたら、一気に雰囲気が変わる」と語り、4選はあり得るとの見方を示す。
後継指名も4選も今後の状況次第と言える。ただし、それが可能となるのも高支持率を維持すればの話だ。側近議員は「もし追い込まれるなら、その前に衆院解散・総選挙だ」と息巻く。局面打開に出る手も残されているが、衆院も3分の2を失って改憲が遠のくかもしれないという「賭け」でもある。
内閣改造から1カ月半で閣僚2人が辞任し、「桜を見る会」を巡る問題が首相自身を直撃。さらに政権を揺るがす事態が生じれば、レガシーか政権維持かの選択を迫られるかもしれない。【竹地広憲、宮原健太】
争点外しの選挙6勝が支える首相の求心力
「歴代最長」まで1週間と迫った12日夜、安倍首相は麻生氏や二階氏、岸田文雄政調会長ら政権幹部と東京・銀座のステーキ店で会食した。「6回選挙に勝っているのはすごい」。席上、麻生氏が称賛すると、首相は顔をほころばせた。
選挙の当落は議員にとっての生命線だ。政権復帰を果たした2012年衆院選以降、衆参各3回の国政選挙で全勝していることが長期政権の礎になっている。自民党関係者は「勝てば『文句は言わせない』となる。選挙で勝ち続けたことが首相の権力の源泉だ」と解説する。
勝利を重ねた背景には、野党が離合集散を繰り返し、勢いが衰えたことに加え、対立軸を鮮明にしない首相の争点設定がある。
14年11月に衆院解散に踏み切った際には、15年10月に予定していた消費税率10%への引き上げの1年半延期を表明。17年9月の衆院解散時には、消費増税分の使途を幼児教育の無償化などに切り替えることを表明し、いずれも「国民生活にとって重い決断をする以上、速やかに国民に信を問う」と繰り返した。
野党が明確に反対しづらいテーマを争点に掲げ、安全保障法制や森友・加計学園問題など対立や批判の火種を避ける戦略だ。
首相の「神通力」に見え始めた陰り
首相の「宿願」である憲法改正を巡っても、与党内での意見の違いや反発を考慮し、党の公約には盛り込みつつ、自ら積極的に打ち出すことは控え、争点化は避けてきた。国会で改憲議論が停滞する状況に業を煮やし、今年7月の参院選で初めて明確な争点に掲げたが、改憲の中身には踏み込まず、「未来に向かって憲法を議論する政党や候補者を選ぶのか、責任を放棄して議論すらしない政党や候補者を選ぶのか、それを決める選挙だ」と「改憲議論の是非」に絞って主張。党関係者は「大義名分の使い方がうまい」と語る。
ただ、第2次政権発足から7年近くがたち、選挙で勝ち続ける「神通力」にも陰りが見え始めている。
今年4月には衆院大阪12区、沖縄3区両補選で自民党候補が落選。8月の埼玉県知事選でも党推薦の新人が敗れるなど連敗している。
7月の参院選も自民、公明両党で改選過半数を維持して「勝利」したものの、憲法改正に前向きな「改憲勢力」は改憲の発議に必要な3分の2を切った。与党幹部からは「参院選で自民党は単独過半数を切り、首相がてこ入れに入った選挙区も落とした。あれは『負け』だ。衆院選も次は減らす。どこまで減るかだ」と厳しい声も上がっている。【竹内望、村尾哲】
引き際巧みに影響力残した中曽根、小泉氏
戦後の長期政権の末期は、政治的な「余力」の有無で明暗が分かれる。鍵を握るのは後継人事や衆議院解散のタイミングだ。
最後まで高支持率を維持し、安倍晋三氏を事実上の後継に指名したのが、2001~06年の小泉純一郎氏(首相在任5年5カ月)だった。退任1年前の05年に郵政民営化の是非を争点に衆院を解散し、造反者を出しながら衆院選で大勝して求心力を高めた。
直後の内閣改造で後継の「本命」だった安倍氏を初入閣で官房長官に登用して経験を積ませた。一方、後に自民党総裁になる福田康夫、麻生太郎、谷垣禎一の3氏を、安倍氏と共に「ポスト小泉」候補として競わせた。
1982~87年の中曽根康弘氏(同4年11カ月)も政治的な余力を残して退任した。当時2期4年だった党総裁の任期切れ直前の86年6月、通常国会閉会の11日後に急きょ臨時国会を召集して冒頭で衆院を解散。翌月の衆参同日選で大勝して権力基盤を固め、異例の総裁任期1年延長を勝ち取った。
87年総裁選は竹下登、安倍晋太郎、宮沢喜一の3氏の調整が難航し、最終的に中曽根氏に後継指名を一任することとなった。「中曽根裁定」で最大派閥の竹下氏を指名して「貸し」を作り、退任後も長老格として発言力を維持した。
意中の後継を指名できなかった佐藤氏
対照的なのが64~72年に在任した佐藤栄作氏だ。安倍氏に抜かれるまで戦後最長だった7年8カ月の長期政権を生かし、米占領下にあった沖縄の返還を実現し、非核三原則を打ち出した。日本人初のノーベル平和賞を受賞し、後世に名を残した。
佐藤氏は後継として福田赳夫氏を想定していた。田中角栄氏の強い推しで4期目に入ったが、その間に田中氏が力を蓄え対抗馬に浮上した。71年参院選で自民党は改選過半数を下回り、求心力を高められないまま、72年の沖縄返還を「花道」に退陣した。メディアとも対立し、退任記者会見は新聞記者に「帰ってください」と求め、テレビカメラに向かって一方的に語りかけた。
後継を決める総裁選は、有力派閥のトップがぶつかる激戦の末、田中氏が福田氏を破った。佐藤氏の想定とは異なる結果だった。【秋山信一】