就任後のフランシスコの人気は高まるばかりとなった。

就任後のフランシスコの人気は高まるばかりとなった。

保守化が目立った晩年に病で苦しんだヨハネ=パウロ2世や学者タイプで
コミュニケーションが円滑にいかなかったベネディクト16世の後で、
ユーモアを忘れずシンプルに率直にものをいうフランシスコは、同時に、
徹底的に弱者の側に立ち、どんな権力者をも忖度(そんたく)しないからだ。

就任前にはヴァティカンに常駐したことのないはじめての法王として、
前任者には困難だった「改革」にもすぐさま乗り出した。
就任1カ月後には、ホンジュラスのマラディアガ枢機卿を中心にした
法王庁改革のための評議会を設置、関連基本法の改革も委託した。
歴代法王の慣習である夏の別荘でのバカンスもとらずにヴァティカンに残り、
6月にはヴァティカン銀行(IOR)の腐敗を終わらせるための評議会を設置し、
7月にはヴァティカン初の会計監査委員会を設置することを発表し、これまでの
「イタリア式」の不透明なやり方を簡素化、合理化すると明らかにした。
この3つの決定の他に、宿舎で挙げる毎日のミサの中で少しずつ、
「外見だけの信者」や「酢漬けピーマン頭の司祭」などという言葉を使って
批判し、続く7月にブラジルで開催された世界青年の日大会では何百万人もの
若者たちを前にして、「カトリック教会はこれまで世界を自分の基準にのみ
照らして裁くただの監視行政機関になってしまっていた」と批判した。
そんなカトリック教会を不毛だとして多くの人が去っていったのは教会全体の
責任であり、それらの人々のとった道と再び交わるように、
信者も聖職者も教会から外へ出て行かなくてはならない、という。

法王は、若者たちの連帯に期待している、世界を変えるためには
政治的にも社会的にも「現場」に関わるようにと言った。
人生をバルコニーの上から眺めていてはいけない、社会を変えるために動け、
イエスもそうした、と語った。
教会を惰眠から覚醒(かくせい)しなくてはいけない、と。
当時のブラジルは翌年のサッカー・ワールドカップ、その2年後の
オリンピックの開催利権が、経済格差をより深刻なものにしていたのだ。
リオからローマに戻る機内でも、ジャーナリストから同性愛者についての
意見をたずねられ、自分にはそんなことをどうこういう権威などない、
みな兄弟だ、という趣旨の答えをし、女性の役割の重要性もコメントしている。

このような忌憚(きたん)なき言葉は、エスタブリッシュメントとしての
カトリック保守派からは当然歓迎されなかった。
前任者たちが成しえなかった「聖域なき改革」に手をつけたフランシスコは、
実際、アメリカ最大のスポンサーであるコロンブス騎士会のジェブ・ブッシュ
などをはっきり敵に回してしまった。
フランシスコが選出されたことにはアメリカの民主党が関わっていたという
陰謀説も生まれたほどだ。

それは日本のようにキリスト教がマイノリティである国と似ていなくもない。
日本のカトリックの中には、「ミッションスクール出身のお嬢さま」
が上流の男性と結婚した後、ブルジョワ教区の教会に通って社交に励んでいる
というケースがある。
そんな教区では「社会派」の司祭の話などはもちろん歓迎されないし、
教会に政治を持ち込むなとも批判される。
カトリック文化圏の国でも、カトリックがブルジョアや貴族の
アイデンティティとなっている教区は少なくない。
それなのに、カトリックのトップに立つ法王が、信徒に向けて、
「教会を出ろ、辺境に行け、無関心の地に行け、政治を変え、社会を変えろ」
と言いはじめた。
それを一種のスキャンダルであるかのように受け止めた人々がいるのは
無理もなかった。

だからと言ってフランシスコがいわゆる「革新」というわけではない。
就任後、司祭の結婚を許可しろとか修道女の叙階を認めろなどという
山のような手紙を受け取ったが、そんなことは本質的な問題ではない、
と言い切っている。
今や時代に合わない教会の設計思想を改革することは必要だが、それは
より人間的な共感の精神、福音に拠(よ)るものでなくてはならない。
現代社会に合わせて宗教をイデオロギー化することでもないし、
「主との出会い」という超越を捨てた「自己啓発」のツールにするのでもない、
と言っている。

実は、二人の前法王たちも同じことを言っていた。
フランシスコの特徴は、同じことを実践して見せるところだ。
リオへの往復では左手に膨れた黒い書類カバンをしっかりつかんで飛行機に乗った。
一国の「元首」の公式旅行では絶対に見られない図だ。
そのことをジャーナリストに指摘されて、
「私はいつも旅行の時に自分のカバンを持っていた。
普通です。
普通でなきゃだめですよ!」
と答えた。
このような「言行一致」は、カトリックやキリスト教世界を超えて
フランシスコの人気を増大させた。
けれども前任者のように法王宮殿に住まず食事も絶対にひとりでとらない
と決めたことについて、毒殺のリスクが減るから正解だ、と語る関係者もいる。
キリスト教の根本にある「清貧」を貫いて生きるのはやはり革命的なことであって、
いつ粛清されてもおかしくない危険をはらんでいるのかもしれない。
2019年には、アメリカのカトリック保守派サイト「ライフサイトニュース」
で、19人の神学者たちが司教たちに向けて
フランシスコ法王の異端を糾弾するよう署名運動を開始した。

それでもフランシスコの精力的な笑顔と行動は多くの人々を力づける。
深刻な顔で「罪を悔い改めよ」とか「地獄に堕(お)ちる」などと叫ぶ
ような「クリスチャン」を忌避する人々でも、フランシスコの裏表のない信仰の
秘密を知りたくなる。
フランシスコの説教は、人生を成功させる指針を語る「ハウツーもの」
の言説とは似ても似つかない。
悟りや、健康意識や、危機管理などのさまざまな戦略の成果ではないからだ。
冷戦後にグローバル化した世界での「成果主義」とは逆の方向にある。
信仰というのは自分を磨いたり高めたりパワーアップすることではなくて
「自分の外」に出ることだとフランシスコは言い切っている。

【「ローマ法王」角川ソフィア文庫 第6章「ローマ法王と地球の未来」】

すでに77歳の高齢で、とりあえずのつなぎとなるかと思われた。
ところが、この法王はカトリック史における革命的な役割を果たすことになる。

ヨハネ23世の最大の目標は善き牧者となることであった。
貴族的で寡黙で暗いイメージだった前任者とはうって変わって、
気さくな慈父のイメージをふりまいた。
カトリック史上初めて、教義の要塞(ようさい)ではなく、全人類に開かれた
公共機関としてのイメージチェンジを遂げた。
法王は初めて一人の対話者として、他のキリスト教徒や無信仰者にも
積極的に話しかけた。
気取らず愛されるキャラクターを生かして、多くの人の敬意を勝ち取り、
カトリック史上最も人気ある法王になった。

1962年10月、第2ヴァティカン公会議が開かれた。
全司教だけではなく、カトリック以外のキリスト教徒も大勢招かれた。
3000人以上の出席者に、この会議では弾劾することはやめて
世界のかかえる問題との接点をさがしてほしい、と願った。
亡くなる少し前に、全世界に向けて、現代では戦争はもう正義の手段として
正当化できないこと、平和の実現には宗教の別なく善意あるすべての人々の
協力が必要である、との回勅を出した。

1963年の6月3日、ローマには雨が降っていた。
死に瀕(ひん)したヨハネ23世の部屋の明かりをあおいで、多くの人々が
サン・ピエトロ広場に集まって跪(ひざまず)いて祈った。
死が発表された時は、人々がローマの通りを号泣して歩いた。
希望とオプティミズムのシンボルだった法王は、5年という在位の短さゆえに、
そのポジティヴなイメージを全うし得た。

・・・
1978年8月、パウロ6世の後を継いだ法王は、公会議を担った二人の
前任者(ヨハネ23世とパウロ6世)の偉大さを記念してヨハネ=パウロ1世
と名乗った。
カトリック史上初めての複合名である。
学者であったパウロ6世に対して、労働者家庭の出身で謙虚な人柄であり、
いつも控えめな笑みをたたえたこの法王は、わずか33日の在位の後、
ヴァティカンの私室のベッドで就寝中に息を引き取った。
心筋梗塞(こうそく)だと発表された。

折しも、ヴァティカンも関与するとされた金融スキャンダルがあった。
ヴァティカン内のフリーメイスン支部が暗躍しているという噂も流れていた。
公会議による近代化に反対するカトリック原理主義者の態度も硬化していた。
避妊問題、聖職者の召命不足、司祭の結婚、南米で革命運動と接近した
解放の神学の問題など、カトリック内部を保守派と改革派に二分する
さまざまな問題も山積していた。

ピウス11世の死の時のように、まことしやかに法王の毒殺説が流れた。
それには確かな根拠はなかったが、二人の法王が続けて死ぬという事態に、
カトリックだけではない全キリスト教世界が衝撃を受けて不安と不吉を
感じたことの表れであった。
西洋の世紀末はこの時にスタートしたといえるだろう。

多くの人が不安の中に奇跡を期待した。
そして、カトリック教会は、思いがけない新しいページを開くことになるのだ。

【竹下節子「ローマ法王」角川ソフィア文庫 第3章より抜粋】

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