「除染後住める」は大間違い<浪江生まれの元日本医師会長
from小倉/2019-12-28
遅くなってしまいましたが、福島県浜通りの浪江町から
避難をしていた高野秀雄さんとの出会いについて
書かせていただきます。
私はコスタリカに学ぶ会の活動の一環として、毎月2回
座談会形式の「勉強会」を文京区男女平等センターの
部屋を借りて催しています。その勉強会に2011年7月18日、
高野さんがひょっこり参加してくれたのです。高野さんは
浪江町で包装用品などを販売するお店を営んでいたそうです。
福島第一原発から7キロの所に自宅があり、原発事故発生から
転々と避難場所を移動しながら、最後に文京区本郷のホテル
「幾山館」にたどりついたそうです。参加してくれた時は
79歳とおっしゃっていました。勉強会会場とホテルとは
歩いて3分ほどなので、高野さんは勉強会の常連になりました。
1年ほど一緒に対話をしながらすごしました。
高野さんには息子さんがいて、息子さんは浪江町の消防団員
で、津波で大被害が出た時に被災者の救助にあたったそうです。
夜になり、停電で真っ暗な中、壊れた家やがれきの方から
人の声が聞こえたけれども、危険ですぐには救助できず、
明朝から救助しようということになったそうです。
ところが翌日の朝、原発が大事故を起こしているから、
避難せよという政府の指示が出て、前の晩に声が聞こえた
地域に行くことができずに避難せざるを得なくなりました。
消防団員としての人命救助という役目を果たせないまま
現地を離れたことで息子さんは無念の気持ちで一杯になり、
その悲しみと悔しさが忘れられず、アニメーション映画「無念」
ができるきっかけになりました。
1.「無念」製作の経緯:
http://cinekyara.co.jp/blog/1028
2.「無念」予告編(2分余り)
https://www.youtube.com/watch?v=L-arWo7jW-A
高野さんはその後、息子さんが避難先の福島市で購入した中古住宅で
息子さんと一緒に暮らしています。
—–Original Message—–
>泉田さん、転載ありがとう。
>小倉さん、おしらせありがとう。
>わたしも、読みました。
>
>
>土台インチキですよね、「除染」という表現そのものが。
>除くことなどできっこないのですから。
>なのに、ちょこちょこっとソレラシキことをすれば、
>ハイ、もとにもどりました、なんて、どのつらさげて言うのか?!
>
>日本国の「国土=領土」の、相当に広大な部分を、
>自分の手で、人間の住めない土地にして、
>つまり、侵略されて奪われる前に、
>自分の手で、奪ってしまった、
>いったい、なにが「愛国」か?!
>なにが「美しい日本」であるか?!
>
>ひこ

17日に公表されたルートは、Jヴィレッジ(楢葉町、広野町)をスタートし、
対して「影」の部分というのは、以下のようなことです。
「影」を「光」に変えていくために、どういう努力を続けているかという
チャレンジの具体例をお話しするということを続けております。
2019/12/28 15:40、小倉志郎 <pxl11443@nifty.ne.jp>のメール: